ロビンソン・カノ

ドミニカ共和国とアメリカ合衆国のプロ野球選手 ウィキペディアから

ロビンソン・カノ

ロビンソン・ホセ・カノ・メルセデスRobinson José Canó Mercedes,[注釈 1] 1982年10月22日 - )は、ドミニカ共和国サン・ペドロ・デ・マコリス州サンペドロ・デ・マコリス出身のプロ野球選手二塁手)。右投左打。リーガ・メヒカーナ・デ・ベイスボル(メキシカンリーグ)メキシコシティ・レッドデビルズ所属。愛称はドンチューノー[5]

概要 メキシコシティ・レッドデビルズ, 基本情報 ...
ロビンソン・カノ
Robinson Cano
メキシコシティ・レッドデビルズ
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ニューヨーク・メッツ時代
(2022年4月8日)
基本情報
国籍 ドミニカ共和国
アメリカ合衆国
二重国籍[1]
出身地 ドミニカ共和国
サン・ペドロ・デ・マコリス州サンペドロ・デ・マコリス
生年月日 (1982-10-22) 1982年10月22日(42歳)
身長
体重
6' 0" =約182.9 cm
210 lb =約95.3 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 二塁手
プロ入り 2001年 アマチュアFA
初出場 2005年5月3日
年俸 $24,000,000(2023年)[2]
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
国際大会
代表チーム ドミニカ共和国
WBC 2009年2013年2017年2023年
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概要 獲得メダル, 男子 野球 ...
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経歴

要約
視点

プロ入り前

ホセ・カノ英語版1980年にヤンキースとアマチュアFAで契約し、1989年にヒューストン・アストロズで6試合に登板した元投手である[6]。父はジャッキー・ロビンソンにちなんで息子に「ロビンソン」と名付けた[7]。自身はドミニカ共和国で育ち、サンペドロ・デ・マコリス市サンペドロ・アポストル高校で野球とバスケットボールの選手として活躍した。

プロ入りとヤンキース時代

2001年に同校卒業後、父と同じニューヨーク・ヤンキースとプロ契約を結び、プロ入りを果たした。マイナーリーグで徐々に力をつけていったが、シーズン打率3割やOPS8割を超えるような目立った活躍はなかった。

2005年はAAA級チームで24試合の出場で打率.333、OPS.942などの好成績を残し、5月3日にメジャー初昇格を果たす。同年、3年連続盗塁王に輝いた事もあるトニー・ウォマックから二塁手のポジション奪取に成功し、打率.297、14本塁打、62打点を記録。特に、チームの快進撃ともなった9月攻勢で活躍し、週間MVPや9月のルーキー・オブ・ザ・マンスを受賞した。初めてのプレーオフとなるディビジョンシリーズでも全5試合にフル出場し、打率.263、5打点、3二塁打などと一定の活躍を見せた。同シーズンのアメリカンリーグ新人王投票ではヒューストン・ストリートアスレチックス)に次ぐ2位に入った。

2006年オールスターゲームの投票では二塁手部門で1位で選出されたが、の違和感から故障者リストに登録され、辞退した。しかし、怪我から復帰した8月8日以降の成績では打率、二塁打数、打点でリーグトップであった。欠場の影響で欠けていた規定打席にも9月末に到達し、首位打者争いに絡む活躍を見せた。また、9月のプレイヤー・オブ・ザ・マンスにも輝く。最終的に残した打率.342は同僚デレク・ジーターに1厘差に迫るリーグ3位の数字で、二塁打数もリーグ2位であった。オフのMVP投票では22位に入った。また、シルバースラッガー賞を受賞している。

2007年ロジャー・クレメンスがヤンキースに復帰する可能性を作るため、背番号を(クレメンスが去った後カノが付けていた)22番から24番に変更した。また、体重もメジャーデビュー時は80kgも無かったが、92kgに増やした。同年シーズンは前半こそ不調に陥ったが、最終的に打率3割を残し、本塁打打点で自己最多を記録した。

2008年2月7日、球団と調停を回避し4年総額3000万ドルで契約を延長した。

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ニューヨーク・ヤンキース時代
(2009年4月8日)

2009年はシーズン開幕前の3月に開催された第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)ドミニカ共和国代表に選出された[8]。シーズンでは自己最多かつリーグ最多タイの161試合に出場し、打率は2年ぶりの3割を記録した。また、自身初となる200安打と25本塁打を記録した。オフのMVP投票では17位に入った。

2010年は、2年連続となる200安打を達成し、自身4度目の打率3割以上、自己最高の29本塁打、自身初の100打点以上を記録した。四球が自己最多を記録したことで、出塁率も自己最高を残した。また、自身2度目となるオールスター出場を果たした。シーズン終了後には、自身2度目のシルバースラッガー賞と自身初となるゴールドグラブ賞を受賞した。MVP投票ではジョシュ・ハミルトンミゲル・カブレラに次ぐ3位に入った。

