京葉車両センター
東日本旅客鉄道の車両基地 ウィキペディアから
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京葉車両センター(けいようしゃりょうセンター)は、千葉県にある東日本旅客鉄道(JR東日本)首都圏本部管轄の車両基地。
京葉車両センター | |
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京葉車両センター全景 右側のグラウンドは旧JR東日本硬式野球部新習志野野球場 | |
基本情報 | |
所在地 |
千葉県千葉市美浜区浜田2丁目 習志野市芝園1丁目 |
鉄道事業者 | 東日本旅客鉄道 |
帰属組織 | 首都圏本部 |
所属略号 | 都ケヨ |
管轄路線 | JR東日本京葉線、武蔵野線 |
管轄車両 |
京葉線:E233系電車・209系電車 武蔵野線:E231系電車・209系電車 |
旧称 |
津田沼電車区新習志野派出 →習志野電車区新習志野派出 →(京葉準備電車区) →京葉電車区 |
開設 | 1986年(昭和61年)3月3日 |
車両基地概要 | |
敷地面積 | 172,213 m2 |
留置線本数 |
西群線13本 東群線6本 |
検査線本数 | 2本 |
洗浄線本数 | 3本 |
その他設備 |
通路線1本 引上線2本 転削線1本 組替線2本 修繕線1本 車輪転削機1機 車体洗浄機1機 |
配置両数 | |
電車 | 610両 |
合計 | 610両 |
備考 |
車両数は2023年(令和5年)4月1日現在[1][2]。 鉄道建設・運輸施設整備支援機構より賃借中であり、敷地面積は有価証券報告書の値[3] |
当センターは、京葉線・武蔵野線の運用車両を一手に受け持ち、東京メガループを形成する両線の拠点となる車両基地で、日本鉄道建設公団により大都市交通線(D線)である京葉線の施設として建設されたため、JR東日本は公団の業務を継承した鉄道建設・運輸施設整備支援機構から施設を賃借している[3]。
国鉄時代末期の1986年(昭和61年)3月3日の京葉線西船橋 - 千葉港(現・千葉みなと)間の旅客営業開始時に、車両基地として発足した津田沼電車区新習志野派出が前身で、その後、習志野電車区新習志野派出(同年9月1日)→京葉準備電車区(1989年(平成元年)10月1日)と経て、1990年(平成2年)3月1日に京葉電車区が発足し、2004年(平成16年)4月1日に、現名称の京葉車両センターになった[4]。
敷地は、京葉線幕張豊砂駅に隣接しており、センターへの入線は新習志野駅からのみ可能で、同駅の内側2線がセンターへの入出区線に繋がっている[5]。ここでは、グループ会社を含めた全従業員によって車両の検修や車体洗浄などが行われている[4]。
当センターでは、在籍する車両の交番検査・機能保全検査、仕業検査、修繕、車体洗浄などを行う。交番検査・機能保全検査は、1日1 - 2編成を実施している[6]。
入出区線は複線であるが単線並列の形式で、2本の線路は、入出区1番線・2番線として扱われ、両線からの入出区が可能である。入出区1番線には、センター出入口の両渡り線の手前にパンタグラフ擦り板測定装置が設置されており、通過速度は15km/h以下に制限されている[6]。
線路配置は、入出区線に近い新習志野側の西群線と、海浜幕張側の東群線に分かれており、西群線は留置線が主体、東線群は検修線群、整備線群、留置線群主体の線群直列形の配線である[5]。
西群線は南側(本線)より転削線、西1 - 14番線と並んでおり、西1 - 10番線は2編成留置が可能である。西1番線の隣には、東群線へ抜ける引上線があり、西群線と東群線の境には、Y線状の2つのシーサスクロッシングが直列に並んでいる。センター出入口の両渡り線の先から通路線が通っており、引上線への片渡り分岐の先に転削線があり、車両転削庫へと繋がっている[6][7]。また、西14番線は東群線の引き上げ線であり、西群線が満線状態でも、東群線の車両の入換がスムーズにできるように配線されている[8]。
東群線は南側(本線)より東1 - 6番線、仕洗7 - 9番線、組換1・2番線、事業用線、交検1・2番線、修繕線と並んでおり、東1 - 6番線では車両留置が、仕洗7 - 9番線では車体洗浄と共にパンタ点検台が設置されているので仕業検査が、交検1・2番線では交番検査や機能保全が行われている[8]。
修繕線には修繕庫が併設されており、仕業検査や不具合が発生した車両の検査修繕が行われ、庫内にはリフティングジャッキが備えられ、冷房装置の載せ替えや台車の交換、前面・側面ガラスの交換を行うことが可能である[6]。
