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イスラム教における預言者・終末論的人物 ウィキペディアから
イスラームにおけるイーサー(アラビア語: عيسى、ラテン文字転写例: `Īsā)は、ナザレのイエスのイスラム教における呼称である。キリスト教においてキリスト(救世主)として信仰の対象とされるイエスは、イスラム教とアラビア語ではイーサーと呼ばれ、イスラエルの子ら(banī isrā'īl)を新しい啓示インジールのもと導くために送られた預言者と位置付けられる[1]。
本項では、イスラームにおける預言者としてのイーサーについて解説する。
ムスリムはクルアーンを神からの最終啓示だと信じているが、これによればイーサーは、神アッラーの命じた奇跡すなわち処女懐胎の結果、マルヤム(阿: مريم、Maryam、マリア)を母として生まれた。イーサーを探索する動きから逃れられるよう、イーサーは奇跡を起こす力をすべて神の許しのもと得た。イスラームの教典によれば、イーサーは殺されることも磔にされることもなく、生き続けて天国に上がったとされる。イスラームの伝承では、イーサーは最後の審判が近づけば地上に戻り、司法を復活させて偽のメシア(al-Masīḥ ad-Dajjāl。偽メシア、反キリスト)を打ち負かすと考えられている[2][3]。イスラームのすべての預言者同様、イーサーはムスリムであり、人々に向かって神の意志に服従してまっすぐに進むよう説教したと考えられている。
イスラームは、「イーサーは人の姿をした神である、あるいは神の子である」といった考え方を拒絶しており、「イーサーは常人であって、他の預言者同様、神の言葉を広めるために選ばれた人間である」と主張する。イスラームの啓典は、シルク(Shirk。神以外の者の神格化)を禁じ、タウヒード(tawhīd。神の唯一性の概念)を強調する。クルアーンの中で、al-Masīḥ(油を注がれた者、清められた者。メシア)など、多くの称号がイーサーに付けられるが、これはキリスト教の教義による意味付けとは一致しない。しかし、イスラム教の救世主とは、世界を支配し、平和を確立し、すべての宗教をイスラム教に持ち込み、宗教を正義とするために、神がイエスを選択したことを意味する。しかし顕著な称号に限っては、アラブのキリスト教徒もしばしばこれを使用する。イスラームではイーサーは、ムハンマドの前駆者であり、ムハンマドの出現を予言した者と認識されている[3][4]。
ムスリムはマルヤムによるイーサーの処女懐胎を信じており(厳密な処女懐胎の記述はない)、クルアーンでもいくつかの章にわたって語られている。クルアーンの物語によれば、寺院にこもっていた不妊の女マルヤムを天使ジブリール(ガブリエル)が訪れる。神の行動や伝達をジブリールが代理することは、イスラームでは一般的である[5][6]。彼はマルヤムにイーサーの受胎を告げる。マルヤムは驚愕したが、これは自らの処女性を神に誓約して保持するつもりだったからである[7]。天使はマルヤムを安心させて、この受胎が神にとっては容易なことであり、神はマルヤムに人類へのしるし (āya) を示し、神からは慈悲 (raḥma) を示すことを望んだのだと告げた[8]。クルアーンでは受胎は、アダムの創造と同じく、神の創造的天意による結果であると述べている。
クルアーン釈義学者の幾人かは、この出来事はイーサーの懐妊に帰着すると解説する。その後、マルヤムは『遠い場所』に避難した[3]。
イーサーを産み落とした後、マルヤムは出産の痛みに襲われ、ヤシの木の幹の付近で休んだ。イーサーは揺りかごからマルヤムに、木を振ってその実を採り、イーサーの懐妊によるスキャンダルを心配するマルヤムの恐れを和らげるよう告げた。マルヤムは新生児を家族に見せ、口さがない噂を黙らせるためにイーサーは次のように宣言する。「見よ、私は神の使用人である。神は私に聖書を与え、私を預言者とした。どこにいようとも、神は私に祝福を与えた。神は私に祈りを命じ、施しを与え、私が生きる限り、同様に、母を大切にするよう命じた。」[3][9]。
イスラームの経典によると、イーサーは神に選ばれて、絶対唯一神の神託と神の意志への服従をイスラエルの子ら (banī isrā'īl) に説いた。ムスリムは、神はイーサーに新しい啓示インジール (Injīl) を示し、また以前の啓示トーラーの正当性をも宣言したと信じている。クルアーンはインジールの優位を説き、インジールはそれを支持する者に平穏で憐れみに満ちた心をもたらす聖書だと説いている。ムスリムは、これらの聖書が時とともに、文面、解釈ともにゆがめられたのだと信じている[11]。
