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日本の政治家 ウィキペディアから
中川 正春(なかがわ まさはる、1950年6月10日 - )は、日本の政治家。
中川 正春 なかがわ まさはる | |
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文部科学大臣時の中川 | |
生年月日 | 1950年6月10日(74歳) |
出生地 | 日本 三重県松阪市 |
出身校 | ジョージタウン大学外交学部国際関係学科 |
前職 | 国際交流基金職員 |
所属政党 |
(自由民主党→) (日本新党→) (新進党→) (国民の声→) (民政党→) (民主党→) (民進党→) (無所属/三重民主連合→) (旧立憲民主党→) 立憲民主党 |
公式サイト | 中川正春(なかがわまさはる)|衆議院議員・中川正春事務所 |
内閣 |
野田第1次改造内閣 野田第2次改造内閣 |
在任期間 | 2012年2月10日 - 2012年10月1日 |
内閣 | 野田第1次改造内閣 |
在任期間 | 2012年2月10日 - 2012年4月23日 |
第15代 文部科学大臣 | |
内閣 | 野田内閣 |
在任期間 | 2011年9月2日 - 2012年1月13日 |
選挙区 |
(三重2区→) 比例東海ブロック |
当選回数 | 9回 |
在任期間 | 1996年10月21日 - 2024年10月9日 |
選挙区 | 松阪市・飯南郡選挙区 |
当選回数 | 3回 |
在任期間 | 1983年 - 1995年 |
その他の職歴 | |
初代 (新)立憲民主党両院議員総会長 (2020年9月16日 - 2021年12月2日) |
衆議院議員(9期)、文部科学大臣(第15代)、内閣府特命担当大臣(防災、「新しい公共」、男女共同参画、少子化対策)、公務員制度改革担当大臣、文部科学副大臣(鳩山由紀夫内閣・菅直人内閣)、衆議院懲罰委員長、民主党幹事長代行(第3・4・5代)、立憲民主党三重県連代表[1]、三重県議会議員(3期)等を務めた。
三重県松阪市生まれ[2]。三重県立津高等学校、ジョージタウン大学外交学部国際関係学科卒業[2]。大学卒業後、国際交流基金に勤務。
1983年、三重県議会議員選挙に松阪市・飯南郡選挙区から自由民主党公認で出馬し、初当選。以後3期連続当選。
1993年に自民党を離党し、結党後間もない日本新党に入党した。翌1994年の日本新党の解党に伴い、新進党の結党に参加。
1996年、第41回衆議院議員総選挙に新進党公認で三重2区から出馬し、旧民主党公認の伊藤忠治を破り、当選した[2]。以後、三重2区で8期連続当選。
1997年の新進党解党に伴い、国民の声、民政党を経て民主党に合流する。2003年、民主党拉致問題対策本部事務総長に就任。2004年5月より民主党税制調査会長。
2009年の第45回衆議院議員総選挙で、自民党新人の鈴木英敬を破り、5選(鈴木は2011年、三重県知事選挙に出馬し当選)。同年、鳩山由紀夫内閣で文部科学副大臣(科学技術、文化、国際関係の分野の担当[3])に任命され、菅直人内閣まで務める。
2010年9月の民主党代表選挙では、現職の菅直人の推薦人に名を連ねる。代表選後、再選された菅の下で民主党外交・安全保障調査会長に就任。
2010年9月29日、中国建国記念レセプションに出席した[4]。
2011年9月2日、野田内閣に文部科学大臣として初入閣。文部科学大臣在任中の同年9月9日、閣議後の記者会見で八重山教科書問題に文部科学省は介入しない方針を発表し、沖縄県教育委員会が問題を収拾するよう促す発言を行った[5][6]。また同年9月13日の閣議後の記者会見で、福島市で子供の尿から検出される放射性セシウム濃度が微増したとの市民団体の調査結果について「検出値は1ベクレル以下と小さく、問題になるレベルではない」と述べ、健康に影響はないとの見解を明らかにした[7]。翌2012年1月13日の野田第1次改造内閣発足に伴い、文部科学大臣を退任。
2012年2月10日、復興庁発足に伴う閣僚人事により、内閣府特命担当大臣(防災、「新しい公共」、男女共同参画、少子化対策)に任命された。加えて同年4月16日に公務員制度改革担当大臣に任命され、同年4月23日、内閣府特命担当大臣(少子化対策)のみ退任(中川に代わり厚生労働大臣の小宮山洋子が兼務[8])。同年10月1日、野田第3次改造内閣発足に伴い、内閣府特命担当大臣(防災、「新しい公共」、男女共同参画)及び公務員制度改革担当大臣を退任。
2012年12月16日の第46回衆議院議員総選挙では民主党に猛烈な逆風が吹き荒れる中、三重2区で自民党新人の島田佳和を大差で破り、6選(島田も比例復活)。2012年、民主党幹事長代行に起用され、2014年9月に同職が廃止されるまで務めた。同年8月15日に在日本大韓民国民団主催の第69周年光復節中央記念式典に出席した[9]。2014年12月の第47回衆議院議員総選挙では、三重2区で島田を再び大差で破り7選(島田も比例復活)。
2015年1月に行われた民主党代表選挙では、元代表・岡田克也の推薦人に名を連ねた[10]。2017年9月1日に行われた2017年民進党代表選挙では菅直人や有田芳生らとともに枝野幸男の推薦人となった[11]。
同年10月3日、第48回衆議院議員総選挙には希望の党からも立憲民主党からも公認を受けずに無所属で出馬する意向を表明し[12]、同月22日の第48回衆議院議員総選挙で8選。その後、同月26日に岡田克也が代表を務める無所属の会の結成メンバーとなった[13]。その後、国民民主党には参加せず、三重県内の旧民進党系地方議員からなる政治団体「三重新政の会」に参加。2018年5月19日に同会の会長に就任[14]。同年7月28日には三重民主連合に改称し、引き続き代表に就任した[15]。
2019年1月15日には無所属の会から立憲民主党会派に移籍した。
2023年6月9日、津市で記者会見し、次の衆議院議員総選挙に出馬せず、政界を引退する意向を正式に表明した[16]。関係者によると、高齢を理由に挙げ、立法化に尽力した日本語教育推進などの法案が成立したことを受け「けじめをつけるにもいいかな」と述べたという[17]。
2024年9月に行われた立憲民主党代表選で吉田晴美陣営の選挙対策本部長を務めた[18]。
安倍晋三銃撃事件の動機とされる政治家と統一教会との癒着問題を受け立憲民主党が所属議員を調査したところ、旧統一教会系団体である天宙平和連合(UPF)関係者が役員に多数含まれる「ピースロード2018三重」へ祝電を打ったことを明らかにした[34]。ピースロードと旧統一教会の関係については「全く知らされていなかった」と党の調査では答えている[35]。
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