子門 真人(しもん まさと、1944年1月4日[2][3][4] - )は、日本の元歌手・元音楽プロデューサー。血液型はA型[2]。本名:藤川 正治()で[5][6][3]、旧芸名・別名義:藤 浩一()[7][3][4]、谷 あきら()など多数。東京都[2][3]目黒区生まれ[8]。玉川大学文学部英米文学科卒業。
代表曲に「およげ!たいやきくん」「レッツゴー!! ライダーキック」など子供番組・アニメ番組で多くのヒット曲を持つことから、水木一郎やささきいさおと並んでアニメソング御三家と称された[9]。
1966年、藤 浩一の芸名で歌謡曲の歌手として日本グラモフォン(ポリドール・レコード=現:ユニバーサル ミュージック ジャパン)からデビュー[6][3]。デビュー曲「故郷の悲しき星/涙のギター」(両A面シングル)は1万枚を売り上げた[10]。シングル盤5枚を出すが、ヒットに恵まれずに1年半後に引退する。1968年にフジ音楽出版(現:フジパシフィックミュージック)に入社[6][3]。その後もスタジオヴォーカリストとして音楽活動自体は継続して行い、GSグループへの楽曲提供を行ったり、アルバイトとしてCMソングを歌っていた。
1971年、特撮テレビドラマ『仮面ライダー』の主題歌「レッツゴー!! ライダーキック」(朝日ソノラマ制作)を歌唱[3]。同曲のEP盤は朝日ソノラマと日本コロムビアの競作となり、番組の爆発的な人気とともに130万枚[11][注釈 1]を超える大ヒットとなった。これを皮切りに子門は幾多のアニメソング・特撮ソングを歌い上げることになる。これらテーマソングは次々とヒットした[13][14]。
1972年に円谷音楽出版に移籍(歌手ではなく社員雇用)[6][3]。楽曲管理の総責任者を務めるかたわら、『レッドマン』『トリプルファイター』『ジャンボーグA』『ファイヤーマン』など、円谷プロダクション制作の特撮テレビドラマ主題歌を多数手がける[6][3]。
1975年、『ひらけ!ポンキッキ』内で発表された「およげ!たいやきくん」が大ヒット[3]。オリコンチャートで史上初のシングルチャート初登場1位、11週連続1位を記録。翌1976年には第9回全日本有線放送大賞特別賞、第5回FNS歌謡祭最優秀ヒット賞を受賞し、子門の代表曲となった(詳細は「およげ!たいやきくん」の記事を参照)。これを機にテレビ番組に頻繁に露出するようになり、この頃のアフロヘアーと眼鏡という出で立ちが世間に印象付けられる[6]。続けて発売された「ホネホネロック」も大ヒット。
1980年、西友ストアー主催のミュージカルである西友ファミリー劇場の『翔べイカロスの翼』に主演し、これが縁となり1982年、SPN(現:I&S BBDO)に課長待遇で入社[15]し芸能界を一時引退する。SPNでは西友ファミリー劇場のミュージカルのプロデュースを担当した[15]。1986年に退職[16]。退職理由は部長(管理職)に就任することで制作現場から遠ざかることを懸念したこと、ミュージカル制作に挑戦する意向があったことによる[16]。同年芸能界に復帰し[16]、1987年に再びフリーの歌手に転向。同年『ひらけ!ポンキッキ』の「動く図鑑コーナー」の挿入歌「はたらくくるま2」が話題になる[17]。相前後して、テレビアニメ『マシンロボ クロノスの大逆襲』主題歌「勝利のマシンロボ」で、久しぶりにアニメソングを収録。
1990年代には『Aランクサンダー 誕生編』『究極戦隊ダダンダーン』などのゲーム主題歌や、ラジオ番組『青春ラジメニア』のテーマソングを手掛け、1989年10月10日「第2回青春ラジメニアファンの集いin堺」、1991年3月27日「青春ラジメニアファンの集い」、1992年3月26日「青春ラジメニアファンの集い」の公開収録の場でアニメソングを披露している。1993年頃に再び芸能界を引退したとされている[18][19][20]。
1997年から2003年にかけて、ベストアルバム『子門真人ヴォーカルコンピレーション』シリーズがリリース。当初は日本コロムビアとバップの2社による合同企画であったが、後にポニーキャニオンとソニー・ミュージックエンタテインメントが参加し、4社から計8枚のアルバムがリリースされた。複数の会社にまたがって発売されたものの、ジャケットのデザインは(色が違うだけで)統一されている。なお、第1弾である<赤盤>と<青盤>の名称はビートルズのベストアルバムの通称に由来[9]する。
また上記シリーズとは別に、ベストアルバムとして2010年にポニーキャニオンより『子門真人 ベスト・コレクション』が、2015年に日本コロムビアより『ベスト・オブ・ベスト 子門真人』がリリースされている。
引退後の1995年に日本テレビ系のバラエティ番組『あの人は今!?』で出演依頼を受けるが、本人の意思により撮影拒否。番組では全てモザイク処理されており、子門の姿や肉声は放送されなかった。以後は公式にはマスメディアへの露出を一切していない[6]。2019年10月、TBS系『歌のゴールデンヒット』で紹介された際は居所がつかめず、司会の堺正章が「もしも子門さんがこの番組をご覧になっていたら、是非スタッフのほうにご連絡を頂ければ」と呼び掛けた[21]ものの、音信不通で、最終的には紙面を通じた捜査を依頼している[19][22]。
