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全知全能な創造主、万物の絶対的支配者、王の中の王として一神教(ユダヤ教・キリスト教・イスラームなど)で信仰されている対象 ウィキペディアから
唯一神(ゆいいつしん)とは、古くは預言者としてのアブラハムに出現したとされる単一の神を指す。広義の意味における唯一神は、単一神教において、その唯一性を強調した宗教にもあてはめることができる。狭義の意味においては、ユダヤ教、イスラーム教、キリスト教において国教化された宗教の神を指した言葉として、一般化されている。これらの宗教の神や救済者の認識については、三者三様であるが、アブラハムの宗教として同一の起源を持つとされている[注 1]。唯一神の信者は、この世界が滅んだのち、自分たちの崇拝する神が、絶対的な新しい世界を創る、という信仰を持っている。唯一神は、他の神々の存在や他宗の信者の存在を原理的に否定しているとされている。それは、この三宗教のお互い同士の不仲・戦いにも当てはまっているようだ。
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唯一神の救済の対象を、一つの民族とした場合、他の民族は神の救済の対象外とされやすい。この教義が終末思想と結びついた場合、他民族排斥や民族闘争になりやすいといえる。
唯一神の救済の対象を、一つの宗教とした場合、他の宗教信者は神の救済の対象外とされやすい。この教義が終末思想と結びついた場合、異端排斥や異端弾圧や宗教戦争になりやすいといえる。
唯一神の救済の対象を、地球全体の民族・宗教とした場合、人類全体が神の救済の対象と見なされることにつながる。人類愛や、平和な世界を希求する生き方が選択されやすいといえる。
ユダヤ教では、創世記に出てくる、天地を創造した神を唯一神としている。
唯一神・絶対神という神観念は、モーセの時代よりもずっと後に発生したものであるとされている。神の啓示としてみた場合、モーセの時代には、他の偶像崇拝の信者とも、調和的に生きよという啓示が下されていたことになる[注 2]。モーセの時代の、他との調和をはかるようにという神の啓示が、亡国により、唯一神として他の宗教を認めないとする原則の聖書の言葉に変化した、と見ることができる。そのため、最も古い神観念はモーセの時代の拝一神教から始まり、バビロン捕囚のときに、創世期から唯一絶対の神として、変化していったということができる。
旧約聖書における神の呼称には、ヤハウェとエロヒムの二つがあるとされる[注 3]。エロヒムという語は、イスラエルの神として単数形で表されるというルールがあると同時に、複数形で表されている記述があるとされる。創世記の、「神はまた言われた、われわれのかたちに、われわれにかたどって人を造り…」の部分において、冒頭の「神」はエロヒムであり単数動詞が使われているが、しかし同じ文脈で「われわれ」という語も使われているとされる[1][注 4]。
ヘブライ語聖書には、エロヒムという語が2500回以上も出現するとされる。一般的には最高神としての「神」を表すと考えられるが、それ以外にも、特定の神、モアブの神、悪魔、セラフィム、その他の超自然的存在、死者の霊、そして王や預言者に対してさえも使われたとされる[2]。
前6世紀後半~前4世紀後半、ペルシャ時代において第二神殿の建設と聖書成立の開始が為される。この時期にモーセ五書の律法の部分が成立し、聖書が神の言葉としての強い権威を持つに至ったとされる。また、この時代に律法が作成された理由としては、ペルシャ当局の統治政策により、ユダヤ民族が従うべき掟を文書として提出しなければならないという命令が下されたことがあげられるとされる。これによって、公式に提出された律法はもはや変更できないという状況となり、政治的な権威も加わって、モーセ五書が神の言葉としての絶対的権威を持つに至ったとされる[13]。
イスラーム教において、初期のころは、他との調和をはかる拝一神教であったが、メディナ期になると、敵と戦う絶対的一神教に転化した。
ウスマーン版ムスハフ全体を通じて、神の呼称は一貫していないとされている。初期のメッカ時代には、その時期ではおもに「主」と「アッラー」が、用いられているとされる[16]。また、「われ」と言ったり、「われわれ」と言ったりする場面が数多くある[17]。
