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周防郁雄
日本の芸能プロモーター (1941-) ウィキペディアから
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周防 郁雄(すほう いくお、1941年〈昭和16年〉1月11日 - )は、千葉県市原市出身の日本の芸能プロモーター。バーニングプロダクション創業者で相談役会長[1]。
バーニングプロダクションの他、福家書店代表取締役社長、バンクス代表取締役、オフィスプロペラ取締役[2]、ファーンウッド取締役を兼務する。
巨大芸能グループ「バーニング」グループのトップとして、また「芸能界のドン」として知られる。
経歴
- 1941年(昭和16年)、千葉県市原市に生誕。
- 1960年(昭和35年)、市川高等学校を卒業。
- 当時千葉県議会議員であった政治家・浜田幸一の運転手を経て、芸能プロダクション・新栄プロダクションに入社。住み込みで働きながら、北島三郎の運転手などを務めた。
- 1968年(昭和43年)、ホリプロダクション(ホリプロ)に転職。
- 1971年(昭和46年)、ホリプロダクションを退社し、自らの芸能事務所 「国際プロダクション」を設立。同社はその後、所属歌手第1号であった本郷直樹のデビュー曲 『燃える恋人(1971年発売)』にちなんで、「バーニングプロダクション」と改称。郷ひろみや石野真子、小泉今日子、細川たかし、加藤雅也、藤原紀香ら輩出し、芸能界における絶対的権力を掌握し、動向を左右する存在になった[3]。
- 1973年(昭和48年)、バーニングパブリッシャーズを設立し、音楽著作権ビジネスに進出。
- 1994年(平成6年)、バンクスを設立し、外食産業ビジネスに進出。
- 2024年(令和6年)、脳梗塞のため、バーニングプロダクション代表取締役社長職を退任し、「相談役会長」に就任[4]。
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人物
芸能界で絶対的な権力を誇り、容易に所属タレントのスキャンダルを揉み消せると言われている[3]。
現在大手芸能事務所であるアミューズには、現在の会長である大里洋吉と資金を折半して設立しており、大里に原田真二やサザンオールスターズを紹介し、サザンオールスターズの「いとしのエリー」までの版権をバーニングパブリッシャーズが持つなど設立初期の頃には深く関わり、周防はバーニングのグループ企業と認識していた。現在は特に関係はないようで、周防は「株式上場したときにも何の挨拶もなかった」「運営資金は返してもらっていない」と話している[5][6]。
2000年、藤あや子と共に警視庁幹部を接待していたことがサンデー毎日に報道された[7]。
趣味はゴルフ[10]。
家族
戸籍上は離婚しているが、進美恵子(元妻)とは現在も内縁関係にある。 実子で長男の周防彰悟(音楽プロデューサー、レーシングドライバー)はバーニングプロダクション代表取締役、バーニングパブリッシャーズ代表取締役。進亮(周防亮)は、Grickの代表取締役社長。
脚注
関連項目
外部リンク
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