楽曲に関するエピソード
- 代表曲「レッツゴー!! ライダーキック」は、1曲2万5,000円のアルバイトで歌唱[17]したものであり、子門はCMソングの収録だと思って参加していた[5]。同曲は事前に主演の藤岡弘によって収録されていたが、日本コロムビアのディレクターであった木村英俊の判断により子門の歌唱でも録音された[29]。放映では当初藤岡弘が収録したテイクが使用されており、自分の歌が流れることを期待して放送を見た子門はしばらく呆然とし[25]、ひどく落胆したという[5][6][3][注釈 2]。のちに藤岡が撮影中の事故で番組を一時降板したため、それに伴い主題歌も子門が歌唱したテイクに変更されたが[注釈 3]、子門は友人からの指摘で変更を知ったという[5][3]。
- 『勇者ライディーン』主題歌「勇者ライディーン」の収録直後、喫茶店でコーヒーを注文しようとした子門が思わず「ライディーン!」と叫んでしまったという逸話がある[30]。また、同作の挿入歌「海よ」は、後年子門自身がアニメ雑誌にて「一番気に入っている(楽曲)」と述懐している[26]。
- 「およげ!たいやきくん」は当初生田敬太郎が歌唱したものが放送されていたが、後に子門の歌唱するものに変更された。なお、同曲も1曲5万円のアルバイトで歌ったものであり、子門自身この曲がメガヒットになるとは思わなかったため、レコード会社から「歩合と買取どちらが良いか」聞かれた際に軽い気持ちで「買取で」と答えている。なお同曲のヒットにより、後に100万円と白いギターをもらったとされる[31]。
- 『青春ラジメニア』の主題歌「青春ラジメニアの歌」の歌詞は、リスナーから応募された歌詞の中から子門自身がピックアップしたものである[32]。
- 『Aランクサンダー 誕生編』の主題歌「Aランクサンダーの歌」は、当初ヒデ夕樹の起用が検討されていたもののヒデへのオファーが難航し、子門が起用されることとなった[33]。また、実際のゲームソフトには収録されなかったもののレコーディング自体はフルサイズでされていたとのこと[34]。
シングル
- 故郷の悲しき星[注釈 4] / 涙のギター(1966年5月) - 「藤浩一」名義
- 黄色いレモン[注釈 5] / 涙のナイトトレイン(1966年8月) - 「藤浩一」名義
- ハートで歌おう / 悲しみの翼(1966年) - 「藤浩一」名義
- 愛の叫び / ギターよおまえに(1967年3月) - 「藤浩一」名義
- 夢はバラ色 / 風はあなたのたより(1967年11月) - 「藤浩一」名義
- ミスター・ドライバー / 心のアルバム(1976年7月、トリオレコード、3B-136)
- ヒット・パレード・ジャングル / ぼくのルーツ(1977年)
アルバム
※オムニバス盤は除外
- 歌え!ハッピッピー(1976年、佼成出版社)
- 子門真人 テレビ主題歌を歌う(1976年、日本コロムビア)
- 子門真人のキングコング(1977年、東宝レコード)
- こどもにおくるメルヘンの世界 子門真人うたう絵本(1977年、東芝EMI)
- 子門真人がうたう「ひらけ!ポンキッキ」ベストアルバム(1987年、ポニーキャニオン)
- 「子門真人ヴォーカル・コンピレーション」シリーズ(1997年-2003年)
- 子門真人ヴォーカル・コンピレーション SONGS FOR HEROES<青盤>(1997年11月1日、日本コロムビア)
- 子門真人ヴォーカル・コンピレーション SONGS FOR HEROES<赤盤>(1997年11月1日、バップ)[注釈 6]
- 子門真人ヴォーカル・コンピレーション SONGS FOR HEROES<桃盤>(1998年12月19日、日本コロムビア)
- 子門真人ヴォーカル・コンピレーション SONGS FOR HEROES<緑盤>(1998年12月21日、バップ)[注釈 6]
- 子門真人ヴォーカル・コンピレーション ひらけ!ポンキッキ・コレクション(2003年2月19日、ポニーキャニオン)
- 子門真人ヴォーカル・コンピレーション COVER & RARE COLLECTION(2003年2月19日、ポニーキャニオン)
- 子門真人ヴォーカル・コンピレーション COVER & MORE COLLECTION(2003年2月19日、ソニー・ミュージックエンタテインメント)
- 子門真人ヴォーカル・コンピレーション TV SIZE COLLECTION(2003年2月21日、日本コロムビア)
- 子門真人 ベスト・コレクション(2010年3月15日、ポニーキャニオン)
- ベスト・オブ・ベスト 子門真人[39](2015年4月1日、日本コロムビア、COCX-39016)
