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日本の硬貨 ウィキペディアから
一円硬貨(いちえんこうか)は、日本国政府(財務省)が発行する、額面1円の硬貨である。通称一円玉(いちえんだま)。一円貨[1]、一円貨幣とも呼ばれる。
一円硬貨としては、本位貨幣としての金貨と銀貨、補助貨幣としての黄銅貨も発行されたが(#過去の一円硬貨参照)、現在法定通貨として有効な一円硬貨は1955年(昭和30年)に発行を開始した一円アルミニウム貨のみである。本項では、この一円アルミニウム貨を中心に扱い、歴代の一円硬貨についても触れる。
1955年(昭和30年)6月1日[2]に発行開始し、2024年(令和6年)現在も発行中である。発行開始当初は臨時通貨法が有効であったため臨時補助貨幣として発行され、1988年(昭和63年)4月の「通貨の単位及び貨幣の発行等に関する法律」施行後は「貨幣」として引続き発行されている。純アルミニウム製であり、日本で発行中の6種類の通常硬貨の中で素材に銅が含まれない唯一の硬貨である[3]。また発行中の、そして法定通貨として有効な日本の硬貨の中で額面が最小であり、現在の日本における現金の最小単位の硬貨となっている。
通貨の単位及び貨幣の発行等に関する法律第七条に基づき、一度の取引において強制通用力を有するのは20枚(20円)までである。21枚以上の使用については受け取り側は拒否することができ、その場合には支払い側が受け取るように強いることは出来ないが、双方の合意の上で使用するには差し支えない。
表面には「日本国」と「一円」そして「若木」が、裏面には「1」と製造年がデザインされている。表面の若木に描かれている葉の数は8枚である。図柄の若木は日本が伸び行く姿を象徴したものである[4]。ちなみに若木のデザインのモデル樹種は特になく[5]、特定のモデルがないからこそ却ってどの木にも通じる、という考え方である。日本で発行中の6種類の通常硬貨のうち、デザインが一般公募によって決定された唯一の硬貨である[6]。なおこの表裏は造幣局での便宜的な区別で、明治時代の硬貨と異なり法律上の表裏の規定はない[7]。
一円硬貨の比重は2.7で水より重いが、乾いた一円硬貨を水面に対して平らになるように静かに置くと、一円硬貨にかかる浮力と表面張力が一円硬貨の重量と釣り合うため水に浮く[8]。水に界面活性剤を加えて表面張力を下げたり、水より表面張力の低い液体の上に置いたりした場合は沈む。
造幣局で製造されてから日本銀行に納入される際に用いられる麻袋については、一円硬貨は1袋に5000枚(金額5000円、正味重量5kg)詰められる。これは硬貨の大きさ・重さから他の日本の通常硬貨に比べて多い枚数となっているが、それでも日本の通常硬貨の麻袋の中で重量が最も軽い。
一円硬貨1枚を製造するのにかかるコストは額面以上であり、2015年(平成27年)現在、一円硬貨の製造に約3円かかるとされる[9]。また政府による貨幣発行益は2003年(平成15年)当時で1枚当り13円の赤字とされる[10]。原料となるアルミニウム地金は2021年(令和3年)9月現在で1キログラム当たり377円で推移し、アルミニウム地金として見た価値は1枚あたり約38銭となる[11]。2009年(平成21年)初めに造幣局が民間から調達した1円硬貨用アルミ
ちなみに世界の国々を見ても、現金の最小単位やそれに近い硬貨については、額面以上の製造コストがかかっている場合も多く、例えば米国の1セント硬貨などが該当する。歴史的には、江戸時代の日本でも寛永通宝鉄一文銭などは額面以上の製造コストがかかることがあった。
日本の市中の街角に置かれる一般的な自動販売機では五円硬貨や一円硬貨は使用できず、使用可能な最小額面の硬貨は十円硬貨となっているが、銀行のATM、商店の自動釣銭機、現金対応のセルフレジ、ガソリンスタンドの給油機などでは五円硬貨とともに一円硬貨も使用可能である。
