ジェイ・ブルース

アメリカの野球選手 (1987 - ) ウィキペディアから

ジェイ・ブルース

ジェイ・アレン・ブルースJay Allen Bruce, 1987年4月3日 - )は、アメリカ合衆国テキサス州ボーモント出身の元プロ野球選手外野手一塁手)。左投左打。愛称はブルーースBruuuce[1]

概要 基本情報, 国籍 ...
ジェイ・ブルース
Jay Bruce
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シアトル・マリナーズでの現役時代
(2019年5月5日)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国
出身地 テキサス州ボーモント
生年月日 (1987-04-03) 1987年4月3日(37歳)
身長
体重
6' 3" =約190.5 cm
230 lb =約104.3 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 右翼手一塁手
プロ入り 2005年 MLBドラフト1巡目
初出場 2008年5月28日
最終出場 2021年4月14日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
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経歴

要約
視点

プロ入りとレッズ時代

2005年2005年のMLBドラフト1巡目(全体12位)でシンシナティ・レッズから指名され、プロ入り。同年、ルーキー級2球団で54試合に出場。

2006年はA級デイトン・ドラゴンズで117試合に出場し、ミッドウェストリーグのオールスターに選出され、最優秀選手に選出された[2]

2007年はA+級サラソタ・レッズで開幕を迎え、AAA級ルイビル・バッツまで昇格を果たし、フューチャーズゲームにも選出され[3]、シーズン終了後にはベースボール・アメリカ・マイナーリーグ年間最優秀選手賞など多くのメディアからマイナーリーグ最優秀選手に選出された[4]

2008年はメジャーのスプリングトレーニングに参加したが[4]年俸調停資格には3年が必要だが、"スーパー2"と呼ばれる一部選手には2年で発生する場合があり、ブルースがスーパー2に該当しないように開幕をAAA級ルイビルで迎えることになった[5]。4月は打率.316を記録[4]、5月に入ると調子を上げ、昇格直前までに打率.364を記録し、5月27日のピッツバーグ・パイレーツ戦でメジャーデビューを果たした。デビューからの11試合で打率.463、OPS1.325を記録[6]。「あいつはアウトになることがあるのか?」とアトランタ・ブレーブスボビー・コックス監督を驚かせた[5]。6月25日以降打率は3割を下回るも[6]アダム・ダンケン・グリフィー・ジュニアの移籍に伴い、打線の中軸を任されるようになった[7]。昇格以降3試合に欠場しただけで、108試合に出場し、新人選手としてリーグ3位の21本塁打を記録した[8]新人王の投票ではリーグ5位だった[9]

2009年7月11日のニューヨーク・メッツ戦でダイビングキャッチを試みた際に右手首を骨折し[10]、約3ヶ月間欠場した。右手首の怪我の影響で101試合の出場に留まり、打率.223、22本塁打、58打点だった。

2010年は初めて規定打席に到達した。9月29日のヒューストン・アストロズ戦でティム・バーダックから史上5人目となる地区優勝(地区制導入前のリーグ優勝含む)決定サヨナラ本塁打を記録した[11]。打撃面では打率.281、25本塁打、70打点、5盗塁といずれの部門でも自己最高の数字を記録した。一方、守備面ではゴールドグラブ賞の候補にも名が挙がった[12]。オフの12月に6年総額5100万ドルで契約を延長した(7年目は1250万ドルの球団オプション)[13]

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レッズ時代(2011年4月29日)

2011年は打率.256、32本塁打、97打点だった。打率は.256まで低下したが、本塁打は自身初の30本超えとなった。

2012年6月15日のニューヨーク・メッツ戦で左翼手のジェイソン・ベイの方向への打球でベイが捕球し損ねて動けなくなり、その間に幸運なランニング本塁打を記録した[14]。この年は打率.252、34本塁打、99打点と本塁打が2年連続で30本を超えた。MVPの投票では10位だった[15]

2013年、自己最多の160試合に出場。30本塁打(リーグ3位)で3年連続の30本塁打以上を記録したほか、自身初の100打点(109打点、リーグ2位)を記録した。その他の打撃部門では得点、安打、二塁打などの部門で自己最高ないし最高タイの数字を記録した。一方、これまでは160すら超えなかった三振だが、リーグ最多三振のパイレーツのペドロ・アルバレスに1差の185三振だった。MVPの投票では2年連続で10位だった[16]

2014年5月4日のミルウォーキー・ブルワーズ戦で半月板損傷を負い、手術を受けた[17]。この年は正右翼手として137試合に出場して5年連続で規定打席に到達したが、打撃不振に陥り、打率.217、18本塁打に留まった。

2015年8月10日のサンディエゴ・パドレス戦でイアン・ケネディから球団史上9人目となる通算200本塁打を達成した[18]。この年は2年ぶりに157試合に出場し、打率.226、35二塁打、26本塁打を記録。通算200二塁打と200本塁打を達成した。

2016年オールスターゲームに選出された。シーズン途中までに97試合に出場し、打率.265、25本塁打、80打点という成績を残していた。移籍直前の7月27日まで5試合連続本塁打を記録し、レッズの当時の球団記録に並んだ(後にジョーイ・ボットが7試合に更新)[19]

メッツ時代

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メッツ時代(2016年8月2日)

