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イエス・キリストの弟子、またはキリスト教の宣教者 ウィキペディアから
使徒(しと)は、狭義にはイエス・キリストの12人の高弟を指すが、それに近い弟子(パウロ、七十門徒など)にもこの語が用いられることがある。原義は、重要な役割を果たしたキリスト教の宣教者(「神から遣わされた者」)および、その宣教者の総称である。
原語のギリシア語は ἀπόστολος (apostolos) で、「遣わされた者」である。転じて「使者」「使節」をも指す。このギリシア語は、キリスト教文書以外にも出てくるものであるが、キリスト教文書の日本語訳の際だけ「使徒」という専門語を当てて訳すため、両者の単語間には齟齬がある。この点では、他の西洋語も、ギリシア語の形を踏襲しているものの、事情はさして変わらない(羅: apostolus、仏: apôtre、独: Apostel、英: apostleなど)。なお、「使徒」という訳語は、漢訳聖書から継いだものである。
また、イスラム教においては、ラスール(rasūl, رسول)という語が同じく「使者」の意であり、キリスト教の使徒と似た意味に用いられて、訳語として「apostle」や「使徒」があてられている。
新約聖書では、ἀπόστολος の語は(複数形 ἀπόστολοι も含めて)、「マルコによる福音書」、「マタイによる福音書」、「ルカによる福音書」、「使徒言行録」、パウロ書簡、「ヘブライ書」、ペトロ書、「ユダ書」、「ヨハネの黙示録」に用いられている。このうち、「マルコ[注 1]」と、「マタイ[1]」、「ヘブライ書[2]」は文脈上、この単語を単に「派遣されたもの」または「使者」という意味で用いている。他の文書では、ἀπόστολος は、固有名詞的に、何か権威ある称号のようなもの(日本語訳でいう「使徒」)として使われている。近代批評学では「原始キリスト教」において、「使徒」がどのような定義をもつ語として用いられていたのか、その詳細はよくわからないとされる。
ルカ(の著者)の十二使徒観ははっきりとしている[3]。ルカ文書(ルカ福音書と使徒言行録)によれば、「十二使徒」とは、最初にイエスによって選ばれた12人の弟子集団である[4]。旧約時代の神の民・イスラエルの12部族との関連で、12人という枠は維持すべきもので[5]、十二使徒の成員の条件としては、イエスの復活の証人であり、またイエスと生前をともにした者でなければならない[6]。またルカははっきりとパウロを使徒と認めている[7][注 2]
さらに、パウロ書簡は、使徒の基準を伝えている。パウロ書簡による使徒の定義は、復活した主イエスの証人であること[8]主イエスに使徒として召されたことである[9][10]。重要な点として、パウロは「使徒」としての権威を強調していることが挙げられる[11]。このパウロの使徒としての権威は、使徒ペトロも認めている[12][13]。次に、パウロは、使徒は12人(あるいは、自身を含めて13人)に限定していない[14]。
近代批評学では、パウロがルカと同じく、主の兄弟ヤコブを「使徒」とは呼ばないことにも、「使徒」の定義の謎が残るとされる。エルサレム教会の権威が失墜した時期以降、恐らく「使徒」の厳しい定義も消えていったと考えられる。
正教会やカトリック教会は、パウロを「使徒」と呼んで崇敬し、それは現代にまで至る。
前述のように、「十二使徒」は極めてルカ的概念である。ただし、ルカは「十二使徒」という言葉そのものは用いていない。新約中、この言い方は、「ヨハネ黙示録」21章14節のみである(マタイ10章2節については、前述の通り)。
新約聖書内では、ルカ福音書と使徒言行録を除いては、使徒を12人に限定していないが、イエスの高弟である「十二人」( δώδεκα) については、幾つかの文書に記されている。彼らは、イエスから悪霊を払うための権能を授けられたという。12という数字は、イスラエルの12部族に対応するものと思われる。「十二人」のすべての名は、「マルコ福音書[15]」に記されており、「マタイ[16]」、「ルカ[17]」、「使徒言行録[18]」は、これを写したものである。「ヨハネによる福音書」には、「十二人」の存在は語られるが、内数人のみの名が挙げられている。他に、「第1コリント書[19]」、「ヨハネの黙示録[20]」など。使徒言行録によれば、イスカリオテのユダによる欠員をマティアで埋めたという[21]。
福音書によって構成員の名前が異なること、ほとんど言及されない人物もいること(後掲の表参照)から、イエス時代の史実でないと考える研究者もいる。ルカの「十二使徒」という概念は、後に「正統派」教会においてドグマ化し、広く定着した。
マルコ | マタイ | ルカ | 使徒言行録 | ヨハネ |
---|---|---|---|---|
シモン・ペトロ(B1) | ペトロ | ヨハネの子シモン・ペトロ(B1) | ||
ゼベダイの子ヤコブ(B2) | ゼベダイの子ヤコブ | ヤコブ(B2) | ゼベダイの子たち(!)(?) | |
ヨハネ(B2) | ヨハネ | ヨハネ(B2) | イエスに愛された弟子(?)[注 3] | |
アンデレ(B1) | アンデレ(B1)(!) | アンデレ(!) | アンデレ(B1) | |
フィリポ(!) | フィリポ(?) | フィリポ | ||
バルトロマイ(!) | ||||
ナタナエル[注 4] | ||||
マタイ(!) | 徴税人マタイ | マタイ(!) | ||
トマス(!) | ディディモ・トマス | |||
アルファイの子ヤコブ(!) | ||||
タダイ(!) | ||||
ヤコブの子ユダ(!) | (イスカリオテでない)ユダ | |||
熱心者のシモン(!) | 熱心党員と呼ばれたシモン(!) | 熱心党のシモン(!) | ||
イスカリオテのユダ | (ユダ[注 5]) | イスカリオテのシモンの子ユダ | ||
マティア |
注:
レオナルド・ダ・ヴィンチによる「最後の晩餐」における配置は左から以下の通り: バルトロマイ(ナタナエル)、アルファイの子ヤコブ、アンデレ、ユダ、シモン・ペトロ、ヨハネ。イエスを越して、トマス、ゼベダイの子ヤコブ、フィリポ、マタイ、タダイ、熱心党のシモン。
ある地域に初めてキリスト教を伝えた人物や、特定地域の宣教に大きな働きを示した人物に、「使徒」の称号を冠することも一般的である。正教会では、これを亜使徒(Equal to the apostles, 使徒に準ずる、あるいは使徒と同等の者の意)と呼ぶ。
例として、東洋の使徒フランシスコ・ザビエル[注 6]やスラブの使徒、またはスラブの亜使徒キリル(チリロ)とメトディウス(メフォディ)、日本の亜使徒聖ニコライなどがある。
イスラム教での使徒(ラスール)とは、ある特定の共同体の中から選ばれ、その共同体に遣わされて、神(アッラーフ)から授かった言葉を伝える使命を啓示された者のことである[22]。
ムスリム(イスラム教徒)にとっては、ムハンマドこそ全人類・全ジンに遣わされた最後の使徒に他ならず、その事実を信じることがイスラム教の根幹のひとつである[23]。そのため、シャハーダやアザーンには「ムハンマドは神の使徒なり」という文言が含まれる[24]。
ムスリムの中には、律法を伝える使命を啓示されている点で使徒を預言者(ナビー)と区別する、すなわち、使徒は預言者に包括されている、という考え方[25]をする人もいるが、一般には「使徒」と「預言者」は同義であるかのように用いられ、ムハンマドは神の使徒とも預言者とも呼ばれている。
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