「都ケヨ」…首都圏本部を意味する「都」と京葉を意味する「ケヨ」から構成される。
以前は千葉支社が管轄をしており、千葉支社を意味する「千」と「ケヨ」を組合していた。
当センターのこれまでの歴史・沿革を、下記に「前身時代」、「京葉電車区時代」、「現名称後」の3項目に分けて示す。
当センターは、国鉄時代京葉線が貨物線として建設計画していた当時の鷺沼貨物駅建設予定地[9]を車両基地に転用、1986年(昭和61年)3月3日に津田沼電車区新習志野派出[注 1]として発足[10]。発足直後は小規模だったが、全線開業時には配置500両に対応できるように計画され、それに伴う施設増設ための用地は確保していた[11]。車両は、分割・併合を可能にした103系(10(4+6)両編成、以下:10両分併編成)70両を配置[10](編成の詳細は後述)、所属基地は津田沼電車区(→習志野電車区、現・習志野運輸区)で、車両は同所に常駐[注 2]、検査時は蘇我経由で所属区所に回送した[12]。車両運用は、朝夕の通勤・帰宅時間帯は10両編成、日中・深夜は基本編成の6両編成で運転、その前後の時間で新習志野駅にて付属編成を分割・併合[注 3]、検査時の回送電車はデータイムに1往復を設定[13]。同年9月1日の組織変更で、津田沼電車区が習志野電車区(検修)、津田沼運転区(運転)へ改編[14]、検修部門は習志野電車区新習志野派出、運転部門は津田沼運転区新習志野派出所[注 4]と改称。また、日中の利用状況が芳しくないため、基本編成と付属編成の両数を変更、日中・深夜の運用は4両編成となった[10]。
1987年(昭和62年)4月1日の国鉄分割民営化で、JR東日本に継承、千葉支社の管轄となる。1988年(昭和63年)12月1日に新木場・蘇我まで延伸開業と車両基地施設増設に伴い、浦和電車区(現・さいたま車両センター)から30両転入、配置車両103系10両分併編成×10本に増強[15](編成の詳細は後述)。今回の開業に伴い、運用車両の全先頭車にはATS-P形の取付、日中・深夜の運用も再び6両編成での運転となった[16]。1989年(平成元年)10月1日に京葉線全線開業に備え京葉準備電車区[17]と改称した。
1986年(昭和61年)
1987年(昭和62年)
1988年(昭和63年)
1989年(平成元年)
1990年(平成2年)3月10日に京葉電車区へ改称[21]。施設増設により、開設当初の計画通りの全面完成に至る。車両面では205系120両の新規投入、103系は習志野電車区から京葉線運用車両100両及び、浦和電車区から30両の転入[22](編成の詳細は後述)。同時に、快速・通勤快速の運転(線内のみ)と、内房線(君津まで)、外房線(上総一ノ宮まで)、東金線(全線)への乗り入れ[注 5]を開始、快速・通勤快速は終日10両編成(205系)、各駅停車は朝夕10両編成、日中・深夜6両編成(103系)で運用だが、外房線・東金線直通電車(平日:通勤快速、休日:快速)は、外房線誉田で分割・併合をする為、103系10両分併編成の限定運用となった[23]。
1993年(平成5年)12月1日から各駅停車終日10両化に伴い、新習志野駅での朝夕ラッシュ時前後の分割・併合が無くなり、翌1994年(平成6年)から10両分併編成を、分割・併合をしない固定編成(以下:10両非分併編成)へ変えていく動きが始まり、各区からの車両の転入・転出と編成の組替により、1995年(平成5年)4月1日時点での103系は、10両分併編成×8本、10両非分併編成×5本、同年10月1日時点での103系は、10両分併編成×7本、10両非分併編成×6本となった[24]。同年12月1日に外房線設備改良に伴い、最高速度向上(110km/h化)の為、この日までに205系全編成に110km/対応改造施工した[25]。
1996年(平成8年)1月〜2月にかけて、浦和電車区から103系10両が転入[26]、3月30日に中間に先頭車の無い103系10両編成(以下:10両貫通編成)に組成して、輸送力の増強に当てた[21]。1999年(平成11年)12月4日に外房線・東金線直通運用の内、外房線直通編成の運転区間を東京-勝浦間に延長し、103系の運用範囲が勝浦まで拡大[27]。その後も、車体更新を中心とした、浦和電車区からの転入などにより、2000年(平成12年)4月1日時点での103系の編成は、10両分併編成×7本、10両貫通編成×5本、10両非分併編成×2本となった[25](編成の詳細は後述)。同年8月1日に、三鷹電車区(現・三鷹車両センター)から、中央・総武緩行線用E231系0番台の投入に伴って捻出された201系が転入、それから11月までに計40両が転入[28](編成の詳細は後述)、この際、車両は黄色5号から青22号へ外部塗装の変更と、中間先頭車に自動解結装置取付などを行った[29]。