神の存在について、ムスハフ解釈本では、二種類の姿が啓示されている。一つには、神は、「超越的・遍在的な人格神」としての姿であるとしている。これは、現代の宇宙論にも通用する姿であるといえる。もう一つは、神は、人間の上空にあって、全ての存在を支配している「高み座に座している人格神」であるとしている。そのどちらも、ムスハフでは、慈悲の神の姿として啓示されている[注 9]。
啓示宗教における実存的な神としてみた場合、イスラームにおける「超越的・遍在的な人格神」は、ユダヤ教・キリスト教における「在りてある神」という神観念と同じであると見ることができる。
イスラーム教の「ナスフ」についても参照
論理的な観点からすると、絶対者としての神の属性としては、慈悲・真理・善・調和等の具現、だまして支配しない、啓示に矛盾がないなどがあげられるようだ [注 10]。
イスラームの場合、唯一神としての神の啓示の中に、「この宗教の啓示には矛盾が含まれている」という言葉が下されている[注 11]。
また、「神以外の存在から啓示が出ている場合、その啓示には、いろいろな矛盾が見つかるはずである」(コーラン4章84節)、という啓示は、偶像の存在を認めているという点で、拝一神教に近いといえる[注 12]。この啓示は、コーラン2章 106節の啓示とは正反対の位置にあることがわかる。「(この宗教の)神の啓示には、矛盾があるときがある」という言葉には、矛盾した啓示も神からの啓示であるとしているためである。このことから、ムハンマドに下された神の啓示には、二種類の神の姿が表れていることになる。一つには、矛盾のない神の啓示(拝一神教)であり、これは、クルアーンにおける最初期の啓示に当たる。もう一つは、矛盾した言動により最初期の教えを破棄(ナスフ)する、神ならざる霊的存在の啓示(唯一神)である。唯一神は、メディナ時代の啓示に見られる神観念であると見ることができる。
アブラハムの神とされる唯一神は、霊的存在である天使ガブリエルを通して、直接、ムハンマドにクルアーン(ウスマーン版ムスハフ)(ムスハフ解釈本)として、多くの言葉を啓示している。アッラーとしての唯一神は、平和の神であると同時に、他宗教と戦争をする神でもある。ここに、大きな矛盾が存在するため、各宗教の信者の「アッラー」及び「ムハンマド」に対する見方は、様々なものとなっている。
メディナ時代の10年間において、イスラーム信者は、自分の周りに何か問題が起きると、それをムハンマドに相談することができた。そして、ムハンマドに相談するだけで、神様の方からそれに関する「啓示」が下されたとされる。その場合、信者は、別に改めて神にお伺いを立てなくても良かったと言われている。そして、そのお告げが、信者の問題に対する答えに該当していた、という現象が起きていた場合があったとされる。そのため、ムハンマドが生きていた間は、彼が生きた法典としての立場にあった。その後、神の啓示で、「何か問題があればムハンマドに聞け」という啓示があった。この啓示は、ムハンマドを立法者としての立場に立たせ、彼を王として決定づける方向に進んだ。
クルアーンの示す神の啓示に基づいて国を維持してゆくためには、クルアーンに含まれる矛盾をそのままにしておいたのでは、国家が成り立ってゆかないと言える。神の真理とされるクルアーンに矛盾があると感じるのは、その背信者の解釈の仕方が誤っている、とされている。クルアーンには誤りがないとか、預言者に誤りはないというのは、帝国となった後の為政者が決めたことである。[注 13]。
スーフィズムとは、個人的、実存的なイスラームであり、メッカ期の啓示の精神を原点として発展してきたものであると言える[18]。
スーフィズム等の歩んできた「内面へのみち」というのは、だいたいにおいて、メッカ期のイスラーム信仰の系統であると言える。メッカ期のイスラームの特徴としては、人間の個人個人の宗教的実存の在り方に直面したものであった。罪を自覚した人間が、神の呼びかけに対して、どう応えてゆくかというものであった[19]。
宇宙の内面的真理に通じていて、奇跡を行う能力を備えた人を聖者として信仰するスーフィズムもある。本来の自己存在がもともとは神と一体化したものであるということを知ることを目的として、霊性現成のために、内的に神と会えるように、修行をする。また、クルアーンには、2章109節や50章15節などに見れるように、「神が人間の内側に存在する性質もあること」を示す章句もある[20]。