イーサーは、彼のことばを信じた弟子たち (hawāriyūn) の援助を受け、自身らを『アンサール(ansār、神の助力者)』と称したとクルアーンは述べている。彼はまた、母マルヤムを訪れたのと同じ聖霊の支援を受けた[12]。
イーサーはイスラームにおいても、預言者の使命を与えられた証拠として、奇跡を起こしたと描写されている。こういった奇跡は、すべて神の許可を得て行われた。例えば以下のようなものである。
ムスリムの記述の中には、イスラムの預言者ヤヒヤー・イブン・ザカリヤー(洗礼者ヨハネとしても知られる)がパレスチナに赴いた際に、ヨルダン川のほとりでイーサーに出会ったと記されたものもある[17]。
イスラームの記述では、ローマ人とユダヤ人の手によるイーサーの磔と死を、明確に否定している[3]。クルアーンでは、ユダヤ人はイーサーを殺そうとしたが、殺しはせず磔にもしなかった、しかし同様のものが彼らに示されたという。代わりに、イーサーは生き延びて神のもとに昇ったという[18]。
「 | "「わたしたちはアッラーの使徒,マルヤムの子マスィーフ(メシア),イーサーを殺したぞ」という言葉のために(心を封じられた)。だがかれらがかれ(イーサー)を殺したのでもなく,またかれを十字架にかけたのでもない。只かれらにそう見えたまでである。本当にこのことに就いて議論する者は,それに疑問を抱いている。かれらはそれについて(確かな)知識はなく,只臆測するだけである。だが実際にはかれを殺したのでもなく,いや,アッラーはかれを,御側に召されたのである。アッラーは偉力ならびなく英明であられる。"[Quran 4:157–158] | 」 |
ムスリムの伝承によれば、イーサーは替え玉とすり替わったのだという。その替え玉はキレネのシモンだったのではないか、またイスカリオテのユダのような弟子のひとりであったのではないかとする説がある。イスマーイール派の解説書の一部や合理主義者 (falāsifa) は、イーサーの体は磔にあったが、イーサーの精神は引き上げられたと主張する。しかし通常、この解釈は否定される。イスラーム百科事典によれば、磔を主張する説は満場一致で否決されたという[19]。M.ハイエクのような現代の注釈者は韻文を解釈し、磔が「彼ら(つまりユダヤ人)にはこのように思えた」のだと述べている[3]。
ムスリムであるイラン人の映画監督が「イエスは十字架につるされず、イエスを裏切ったイスカリオテのユダが代わりに十字架に掛けられて死んだ」という設定の映画を作り話題になることもあるなど、イスラム教徒の間で「イーサーは磔にあっておらず、代わりにユダが処刑された」という話は広く信じられている[20]。
ムスリムは、イーサーがこの世の終わりに近い時期に再臨すると信じている。クルアーンの一節は、将来のイーサーの復活について、以下のようにうたっている[3]。
「 | "本当にかれ(イーサー)は,(審判の)時の印の一つである。だからその(時)に就いて疑ってはならない。そしてわれに従え。これこそ,正しい道である。"[Quran 43:61] | 」 |
イスラームの伝承によれば、イーサーはマフディー(正義の導き)による戦の最中に降臨すると考えられている。マフディーとは、イスラームの終末論ではイスラームの救世主として知られており、反キリスト(al-Masīh ad-Dajjāl。偽メシア)とその支持者に対抗する者である[21]。イーサーは、ダマスカスの白い拱廊に、黄色いローブをまとい頭に油を塗って降臨し、マフディーに加わって偽メシアと戦う。イーサーは、イスラームではムスリムであり、イスラームの教えを遵守する者と思われている。最終的にイーサーは偽メシアを圧倒し、すべての啓典の民(ahl al-kitāb、ユダヤ教徒とキリスト教徒をいう)が彼に従ってイスラームの教団ひとつにまとまるという[3]。
マフディーの死後、イーサーは指導的役割を果たすことになる。これはイスラームの物語では、全世界の平和と正義の時となる。イスラームの文章もまた、ヤージュージー (Ya'juj) とマージュージー (Ma'juj)、つまり地上に破壊を引き起こし拡散させる古代巨人のゴグマゴグの様子に触れている。神はイーサーの祈りに応じ、彼らの首に虫の一種を送り込んで殺す[21]。イーサーの統治は約40年で、その後彼は死亡するという。ムスリムはイーサーのために葬儀の祈り (Salat al-Janazah) をささげ、マディーナにあるムハンマド、アブー・バクル、ウマル・イブン・ハッターブ(ムハンマドの教友で、それぞれ第1代、第2代の正統カリフ)の傍らの空の墓に埋葬されるのだという[3]。