世界では、日本の一円硬貨に相当する程度の小額硬貨は廃止されたり[注 1]、その程度の釣り銭は国家によっては相当額の飴玉や封筒、爪楊枝などの現物で代用されたりすることも多い中[注 2]、日本の一円硬貨は市中では不自由なく流通している。
ただ、需要減少により1999年(平成11年)以降新規製造枚数は著しく減少し、2015年(平成27年)を最後に流通用硬貨の製造も中止されており、市中での流通量も漸減傾向にある。近年ではキャッシュレス社会の進展や造幣費用の負担、また、預貯金の預け入れや両替に手数料がかかる状況[注 3]、先進諸国の小額硬貨廃止の状況から、日本でも一円硬貨の廃止論がしばしば取りざたされることがある(1セント硬貨 (アメリカ合衆国)#硬貨存廃を巡る議論およびユーロ硬貨#小額硬貨も参照)。
2021年(令和3年)2月25日には衆議院予算委員会分科会で、立憲民主党政調会長の泉健太が、一円硬貨と五円硬貨の廃止を財務大臣麻生太郎に提案したが、この時点では麻生太郎は「小額の取引を中心に需要はあるので直ちに廃止する考えはない」とした[19]。
1955年(昭和30年)に一円硬貨と五十円硬貨が発行されることとなり、前年の1954年(昭和29年)に、この一円アルミニウム貨と五十円ニッケル貨のデザインが第二次世界大戦後初めて一般公募された。40日間の公募期間で、一円硬貨だけで2,581点の応募があり、表面にあたる「若木」のデザインは当時京都府在住の中村雅美のものが、裏面にあたる「1」のデザインは当時大阪府在住の高島登二雄のものがそれぞれ選ばれ、1955年(昭和30年)1月13日に大蔵省より図案が発表された。なお、一円硬貨のデザイン一般公募に際して大蔵省は受賞者に対し賞金7万5000円を贈る事にしていたが、上記の通り受賞者が二人となったため、それぞれ半額の3万7500円を賞金として贈呈した[20]。
1960年代は、高度経済成長に伴うインフレーションと自動販売機の普及によって、補助貨幣(当時は臨時補助貨幣)が慢性的に不足しており、生産ラインも限られていたことから、当時の大蔵大臣・田中角栄の指示で、1963年(昭和38年)から1964年(昭和39年)にかけて、府中刑務所の懲役受刑者の刑務作業として、一円硬貨の製造作業を行なったことがある[21]。なお、生産過剰による製造休止のため、1968年(昭和43年)製の一円硬貨は存在しない。
1989年(平成元年)の消費税導入前はスーパーなどで10円単位以下の端数の価額表示(例:98円)の商品を購入した際の釣銭として細々と流通している程度だったが、消費税導入以降は税込み価額に端数が生じるため、五円硬貨とともに流通量が激増し、大量に製造されていた。しかし消費税が3%から5%に引き上げられた1997年(平成9年)以降は端数が5円単位となり需要が減少、それに伴って製造量も減らされており、特に2001年(平成13年)は802万4千枚しか製造されなかったため、同年製造分の未使用硬貨は、古銭商で額面を超える価格で取引されている。
さらにキャッシュレス決済の普及の影響も受けて2011年(平成23年)にはミントセット用の45万6千枚のみの製造にとどまり、一般流通用については1968年(昭和43年)以来43年ぶりに製造されなかった[22]。なお同年は、五円硬貨・五十円硬貨も一円硬貨同様、ミントセット用の45万6千枚のみである。その後、2012年(平成24年)も一円硬貨・五円硬貨・五十円硬貨はミントセット用の65万9千枚のみの製造にとどまり[22]、2013年(平成25年)も「流通量は安定している」との判断から、ミントセット用の55万4千枚のみが製造された[9][23]。
2014年(平成26年)には、同年4月1日より消費税が5%から8%へ引き上げられるため、一円硬貨の需要も高まるとみられることから、2013年度(平成25年度)中に2500万枚、2014年度(平成26年度)にはさらに1億6千万枚と、合わせて2億枚近くを造幣局が流通用として製造することとなった[24]。しかしキャッシュレス決済の影響もあり需要は予想に反して伸び悩み、2016年(平成28年)以降は再びミントセット用のみの製造となり2024年現在[update]に至る[25]。平成から令和への元号の変わり目の年となった2019年(平成31年/令和元年)も、平成31年銘と令和元年銘の両者ともミントセット用のみの製造となり、現在のところ「令和」元号が刻印された一円硬貨はミントセット用しか製造されていない。