悟りの項目を参照
現代において、マララ・ユサフザイは、イスラーム教は平和の宗教であるとしている。彼女は、宗教という枠を越えた、世界規模での教育の普及を訴えている。彼女は教育を通して、ムハンマドやイエスやブッダから思いやりの心(慈悲の心)を学んだとしている。世界中の人々が、神の心の現れともいうべき「他を思いやる心で生きることができる」ように、教育の普及に向けた活動をしている [21]。
ムハンマドの当時、ユダヤ教徒はムハンマドを預言者として認めなかった。その理由としては、ムハンマドの、ユダヤ教に関する啓示に問題があったことと、当時彼が九人の妻を持っていたことがあげられている。「結婚のことばかり考えている神の使徒というのは、ありえない」というのがユダヤ教徒の主張であったとされている[22]。しかし、聖書の間違いや重婚のことはムハンマドから出たことではなくて、メディナにおける神の啓示から発生した事態であると言える。そう見てくると、ユダヤ教徒とイスラーム教徒との関係悪化となった最初の原因とは、メディナ期における啓示の内容に問題があったことであると理解することが出来る。また、ムハンマドはメディナに移住するにあたって、アンサールだけではなく、同じ神を信じているユダヤ教徒からも、経済的な援助をしてもらえるものだと考えていたようである。神の啓示が、ユダヤ教とは違って行ったので、ムハンマドは、ユダヤ教徒から援助を受けられず、また、預言者としても認められないこととなった。そして、金銭的な問題が絡んでいたこともあり、ムハンマドとユダヤ教徒との事態の悪化は深刻となったようだ[23]。
ムスハフは、キリスト教圏では、偽りの本とラベル付けされている。 ムスハフでは、キリストは十字架では死んでおらず、身代わりの弟子が死んだ、という見解を啓示している。それらの見解は、神の自己認証だけを証拠として啓示されているので、虚偽の書と指摘される素地は、啓示自体の中にあるようだ。またそうした考え方は、ムハンマドの住んでいた地域には、異端的なキリスト教が広まっていたためだという解釈もなされている[24][注 14]。また、聖書の記述について下された啓示が、誤った歴史認識による、矛盾を含んだ真理として記録されていたケースがある。(三位一体を神、イエス、マリアとするなど)。
キリスト教の立場からすると、ムスハフは、過激派を生み出す悪しき宗教書と受けとめられている[25]。
神がかり宗教(「巫者を神が支配する宗教」)としての側面を持つ一神教
『クルアーン』の初期の啓示は、偶像崇拝や、聖石崇拝における砂漠の巫者特有の「啓示」の表現形式であるサジウ体で行われた。偶像崇拝や、聖石崇拝や多神教は、クルアーン以前から行われていた伝統的な砂漠の宗教である。クルアーン以前の巫者は最も下等な偶像崇拝である聖石崇拝を主に活動していたとする見解がある。ムハンマドの場合、神が啓示するというのは、神が預言者に憑依するという形式で行われることが多かった。その状態は、第三者から見ると偶像崇拝や聖石崇拝の巫者と大して変わりがなかったと言える。そのことから、一神教を掲げるムハンマドは、自分が聖石崇拝者と同類に見られることを嫌ったとされる[26]。
メディナ時代に入ると、神の啓示は、旧約聖書に出てくるような内容を、「散文体」で啓示した。ムハンマドは、カアバ神殿で行われていた偶像崇拝の一部である聖石信仰と一神教を習合したとも言える。メディナ時代の神は、偶像崇拝者を敵とみなしてはいる。しかし、当時のアラブの偶像崇拝の伝説をイスラームの土台に据えることによって、「絶対的一神教」と神がかり宗教(「巫者を神が支配する宗教」)との融合が図られたとする見解もある[27]。また、ムハンマドの宗教は、クライシュ族に信仰されていた宗教の一派の信仰を、拡張したものである、とする見解もある[28]。
メディナ時代における神の啓示では、アブラハムとイシマエルがカアバ神殿を建設したとされている。しかし、この見解は、一般的には、ムハンマドの創作した見解であるとされている。また、ムハンマドは、アラブの民族感情の上にイスラムをしっかりと基礎づけるために、アブラハムの宗教と自分の主張とを結びつけたとされている[27]。メディナ時代のイスラームの歴史は、ムハンマドがアラビアの王になるまでの政治的成功の歴史でもある。一神教と聖石信仰を融合していったムハンマドの支配者としての思想を重点に置いて見ると、そのような見解が生まれてくるものだと言える。