103系10両非分併編成置き換えの為に、2001年(平成13年)6・8・9月に201系30両が三鷹電車区から転入、この転入車は、分割・併合をしない編成(非分併編成)で、そのうち2本は、試作車900番台を含む転入だった[28](編成の詳細は後述)。2002年(平成14年)3月16日に三鷹電車区から205系10両が転入[28]、さらに、山手電車区(現・東京総合車両センター)から、山手線へのE231系500番台の投入に伴って捻出された205系が、同年7月31日と8月22日に[注 6]計20両転入[30]、これらの転入車は、205系オリジナルタイプの先頭車の編成である。なお、110km/対応改造は施工されていない[31]。この転入により、103系10両分併編成の運用が終了した[28]。同年3月26日に、本線で車両不具合などの対応を行う西船橋派出を設置[4]。2003年(平成15年)12月10日に103系10両非分併編成が廃車され、同編成の運用が終了した。この編成は2002年(平成14年)6月26日に大宮工場(現・大宮総合車両センター)で、DDM(ダイレクトドライブモーター)駆動に改造施工のモハ103-502を連結した編成であった[28]。2004年(平成16年)3月13日ダイヤ改正に合わせて豊田電車区(現・豊田車両センター)から武蔵野線運用車両320両が転入した[32]。
1990年(平成2年)
1993年(平成5年)
1995年(平成7年)
1996年(平成8年)
1999年(平成11年)
2000年(平成12年)
2001年(平成13年)
2002年(平成14年)
2003年(平成15年)
2004年(平成16年)
2004年(平成16年)4月1日から、各線の運用車両を一括管理する「保全一元化施策」に伴い、京葉車両センターへ改称[4]。同年度に、武蔵野線用103系16両が、インドネシアの鉄道会社(KRLジャボタベック(PT Kereta Api))に有償譲渡。2005年(平成17年)7月28日に、同年4月25日のJR福知山線脱線事故に伴い、武蔵野線用の103系8両がJR西日本へ移籍することになった[34]。同年9月14日に103系及び201系900番台の置き換え用に、東京総合車両センターから205系10両が転入し、同年11月までに計40両が転入[注 7]。201系900番台は、201系10両非分割編成の2編成の中間に組み込まれていたが、同年11月2日廃車[28]。残った10両は、4+6両の非分割編成に組成し直した(詳細は後述)。同年11月18日に京葉線用103系10両貫通編成の運用終了[35]、さらに、同年12月8日に武蔵野線用103系が運用終了したため、当センターの103系は運用終了となった[34]。
2006年(平成18年)3月27日に、ACトレインで試作試験したDDM・連節構造などの開発成果を盛り込んだE331系が配置された。2007年(平成19年)3月18日のダイヤ改正より京葉線で営業運転を開始した[35](詳細については後述)。同年2月8日と3月21日に京葉線用205系10両編成計2本の運用離脱の為、豊田電車区から201系20両が転入。同年3月のダイヤ改正に伴う、武蔵野線増発の為、同年3月9日に京葉線用205系10両編成×1本を、武蔵野線用として転用し、18日に運用を開始した[36](詳細は後述)。2008年(平成20年)9月20日に、浦和電車区から、京浜東北線・根岸線へのE233系1000番台投入に伴い、209系を京葉線へ転用することになり、209系500番台10両が転入、同年12月1日に京葉線での運用が開始され、その後、2009年(平成21年)1月までに計40両が転入。これにより、201系10両非分割編成と10両貫通編成が2008年12月から2009年2月までに順次廃車になった。なお、201系10両非分割編成1編成の内8両は廃車されず、分割編成と編成の差し替えが行われた[37](詳細は後述)。また2009年(平成21年)3月14日のダイヤ改正で、横浜線増発用として京葉線用205系を武蔵野線用に転用、捻出された武蔵野線用205系は同年4月30日に鎌倉車両センターに転属[38](詳細は後述)。209系500番台は、2010年(平成22年)3月13日のダイヤ改正から、205系110km/対応編成と共通運用となった[39]。