イーサーはクルアーンにさまざまな呼称で記述されている。最も一般的なのは「マルヤムの息子 (Ibn Maryam)」という形であり、しばしば別の称号の前に置かれる。イーサーはまた神のナビー (nabī) でありラスール (rasūl) であると認知されている。「ワッディー(wadjih。現世と来世の評価に値する)」「ムバーラク(mubārak。幸運な。他者への利益の源)」「アブドゥッラー(`abd-Allāh、神の召使)」の語すべてがクルアーンでイーサーを指している[3]。
しばしば使用される称号には、他にメシアを意味する『アル・マスィーフ (al-Masīḥ)』がある。これはキリスト教におけるメシアの概念とは異なり、例えばイーサーを含むイスラームのすべての預言者は死をまぬがれることはできず、いささかの神性をも分け与えられていないとみなす。ムスリムの釈義学者は、クルアーンの「メシア」の語の使用について、天の恵みと栄誉により聖別されたイーサーの地位を示すもの、あるいは盲人の目に油を注いで清めるなど病気治療を助けたことを示すものと説明している。そして、このタイトルは、イーサーが世界の最後の日に正義と平和を確立する世界の天王であることを意味する。[22]
イスラームの経典は、イーサーは神の正当な伝達人であるという考えに従い、イーサーが神あるいは神がもうけた子であるとの考えを拒絶する。この教義は、イスラームによればシルクであり、神と対等な提携を結んで神の唯一性(タウヒード)を否定したに等しい[23]。クルアーンの韻文には次のように記される。
「 | "「アッラーこそは,マルヤムの子マスィーフである。」と言う者は,確かに不信心者である。言ってやるがいい。「誰がアッラーに対し,少しでも力があろうか。もしかれがマルヤムの子マスィーフ,その母と地上の凡てのものを滅ぼそうと御考えになったら,誰が制止出来よう。」天と地,そしてその間の凡てのものは,アッラーの大権に属する。かれは御考えになられたものを創造なされる。アッラ―は凡てのことに全能であられる[24]。"[Quran 5:17] | 」 |
キリスト教の教義である三位一体の考えは、同様にイスラームでは拒絶される。こういったイーサーの神性の概念は、神の啓示を人がゆがめた結果生じたものだとムスリムは言う[23]。イスラームの見解では、イーサーは普通の人間であり、神の意志への服従と、神だけへの崇拝が救済をもたらすと説いた人物である。このように、イスラムではイーサーはムスリムであり、すべてのイスラームの預言者と同等とみなされる[25]。
イーサーはムハンマドの先駆者であり、ムハンマドの登場を予告した者であるとムスリムは信じている。クルアーンによれば、イーサーはアハマドという名の伝令の良い知らせを伝えたという[26]。ムスリムはアハマドからムハンマドを連想する。どちらの名前も「حمد」(Ḥ - M - D)の3子音語根の発音に由来し、賞賛の意味を持つ、つまりアハマドはムハンマドの名の一つなのである。ムスリムはまた、イーサーは新約聖書でパラクレートスに言及しており、この精霊の接近がヨハネによる福音書で予告されていると主張する[27]。イスラームの注釈者は、キリスト教からイスラームに改宗した者を含め、原始ギリシア語「periklutos」が語源だと主張する。periklutosとは「有名な」「傑出した」「称賛に値する」といった意味で、アラビア語に翻訳するとアハマドとなるのである。また彼らは、この語はキリスト教徒によって「parakletos」に置き換えられたとも主張している[3][28]。久保有政はこの「置き換え」についてムハンマドが不正確な聖書知識のもと誤解した結果としている[29]。
イスラームの禁欲主義あるいは神秘主義的文学、例えばガザーリーの『宗教諸学の再興 (Ihya `ulum ad-Din)』といった文学の中で、イーサーはムスリムに広く崇拝されている。これらの作品は、イーサーの貧困、崇拝への没頭、世俗の人生からの乖離やその奇跡に重きを置いている。こういった叙述にはまた、イーサーが行ったと思われる勧告や説教が含まれている。のちにスーフィズムの注釈書は、キリスト教の福音のうち、自分たちの禁欲的描写に一致するものを翻案している。スーフィーの哲学者イブン・アラビーは、イーサーを「普遍的神聖のしるし」だとし、イーサーの信仰の美質、また「彼はliving breathの鍵を手にしており、また彼は現在in a state of deprivation and journeyingにある」ことをその理由とした[3]。
広く認められた論によれば、以下の章句はマッカで啓示されたという[2]。
マディーナで記された章句の一覧は、以下のとおりである[2]。
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