ムハンマドの場合、最初のうちは洞窟などで瞑想にふける修行をしていたようだ。そのことは、ムハンマドには預言者としての心の境地が整っていた、と見ることができる。当初、彼には、主なる神の啓示が降りてきたようである。しかし、やがて彼は、政治家として、戦闘や殺人や強盗に手を染めるようになってしまった。そのため、彼には、主なる神の啓示が降りてこなくなったようである。ムハンマドに降りてきた啓示は、聖石信仰ともいえる散文的な啓示だけであった[注 15]。
「巫者を神が支配する宗教」の特徴としては、啓示を受ける巫者の心の境地の状態に応じた霊的存在が、その人の体を支配するとされている。聖なる存在は聖なる心に来たり、俗なる存在は俗なる心に引き寄せられるとされている。降霊を待ち望んでいる人の心には、心の隙があるとされる。降りてきた霊の姿を霊視できない場合、神だと名乗ってきた低級霊にだまされることは、往々にしてあるとされる。ムハンマドは霊聴はできたが、たまにしか、霊を視ることはできなかったとされているので、だまされやすい条件はそろっていると見ることができる[注 16]。
イスラーム教「ムスハフ解釈本」についても参照
ムスハフにおいて、預言者の権威を確立させている箇所は、すべてメッカで啓示されたものであるとされる。メッカ初期の啓示には主なる神の姿がよく表れている。
初期の啓示とは、最初の神の啓示から、約四年ほど経つまでの間に下されたアッラーによる啓示を指す。その、最初期の啓示に顕された姿は、ユダヤ教(なかでもモーセの十戒)やキリスト教(なかでもナザレのイエスの教え)で説かれている神の姿とたいへんよく似通っているとされる[29] [注 17]。 97章では、「天使たち」と「聖霊」は、主のお許しを得て、すべての神命をもって地上に降臨することが啓示されている。これは、ユダヤ教の世界観と同じような世界観であると見ることができる。また、ごく初期のものとされる96章1~5、74章1~7では、「あなたの主」、という呼称が、神の啓示の中で用いられている。
『クルアーン』第88章では、神が天地の(ひいては宇宙の)創造主であることを顕している。ここではメディナ期の啓示における平坦な地球を回る天動説の宇宙論とは異なり、現代でも通用する総合的な表現がされている。神の創造により万物がつくられたと表現されている。人間が眼前に見ることができる自然の営みの中に、神の力が見られるとされている。めぐりゆく自然の姿も神の創造の力であるとされている[30]。 また、地球環境を全体的に整え、人間が生活できるように保っているのは、変わることのない神の慈悲心のあらわれであるとされている[30]。
106章1には、「クライシュ族をして無事安泰に」という啓示があり、これは初期の啓示であるとされている。強情な偶像崇拝者であっても、無事安泰を祈れ、すなわち敵の平和を祈り行動せよということが言われている[31]。
106章3には、彼ら偶像崇拝者はそのまま彼らの主としている神におつかえさせておけばよい、ということが、神によって言われている[注 18]。神は、すべての存在を育んでいる。そのため、神には、敵というものは無いと考えることができる。「あなたのために、わたしの前に他の神々があってはならない」というモーセの説いた、十戒の第一条と同じもののようでもある[注 19]。
人間は智慧を持つ存在となるように成長してゆくことができる。神はそのように人間を作った。96章において、神は、孤児であったムハンマドを導き、望んでいた女性との結婚ではなく、ハディージャという未亡人との結婚を通して、財政的にも、知的にも豊かになるように導いた[32]。
人類を導くために「使徒」を遣わすことも神の恩寵の一つである。初期には最後の使徒ということは言われておらず[33]、むしろ、苦しむ人間のいる世界が終わらない限り、「使徒」は必要とされてゆくでしょう。よりよく成長してゆく人間がいる限り、神は使徒を送り続ける、というようなニュアンスがある。カダルの夜に、天使たちと聖霊は、主のお許しを得て、すべての神命をもって聖なる月に降臨することが啓示されている。それは、一年に一度あるとされている[34][注 20]。