2010年3月5日に、E233系5000番台10両が配置[40]、同年7月1日にはE233系5000番台が運用開始[41]。同年4月3日には、2007年3月19日直後に連節部に不具合が生じ、運用を離脱していたE331系が、営業運転に復帰[35]。同年11月29日と12月8日にE233系5000番台の10両分割対応用4両編成と台6両編成がそれぞれ1本ずつ配置[42]、順次201系10両分割編成を置き換えた。同年12月4日のダイヤ改正に伴い、「むさしの号」が八王子〜大宮間で、「しもうさ号」が海浜幕張・新習志野・西船橋〜大宮間で定期運転を開始、武蔵野線運用車両の運用範囲が大宮・八王子まで拡大[43]。また、京葉線用209系500番台を8両編成化の上、武蔵野線用として運用開始[44](詳細は後述)。2011年(平成23年)6月20日に201系10両分割編成の運用終了、同年7月25日には京葉線用205系10両編成の運用終了[37]。なお、京葉線用205系110km/対応編成の内2編成を除く一部は、宇都宮線・日光線用に転用され小山車両センターへ転属、その他の編成は1編成を除き一部が、長野総合車両センターで転用改造を施工、富士急行へ譲渡[45] (詳細は後述)。2014年(平成26年)4月2日に、2010年4月3日の営業復帰後、土休日のみに限定運用されていたE331系が廃車された[37]。
2015年(平成27年)2月2日と3月5日に、同年3月14日のダイヤ改正に伴う武蔵野線増発及び南武線へE233系8000番台投入に伴い、中原電車区(現・鎌倉車両センター中原支所)から205系を組成変更した計16両が転入[46](詳細は後述)。山手線へE235系の投入に伴い、E231系500番台を10両化して三鷹車両センターへ転属、そこで捻出したE231系0番台で当センターの武蔵野線用205系を置き換えることになり[47]、武蔵野線用に転用改造したE231系0番台8両が2017年(平成29年)9月14日に転入[48]、同年11月1日から運用開始した[49]。
2018年(平成30年)3月28日に、三鷹車両センター所属209系500番台を武蔵野線用に転用改造した8両が転入 同年12月7日までに計32両が転入した[50]。2019年(平成31年・令和元年)も、3月1日から6月26日までに計24両転入した[50](詳細は後述)。
2018年(平成30年)2月28日JR東日本より武蔵野線用205系336両(当センター所属全車)を、2018年3月から2020年にかけてインドネシアの鉄道会社「PT Kereta Commuter Indonesia」へ譲渡することが発表され[51]、それに伴う廃車が、2018年3月3日から始まり[注 8]、0番台は2019年10月26日までに[52]、5000番台は2020年10月22日(10月19日が最終運用日)までに廃車、当センターの205系の運用が全て終了した[53]。
2020年7月9日に、三鷹車両センター所属の試作編成のE231系900番台が、大宮総合車両センターにて8両編成化及び転用改造[54]の上転入[55]、10月6日に、松戸車両センター所属車が長野総合車両センターにて8両編成化及び転用改造の上転入(長野総合車両センター出場日は翌7日)、これを持ってE231系0番台の武蔵野線への投入が終了した[56]。
2004年(平成16年)
2005年(平成17年)
2006年(平成18年)
2007年(平成19年)
2008年(平成20年)
2009年(平成21年)
2010年(平成22年)
2011年(平成23年)
2014年(平成26年)
2015年(平成27年)
2017年(平成29年)
2018年(平成30年)
2019年(平成31年・令和元年)
2020年(令和2年)
2023年(令和5年)
電車 | 気動車 | 機関車 | 客車 | 貨車 | 合計 |
---|---|---|---|---|---|
610両 | 0両 | 0両 | 0両 | 0両 | 610両 |
当センターの運用車両は、10両編成と8両編成があり、それぞれの運用線区は以下のように区分される。
よって各形式毎の記述は、10両編成の車両は「〝10両編成(京葉線用)〟」、8両編成の車両は「〝8両編成(武蔵野線用)〟」と分けて記述する。
E233系電車(240両)
209系電車(98両)
E231系電車(272両)
本節では、過去京葉車両センターに配置された車両を使用線区用別に記述する。
205系電車
103系電車
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