下記の貨幣は既に廃止済みであり、現在はいずれも法定通貨としての効力を有さない。
1871年(明治4年)発行開始の旧一円銀貨(表面:竜図(阿竜)、裏面:菊紋・桐紋・日章・菊枝と桐枝)と、1874年(明治7年)発行開始の新一円銀貨(表面:竜図(阿竜)、裏面:菊紋・菊枝と桐枝)があり、いずれも品位:銀90%・銅10%、直径:37.575mm、量目:26.956gの規格である。新貨条例により発行され、当初は貿易用、のち事実上の本位銀貨となった。1897年(明治30年)製造終了。貨幣法施行に伴い、1898年(明治31年)4月1日限りで全ての一円銀貨は日本国内において通用停止となった[注 4]。
品位:金90%・銅10%、量目:1.6667g、周囲にギザあり。他の旧金貨の表面が竜図となっているのと異なり、直径が小さいため表面は「一圓」の文字である。裏面には菊紋・桐紋・日章・菊枝と桐枝・錦の御旗(日月旗)・八稜鏡があしらわれている。新貨条例により本位金貨として発行された。1872年(明治5年)発行開始の大型のもの(直径13.515mm)と、1874年(明治7年)発行開始の小型のもの(直径12.121mm)がある。1880年(明治13年)製造終了[注 5]。1897年(明治30年)以降は貨幣法附則第15条により額面の2倍である2円で通用した。五円以上の金貨と異なり、貨幣法に基づく新金貨は発行されていない。通貨の単位及び貨幣の発行等に関する法律施行、貨幣法の廃止に伴い1988年(昭和63年)3月末で廃止された[注 6]。
初期の大型版は明治4年銘のみ存在し、前期と後期の手替わりがあるが、前期の方が希少価値が高い。縮小版は明治7・9・10・13年銘が存在するが、縮小版はいずれも製造枚数・現存枚数が極めて希少であり、新しい極印と鋳造機の試験、並びにプルーフ硬貨の試作として鋳造されたと考えられている。なお、明治25年銘がシカゴ博覧会用に2枚のみ製造されている。
1948年(昭和23年)10月25日[27]に発行を開始した。表面には「一円」と「橘」が、裏面には「1YEN」と「日本國」、製造年がデザインされている。五円硬貨と同じ組成の黄銅貨であったが原材料の高騰に伴い鋳潰される可能性が出てきたため、1950年(昭和25年)に製造終了し「小額通貨整理法」により銭・厘単位の通貨廃止と合わせて1953年(昭和28年)末を以て廃止された。これにより、有効な額面一円の法定通貨は事実上既に市中で流通していなかった一円金貨(但し通用価値は2円)を除くと一旦一円紙幣(当時発行中のものは二宮尊徳の肖像のA一円券。なお、明治期より発行されてきた額面一円の日本銀行券も有効)のみとなり、十円と五円の法定通貨が硬貨化されていたにもかかわらず一円が紙幣のみという歪な状態となった。その後、1955年(昭和30年)からは現行の一円アルミニウム貨が発行されている。2023年(令和5年)現在、第二次世界大戦後に発行された円単位の硬貨で通貨として使用できないのは、この一円黄銅貨のみである。
下記、明治5年まではカッコ内の和暦は旧暦(天保暦)である。西暦(グレゴリオ暦)と並べて記載する。
(この間は日本銀行券の一円紙幣のみ製造発行[注 8])
なお、1872年(明治5年)4月から1958年(昭和33年)10月1日までは一円紙幣が並行して発行されていた[注 10]。
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「独立行政法人造幣局 貨幣に関するデータ 年銘別貨幣製造枚数」より
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