また、後年アラビアの王となったムハンマドに警告するかのように、「汝は一人の警告者にほかならない、彼らの支配者ではないのだ」、というメッセージも下されている[30][注 21]。
初期の啓示においては、肉体が復活する最後の審判については明言されていない。神がこの世を滅ぼしたのちに、新しい世界を創るということも想定されていない。そのため、初期には拝一神教として成立していたと見ることができる。初期の啓示(84章)においては、死んで地獄に行った男が地獄で苦しめられている様を、今まさに、目の前で神が見ている様が描かれている。そして、人間には、死ぬと天(天国)に上る魂があるようである。(あの世に行ったと思われる)魂が、何段階かに分かれている天の国を、渡り歩く姿が描かれている[35]。「最後のさばきの日」(ヤウム・アッデイーン)という語には、「真実の時」という意味もあるとされている[36]。初期のころ、クルアーンが朗誦されたときに、それを聞いた者のズィクル(喚起)と一体となった姿で審判の時が説かれていたとされる。クルアーンの朗誦は、聞き手が「真実の時」を生きるように、実存的ともいえる、時空を超えた神の審判に直面させる現象が生まれるとされている[37][注 22]。
モーセの神は、一つの天地を創った、という点から見ると、真理とされる「唯一の神」であるという見方ができる。
モーセに啓示を下した神は、他との協調を重んじたという点から見ると、拝一神教の神であるといえる。ユダヤ民族が他国と戦争することをよしとせず、他の土地に導いた導きの神でもある。何もない荒地の中を、神は、40年間導いたとされる。
ヘブライ語聖書(タナハ)におけるモーセの十戒は、字義どおりに言うと、ヘブライ語聖書では「十の言葉」であるとされている[注 23]。
イエスの宗教は、異端を認めていたという点で、「父なる神」としての唯一神を信仰するところの拝一神教であったといえる。神の子については、「平和をつくりだす人々」という複数の人間について、神の子であるとしていた。自分一人が神の子であると語っていたわけではないので、神の啓示としては、人類は神の子であるという認識が啓示されていたようである。また。聖霊に対する罪は、永遠に許されることはないとしていた。唯一神は、神と聖霊は別格であるという啓示を、イエスに下していたと見ることができる [注 28]。
父なる神について、イエスは一なる神としていた[注 29]。
拝一神教と絶対的一神教を区別することの一つに、この世が滅ぼされ、そののち、神による新しい世界が創られる、という終末観念がある。
イエスが直接に語った終末観とは、マルコ福音書13:32にある「かの日ないし〔かの〕時刻については、誰も知らない。天にいるみ使いたちも、子も知らない。父のみが知っている」、という記述であるとされている[38]。なお、マルコ福音書に出てくる終末については、エルサレム神殿崩壊を世の終わりの出来事と理解する筆者の見方や古い注によって編集されており[39]、 不明瞭な記述となっている。世の終わりについて、ナザレのイエスは天のみ使いさえも計り知ることのできないほどの深遠な事態であるとしているのに対して、パウロは、自分が生きているうちに主の来臨の時はやってくるとしていた。テサロニケ第一の手紙が書かれてから40年ほどしてからヨハネ福音書が書かれた。ヨハネ福音書[注 30]はイエスの終末観と共通の部分があると思われ、世の終わり・裁きの時という概念は明瞭になっていない。人々がイエスの啓示に対して下す判断が、その人の運命を決定するとされ、悪人を裁いて滅ぼすためではなく、救うために布教していることが記されている[40]ヨハネ福音書では、裁きはもう来ているとされていて、この世の支配者はすでに裁かれたともされている。[40]
西暦325年、教会会議がローマ皇帝コンスタンティヌスの命の下に、小アジアのニケアに召集された。長老アリウスの見解は、イエスは神に創造されたものであり、御父に従属するという聖書の啓示に即した見解であった。
キリスト教の神は、ユダヤ教における唯一絶対の神を神としている。それと合わせて、神より来るとされている霊的存在についても、唯一神としている。さらには、歴史上の人間を唯一神と同格の神として信仰している。神の子は複数の人間を指すのではなく一人の人間を指している。