2016年8月1日にディルソン・ヘレーラマックス・ウテルとのトレードで、ニューヨーク・メッツへ移籍した[20]。メッツ加入後は打撃不振になり、50試合で打率.219、8本塁打、19打点に留まった。それでもレッズ時代の好調が利いて、合計では147試合で打率.250、33本塁打、99打点を記録し、いずれも3シーズンぶりに30本塁打と90打点を記録した。サンフランシスコ・ジャイアンツとのワイルドカードゲームでは無安打で敗退し、シーズンを終えた。オフの11月に契約オプションが行使されてメッツに残留した[21]

インディアンス時代

2017年8月9日にライダー・ライアン英語版とのトレードで、クリーブランド・インディアンスへ移籍した[22]ニューヨーク・ヤンキースとのディビジョンシリーズでは5試合で5安打・2本塁打・4打点などを記録したが、敗退し、シーズンを終えた。オフの11月2日にフリーエージェント(FA)となった[23]

メッツ復帰

2018年1月16日に3年総額3900万ドルの契約でメッツに復帰した[24]。94試合の出場で打率.223、9本塁打、37打点を記録した。

マリナーズ時代

2018年12月1日にエドウィン・ディアスロビンソン・カノ、及び金銭2000万ドルとのトレードで、アンソニー・スウォーザックヘルソン・バウティスタジャレッド・ケルニックジャスティン・ダンと共にシアトル・マリナーズへ移籍した[25]

2019年5月31日のロサンゼルス・エンゼルス戦でタイラー・スカッグスから史上148人目となる通算300本塁打を達成した[26]。マリナーズでは47試合に出場したが、打率.212、14本塁打、28打点に留まった。

フィリーズ時代

2019年6月2日にジェイク・シャイナーと金銭とのトレードで、フィラデルフィア・フィリーズへ移籍した。残り約2130万ドルの契約のうち1850万ドルをマリナーズが負担することとなった[27]。2球団合計で98試合の出場で打率.216、26本塁打、59打点だった。

2020年COVID-19の影響で全60試合に短縮された中で、32試合の出場で打率.198、6本塁打、14打点に留まった。オフの11月1日にFAとなった[28]

ヤンキース時代

2021年2月13日にニューヨーク・ヤンキースとマイナー契約を結んだ[29]。 3月27日にメジャー契約を結んでアクティブ・ロースター入りした[30]。 4月3日の自身の誕生日で行われたブルージェイズ戦でヤンキース移籍後初本塁打を記録し、チームのシーズン初勝利に貢献した[31]。しかし、出場10試合で打率.118と不振で、シーズン途中の4月18日に現役引退を表明した[32]。引退に際しては野球というスポーツ自体に対して、そしてこれまでに所属した各球団への感謝を丁寧に述べた[33]

詳細情報

年度別打撃成績

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O
P
S
2008 CIN 108452413631051712118752460233141108.254.314.453.767
2009 1013873454777152221625833113822755.223.303.470.773
2010 1485735098014323525251705405585113612.281.353.493.846
2011 1576645858415027232277978712711451588.256.341.474.814
2012 1556335608914135534288999307621141555.252.327.514.841
2013 16069762689164431302991097305631321859.262.329.478.807
2014 1375454937110721118184661231544521498.217.281.373.654
2015 1576495807213135426252879509588214510.226.294.434.729
2016 9740237060982262520780420327328311.265.316.559.875
NYM 501871691437508661900001741433.219.294.391.685
'16計 1475895397413527633273994203447312614.250.309.506.815
2017 103448406611042002921175011039011029.256.321.520.841
CLE 431691492137927712610011801372.219.294.391.685
'17計 14661755582141292362821011103570213911.254.324.508.832
2018 NYM 94361319317118191183723014140753.223.310.370.680
2019 SEA 47184165273511014882810021601531.212.283.533.816
PHI 511491451632601274310001300294.221.235.510.745
'19計 983333104367170261625910031901825.216.261.523.784
2020 3210396111942645140000710241.198.252.469.721
2021 NYY 10393434101830000500132.118.231.235.466
MLB:14年 1650664259648391455312323192788951654034660071281572101.244.314.467.781
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年度別守備成績

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中堅(CF)左翼(LF)右翼(RF)一塁(1B)
















































2008 CIN 3577321.9761130001.00078143593.943-
2009 --982001122.991-
2010 --146343731.992-
2011 --1553061041.988-
2012 --154297861.981-
2013 --1603301333.991-
2014 --131231852.980314020.875
2015 --1503001130.990-
2016 10000.----95186953.975-
NYM --4379110.988-
'16計 10000.----1382651063.979-
2017 --92195320.9901176627.976
CLE --4156220.967110001.000
'17計 --133251540.9851277627.976
2018 NYM --64117320.9842115010114.994
2019 SEA -612210.9332438210.976161018211.982
PHI -31554011.000--
'19計 -3767611.9862438210.976161018211.982
2020 -11201001.000661011.0002131001.000
2021 NYY ---10552051.000
MLB 3677321.9765990711.99014372827944817.9846441027737.984
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表彰

記録

MiLB
MLB

背番号

  • 32(2008年 - 2016年途中、2017年8月10日 - 同年終了、2019年 - 同年6月1日)
  • 19(2016年途中 - 2017年8月8日、2018年)
  • 23(2019年6月3日 - 同年終了)
  • 9(2020年)
  • 30(2021年)

脚注

関連項目

外部リンク

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