2011年8月25日、オークランド・アスレチックス戦で記録された、MLB史上初の1試合1チーム3満塁本塁打の一員となった[9]。カノは5回裏に1本目の満塁本塁打を放った。カノに続いて、6回裏にラッセル・マーティン、8回裏にカーティス・グランダーソンが満塁本塁打を放ち、記録が樹立された。MVP投票では6位に入った。

2012年は、4番を任される事が多くなった。初めて30本塁打の大台をクリアし、シーズン最終戦まで9試合連続でマルチヒットを記録した[10]。ところが、10月14日のデトロイト・タイガースとのリーグチャンピオンシップシリーズ第2戦でプレーオフ24打席連続無安打となり、1996年のボビー・ボニーヤを抜いてプレーオフのワースト記録を更新した。シーズン終了後に翌年の1500万ドルのオプションが行使され、残留が決まった[11]。MVP投票では4位に入った。

2013年はシーズン開幕前の3月に開催された第3回WBCドミニカ共和国代表に選出され[12]、2大会連続2度目の選出を果たした。同大会のMVPになった[13]。この年でヤンキースとの契約最終年となる。4月2日には、音楽プロデューサージェイ・Zが経営するレーベルのロック・ネイションがビジネスをスポーツ事業まで拡大し、スコット・ボラスと契約を解除しロック・ネイション(Roc Nation Sports)と契約した[14]。レギュラーシーズンでは、7年連続159試合以上となる160試合に出場し、5年連続となる打率3割超えを記録。打点も2年ぶりに100の大台に到達した。9月13日のボストン・レッドソックス戦の1回表にシフトを逆手に取って三塁線へのバントによる二塁打を記録するという珍プレーがあった[15]。MVP投票では5位に入った。10月31日にFAとなった。

マリナーズ時代

2013年12月12日にシアトル・マリナーズと10年総額2億4000万ドル[16][17]で契約を結んだ[18]

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シアトル・マリナーズ時代
(2014年7月29日)

2014年は5年連続25本以上記録していた本塁打こそ14本まで減少したものの、打率.314を記録し、6年連続3割以上となった。また、自身初のシーズン2桁盗塁を決めた。MVP投票では5位に入った。また8月20日に日米野球2014の選抜メンバーに選出された[19]。11月15日に行われた第3戦で日本代表西勇輝から右足小指に死球を受けて骨折し[20]、そのまま帰国した。

2015年は開幕から不振に陥り、6月終了時点で打率2割前半、4本塁打だったが、後半戦は打率.331、15本塁打を記録した。シーズンではメジャーに昇格してから初めて三振の数が100を超え、本塁打数は21まで戻したが、2009年から続いていた打率3割超えが6年で途切れた。

2016年は前半戦終了時点で、本塁打は昨年全体の数に並んだ。9月3日のロサンゼルス・エンゼルス戦で史上4人目[21]となる12年連続での30二塁打を達成[22]。最終的に161試合で自己最多の39本塁打を放った。守備面でもDRSで+11を記録し、3年ぶりのプラスに転じた。オフの12月5日に第4回WBCドミニカ共和国代表に選出され、3大会連続3度目の選出を果たした[23]。MVP投票では8位に入った。

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シアトル・マリナーズ時代
(2017年8月29日)

2017年はシーズン開幕前に選出されていた第4回WBCに参加。シーズンでは8月4日のロイヤルズ戦で史上63人目の通算500二塁打を達成した[24]。9月21日のレンジャース戦でキーオン・ケラから史上146人目の通算300本塁打を記録(二塁手としてはロジャース・ホーンスビージェフ・ケントに次ぐ3人目)[25]

2018年5月13日のデトロイト・タイガース戦で死球を右手小指に受けて骨折し、翌日から10日間の故障者リストに入った[26]。さらに5月15日にMLBコミッショナー事務局からフロセミドによる薬物規定違反で80試合の出場停止の処分が科せられた[27]。8月15日のオークランド・アスレチックス戦で復帰した。最終成績は打率.303、10本塁打、50打点だった。しかし出場試合数は自己最少の80試合、13年間続いていた連続シーズン30二塁打の記録は途絶えた。守備面では本来二塁手であるディー・ゴードンの移籍もあり、復帰後は一塁や三塁を守ることがあった。

メッツ時代

2018年12月1日に2対5の大型トレードが成立し、ヘルソン・バウティスタジェイ・ブルースジャレッド・ケルニックアンソニー・スウォーザックジャスティン・ダンとのトレードで、エドウィン・ディアス、及び金銭2000万ドルともにニューヨーク・メッツに移籍した[28]

2019年は故障に悩まされ、107試合の出場に留まった。5月7日には通算2500安打に到達し、7月23日のサンディエゴ・パドレス戦では3本塁打を放ったが、最終成績は打率.256、13本塁打、39打点で、打点は自己最少、三振率は自己ワーストだった。