啓示宗教としてみた場合、キリスト教においては、三位の神が、それぞれに啓示を下すとされている。啓示を受け取るのは、信者個々人や、教会組織がそれを受け取る。神の場合、キリストの場合、聖霊の場合、各聖人の場合があり、それを受け取る側が、神の啓示であると認識する構図となっている[注 31]。
新約聖書においては、三位一体の神という啓示はない。また、十字架による贖罪や、無原罪のマリアという啓示もない。
神の啓示に基づくとされる新約聖書には、イエスは神に創造されたものであり、御父に従属するという見解がある。また、聖霊に対する罪という観念において、イエスは三位一体とはならないことを述べている。そうしたことから考えると、三位一体説は、啓示宗教というよりも、人為宗教的な教説であると見ることができる。
若年の助祭長であったアタナシオスは、イエスと神は同じであり、同一の存在であると唱えるようになる。他方、長老アリウスをはじめとする人々は、イエスは神に創造されたものであり、御父に従属するという聖書見解を守った。西暦325年、こうした論争を解決するための教会会議がローマ皇帝コンスタンティヌスの命の下に、小アジアのニケアに召集された。異教徒であったコンスタンティヌスはこの会議において,アタナシウスの側を支持した。その結果、聖書に忠実に従おうとしたアリウスの述べた見解は異端と宣言された。
それと関係のあることとして、カトリックにて用いられている十戒には、偶像崇拝の項目が省かれている。
イスラームの神の啓示によれば、人間を神とすることは、偶像崇拝であり、また、聖母等の、仲介者による罪のとりなしは意味がないとされている。新約聖書において、三位一体の神という神の啓示がないのと同じく、神が三であるとする神観念は、誤りであると啓示されている。イスラームの神が認めているのは、一なる神という神の姿である。
歴史的に見ると、ムスハフは、神がかりの状態になった人間が、恍惚状態のなかで口走った言葉を書物にしたものである。啓示をしたのは誰か、ということについて、客観的にはっきりしたことを証明することはできない。それは、知ることのできない何者かが為したことである、とする見解がある。 啓示全体が下された20年余りの時期を、三期に分ける研究の仕方が一般的であるとされている。最初期の啓示の文体は、荘厳で詩的なものであった。それは、シャーマンや巫者が用いるところの、「カーヒン」と呼ばれる、神霊的言語形式であったとする見解がある。啓示してくる霊的存在のなすがままに、ムハンマドは、異様な言葉を吐くという状況であったとされる。激しい苦痛と苦悩のうちにそれは行われた[41]。最初期の時代の啓示には、神の威厳が大変強く現れているとされている。宗教的緊張感を伴った、これらの神的な啓示は、最初期の時期に特有のものであるとされている。しかし、やがて、メディナ期になると、ムハンマドの問題提起に応じて、神の「お答」が下されるという、弛緩して身体的にもゆるやかな散文形式の啓示となったとされる[25]。
啓示が下された当時、それらの啓示がすべて神よりもたらされたものと判断したのは、ムハンマドである。ほとんど場合、彼の自己意識は喪失した状態で、神の言葉を口が勝手に語る、という状態だったようだ。しかし、ムハンマドは霊の声を聴くことはできたが、霊を見ることは時々しかできなかったようだ。はじめて啓示が下されたとき、彼は自分が悪霊につかれたものと判断した。それが神よりの啓示であると直感したのは、彼の妻であった[42][注 32]。
イスラーム世界の大きな矛盾の一つに、イスラム教とキリスト教とは同じ一神教を掲げている、兄弟ともいえる間柄であるのにも関わらず、敵同士の関係になっている、という点がある。この矛盾点が生じた原因に関してみるならば、「神以外の存在から、啓示が出ている場合、矛盾が生じる」ということが原因であると見ることができる。
イエスの存在は、イスラーム教とキリスト教という二つの世界観における、大きな共通項であるとする見解がある[25]。ムスハフによれば、歴史的な存在としてのナザレのイエスは人類の教師としての存在であるとしている。そのナザレのイエスの本質的な教えと、ムハンマドに下されたクルアーンの初期の教えとの間には、矛盾は見当たらないと見ることができる。そのため、ムスハフの本来の教えは慈悲の教えであるという見解に矛盾はないと見ることができる。