楽曲提供
- ザ・ライオンズ
- 「絵の中の恋人(TELL ME)」(1969年、作詞・作曲) - 「椿もとみ」名義
- 「恋の十字路(I WOULD CRY)」(1969年、作曲) - 「椿もとみ」名義
- ファイヴ・キャンドルズ「愛をあげよう(Non Non Non)」(1969年、作詞・作曲) - 「椿もとみ」名義
- ザ・タックスマン「チュー・チュー・ラヴ(Choo Choo Love)」(1969年、作詞・作曲) - 「椿もとみ」名義
- 中山恵美子
- 「白い波をのこして」(1972年、作曲) - 「藤ひろかず」名義
- 「しばらくは涙」(1977年、作詞作曲)
- 「ラッキーリップス」(1977年、作曲)
- 高橋キヨシ「思い出は泪と共に」(1972年、作詞作曲)
- 朝倉理恵「ひとりの部屋」(1973年、作曲)
- 朝霧マチ(葛城ユキ)「小さな出発」(1976年、作曲)
- 山本リンダ「お友達」(1976年、作曲)
- ピコ(ポップコーン)「思い出は涙と共に」(1977年、作詩作曲)
- 大橋照子「たんぽぽ色の飛行船」(1978年、作曲)
- 水森亜土「アレアレアラレちゃん」(1981年、作曲、『Dr.スランプ アラレちゃん』初代エンディングテーマ) - 「サタンタ」名義
- 「はたけにおやさい」(作曲) - 日本キリスト教団讃美歌委員会「こどもさんびか」
その他テレビ
- 「子門といっしょに」(1979年3月3日、日本テレビ)
映画
- アニー(1982年) - バート・フィーリー〈ピーター・マーシャル〉 役
注釈
エンディングは、番組開始当初から子門の歌唱であったが、それには気づかなかった[6]。
レコードでも当初藤岡版がリリースされたが、同一品番で藤浩一(子門)版に差し替えられている。なおそれ以降、『仮面ライダー』のソングアルバム制作にあたり「レッツゴー!! ライダーキック」原盤は日本コロムビアに移管。新曲をコロムビアが制作し、アルバムとしてリリースした。そのためシングル2曲は「藤浩一」名義、新曲分は子門真人名義で記載されている。
クレジットなし。仮面ライダーアマゾンの変身シーンでこだまする声に、子門の声が使用された。
西友創立10周年を記念して1973年から1982年まで計10回開催されたファミリーミュージカル企画。
西友創立20周年を期に従来のファミリー劇場企画が有料公演にリニューアルされることになり、それに伴い名称も「西友ミュージカル」と改められた
セゾングループの広告代理店「SPN」を退職後、ミュージカルに対する夢を語った講演が制作会社の耳に入り実現することになった自作自演の子供向けミュージカル。19世紀のアメリカを舞台に白人の少女とインディアンの少年の交流を大人たちの争いを対置して描いた作品。その他の出演者は斎藤豊治、一城みゆ希など
出典
“子門真人”. 日本コロムビア. 2015年3月2日閲覧。
宇宙船編集部、1996、「「宇宙船談話室」菊池俊輔」、『宇宙船』(vol.75(1996年冬号))、朝日ソノラマ p. 60
“『およげ!たいやきくん』を歌った子門真人”. 商工ジャーナル 2: 54. (1983).
『子門真人 ヴォーカル・コンピレーション SONG FOR HEROES <赤盤>』(CDライナー)子門真人、バップ、1997年。VPCD-81235。
「『およげ!たいやきくん』の子門真人 サラリーマン辞め ミュージカルへ転身」『朝日新聞』1987年3月9日付東京夕刊、13面。
『子門真人 ヴォーカル・コンピレーション -TV SIZE COLLECTION-』(CDライナー)子門真人、コロムビアミュージックエンタテインメント、2003年。COCX-32076。
『子門真人 ヴォーカル・コンピレーション SONG FOR HEROES <桃盤>』(CDライナー)子門真人、日本コロムビア、1998年。COCX-30226。
宇宙船編集部、1988、『宇宙船』(vol.43)、朝日ソノラマ
『子門真人 ヴォーカル・コンピレーション SONG FOR HEROES <青盤>』(CDライナー)子門真人、日本コロムビア、1997年。COCC-14585。
「メロディーとともに (4) およげ!たいやきくん」『神戸新聞』1999年5月14日付夕刊、3面。
「コマーシャルフィルムが完成 -電波によるガス安全使用PR-」『日本瓦斯協会誌』第32巻・第10号、日本瓦斯協会、1979年、写真ページ(ノンブルなし)。NDLJP:2337848/4
- 水木一郎 - 子門とともに「アニメソング御三家」に数えられる。
- ささきいさお - 子門とともに「アニメソング御三家」に数えられる。
- 電気グルーヴ - 1993年に子門'z名義で企画盤をリリース。子門のコスプレをし子門を歌声を模した歌唱法で楽曲を発表した。
- 高野二郎 - 2011年の映画『電人ザボーガー』において楽曲をカバー。「平成の子門真人(HEISEI SHIMON)」を標榜し、歌手活動をしている。