2020年は打率が2年ぶりに3割を超えるなど復調した。オフの11月18日に薬物検査で禁止薬物のスタノゾロールが検出され、1年間の出場停止処分を受けた[29]。期間中は年俸2400万ドルも支払われない。

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ニューヨーク・メッツ時代
(2022年4月15日)

2022年に2年ぶりに公式戦に復帰したが、打率が2割を切るなど不振で、5月2日にDFAとなり、そのまま自由契約となった[30]

パドレス時代

2022年5月13日にサンディエゴ・パドレスと契約した[31]。移籍後は更に調子を落とし、6月2日にノマー・マザラのメジャー昇格に伴いマイナーへ降格し、そのまま自由契約となった[32]。しかし、同月10日にマイナー契約で再契約した[33]

ブレーブス時代

2022年7月11日に金銭トレードでアトランタ・ブレーブスへ移籍し、同日中にメジャー契約を結びアクティブ・ロースター入りした[34]。8月1日にDFAとなった[35]

ブレーブス退団後

2023年3月に開催された第5回WBCドミニカ共和国代表に選出され、4大会連続4度目の選出を果たした。9月15日にベースボール・ユナイテッドの共同オーナーとして参入した[36]

メキシカンリーグ時代

2024年3月1日にリーガ・メヒカーナ・デ・ベイスボル(メキシカンリーグ)メキシコシティ・レッドデビルズと契約を結んだ[37]

選手としての特徴

広角へ打ち分けるシュアな打撃が持ち味。一定の長打力も併せ持ち、逆方向へ強い打球を放てる[38]

人物

前述の通り、実父のホセ・カノ英語版も元メジャーリーガー(投手)であり、また10歳離れた実弟のホセリト・カノは2019年にルートインBCリーグ新潟アルビレックスBCに所属した投手という野球一家である。

詳細情報

年度別打撃成績

さらに見る 年 度, 球団 ...
















































O
P
S
2005 NYY 132551522781553441423962137316136816.297.320.458.778
2006 122508482621654111525378521518325419.342.365.525.890
2007 160669617931894171930197451439588519.306.353.488.841
2008 159634597701623531424572241526356518.271.305.410.715
2009 1616746371032044822533185570430236322.320.352.520.871
2010 160696626103200413293341093205571487719.319.381.534.915
2011 1596816231041884672833211882083811129618.302.349.533.882
2012 16169762710519648133345943202611079622.313.379.550.929
2013 16068160581190410273121077105651668518.314.383.516.899
2014 SEA 15766559577187372142708210303612066819.314.382.454.836
2015 1566746248217934121278792604435310726.287.334.446.779
2016 161715655107195332393491030105478810018.298.350.533.882
2017 150648592791663302326897100349848518.280.338.453.791
2018 803483104494220101465000023224479.303.374.471.845
2019 NYM 107423390461002801316739000325356916.256.307.428.736
2020 491821712354901093300001911247.316.352.544.896
2022 124341380011130000200110.195.233.268.501
SD 12343313000310000100100.091.118.091.209
ATL 927261410050000010042.154.185.192.377
'22計 331041005151011940000400252.150.183.190.373
MLB:17年 22679550877312622639572333354282130651381062620112851214286.301.351.488.839
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  • 2022年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

WBCでの打撃成績

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2009 ドミニカ共和国 314132300030000010010.231.286.231
2013 83532615402256000033070.469.514.781
2017 6272046101103000071011.300.481.500
2023 2221100011000000010.500.500.500
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  • 太字は大会最高

年度別守備成績

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二塁(2B)一塁(1B)三塁(3B)遊撃(SS)
















































2005 NYY 1312583911777.974---
2006 118230333973.984---
2007 15932049713136.984---
2008 15930548213103.984---
2009 1613084241296.984---
2010 1583414323114.996---
2011 1573234441097.987---
2012 154285435692.992---
2013 153247404688.991--10000----
2014 SEA 1502614279103.987---
2015 1492874036104.991---
2016 1573114293123.996---
2017 1502543391097.983---
2018 69111146144.9961487319.989222011.000-
2019 NYM 99164189551.986---
2020 343558111.989---
2022 7711031.000---
SD 5813011.000---
ATL 8111915.968---
'22計 20264319.986---
MLB 2178406658761251418.9881487319.989222011.00010000----
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  • 2022年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高
  • 各年度の太字年ゴールドグラブ賞受賞

表彰

MLB
ドミニカ共和国代表
  • WBC最優秀選手:1回(2013年
  • WBCサンフアンラウンドMVP(2013年)
  • WBCマイアミラウンドMVP(2013年)

記録

諸記録

背番号

  • 22(2005年 - 2006年、2014年 - 2018年)
  • 24(2007年 - 2013年、2019年 - 2020年、2022年)

代表歴

脚注

関連項目

外部リンク

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