ムスハフにおいて、イエスの本質は、神から発する言葉(神的なロゴスの意)であるとされる。歴史的存在としてのナザレのイエスは、現世にても天の世にても神の高き誉を受けている。イエスの存在は、神の存在のすぐ近くに存在している、と解釈されている [25]。
57章27節において、神は、「イエスを預言者として召し出し、福音を授け、これに従う人々には、慈悲の心とやさしい気もちとを置いた」、ということを言っている。これは、神の啓示がキリスト教と対立するようになってからの啓示である。このことは、キリスト教によって変化する前の歴史的存在としてのイエスの教えは、ムスハフの説く教えと同じであったということを示している。また、ムスハフの中において神は、キリスト教の説く三位一体説は、人間であるイエスを神としているので、これは誤りであるとしている[43] 。 その意味からすると、人間であったイエスを神の息子としての神の子であるとすることや三位一体の教説を主張している四福音書は、重大な誤りを含んでいるといえる。それは宣教のための物語である、とする見解もある[注 33]。四福音書にはそれぞれに記述の食い違いがあるという点を、イスラームにおけるナスフによって言い換えると、それは、「啓典の歪曲」に当てはまるようだ。特に、ある同じ文書を見て作られたとされる共観福音書については、自分たちの宗派に合った伝承に、彼らの作者の手が加えられた物語であると言える。「啓典の歪曲」が多くみられる新約聖書は、神がイエスに下した啓示をそのまま記した言行録ではないといえる。共観福音書の作者は、神がイエスに下した啓示を歪曲して、自分たちの宗派に合った宣教物語を作成したと言えるようである[注 34]。イスラームの啓示において、新約聖書の啓示は歪曲されているという判断が下されていることと、イエスは神の被造物であるという聖書にもとづく見解は、同じものであるといえる。こうしたことから考えると、啓示宗教としてみるならば、唯一神を複合的にした三位一体説は、人為宗教的な神観念であるといえる。
エホバの証人における神は、ユダヤ教の唯一の神と同じとされている。神より来る霊的存在や、救済者については、キリスト教と同じで、これらも唯一神であるとされている。キリスト教との相違点は、この世における、この組織の頂点に位置する統治体のうえに、イエスキリストが臨在しているという点である。
エホバの証人の信仰している神の呼び方はエホバであるとしている。 エホバ神は、旧約聖書でいうヤハウェのことである。エホバ神は、「最後の時」を、1914年から起こしたとされている。エホバの証人の組織は、その観念への対応から初期の聖書研究会によって構築されたものであるが、統治体の上にのみイエス・キリストが臨在しているとしている。[注 35]。その、神とイエスの啓示が、信仰の基盤とされている。実際の信仰生活において、ヤハウェと、エホバの神との大きな違いは、「最後の時」を発動しているかどうかというところにあるといえる。
また、統治する王イエス・キリストは、これまでのキリスト教世界について、自分の父なる神の敵対者とみなしているとしている。[45]
ユダヤ教と同じ唯一神を神としている。天の父とされる唯一神は、完全な肉体を持っているとされている。神より来る霊的存在は、唯一神とは別個の存在であるとされている。人間として生まれた救済者は、唯一神の長子であるとされている。新約聖書とは異なる一冊の聖なる書物を神より啓示されたとしている。(その原本は現在存在していない。)また、教祖は預言者であるとされている。
太陽は一つしかないという認識に基づいて、太陽神を信仰することは、単一神教に類する唯一神信仰であるといえる。
宇宙は一つしかないという認識に基づいて、宇宙の真理としての人格的な一者を信仰することは、単一神教に類する唯一神信仰であるといえる。
自然の背後に、人格的な面を持つ真理が存在するということを信仰することは、単一神教に類する唯一神信仰であるといえる。
ある一定層に置いて、人間の創作品物において信仰を行う行動を起こすことがある。 「沙耶の唄」などの独特の世界観を持つものに対して、創作物でありながら独自の解釈を持ち唯一神として崇める偶像崇拝も信仰として成り立つと考える。
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