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ブランドン・ドルーリー
アメリカの野球選手 (1992 - ) ウィキペディアから
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ブランドン・S・ドルーリー(Brandon S. Drury, 1992年8月21日 - )は、アメリカ合衆国オレゴン州グランツパス出身のプロ野球選手(内野手)。右投右打。MLBのシカゴ・ホワイトソックス傘下所属。愛称はB・ドゥル(B.Dru)[1]。
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メディアによっては「ドルリー」、「デュルーリー」、「ドゥルーリー」と表記されることもある。
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経歴
要約
視点
プロ入りとブレーブス傘下時代
2010年のMLBドラフト13巡目(全体404位)でアトランタ・ブレーブスから指名され、プロ入り[2]。当時のポジションは遊撃手だった。契約後、傘下のルーキー級ガルフ・コーストリーグ・ブレーブスでプロデビュー。52試合に出場して打率.198、5本塁打、17打点、2盗塁を記録した。
2011年はアパラチアンリーグのルーキー級ダンビル・ブレーブスでプレーし、63試合に出場して打率.347、8本塁打、54打点、3盗塁を記録した。
2012年はA級ローム・ブレーブスでプレーし、123試合に出場して打率.229、6本塁打、51打点、3盗塁を記録した。
ダイヤモンドバックス時代
2013年1月24日にクリス・ジョンソン、ジャスティン・アップトンとのトレードで、ランドール・デルガド、ニック・アーメド、ジーク・スプライル、マーティン・プラドと共にアリゾナ・ダイヤモンドバックスへ移籍した[3]。この年は傘下のA級サウスベンド・シルバーホークスでプレーし、134試合に出場して打率.302、15本塁打、85打点、1盗塁を記録した。
2014年はA+級バイセイリア・ローハイドとAA級モービル・ベイベアーズでプレーし、2チーム合計で136試合に出場して打率.299、23本塁打、95打点、4盗塁を記録した。オフにはアリゾナ・フォールリーグに参加し、ソルトリバー・ラフターズに所属した。オフの11月24日に初めてロースター入りを果たした。
2015年、マイナーではAA級モービルとAAA級リノ・エーシズでプレーし、2チーム合計で130試合に出場して打率.303、5本塁打、61打点、4盗塁を記録した。9月1日にメジャー初昇格を果たし、同日のコロラド・ロッキーズ戦でメジャーデビュー。9月22日のロサンゼルス・ドジャース戦ではメジャー初本塁打を放った。メジャーでは20試合に出場して打率.214、2本塁打、8打点、出塁率.254を記録した。

(2016年9月24日)
2016年はスプリングトレーニング中のプレシーズン・ゲームで打率.389、4本塁打と結果を残し、開幕からアクティブ・ロースター入りした[4]。前年を大きく上回る134試合に出場して打率.282、自己最多となる16本塁打、53打点、出塁率.329を記録した。
2017年は自己最多となる135試合に出場して打率.267、13本塁打、63打点、出塁率.317を記録した。
ヤンキース時代
2018年2月20日にタンパベイ・レイズを含んだ三角トレードで、ニューヨーク・ヤンキースへ移籍した[5]。ヤンキースでは18試合の出場で打率.176、1本塁打、7打点、出塁率.263を記録した。
ブルージェイズ時代

(2020年7月27日)
2018年7月26日にJ.A.ハップとのトレードで、ビリー・マッキニーと共にトロント・ブルージェイズへ移籍した[6]。8月7日に左手の骨折により故障者リストに入った。故障の為、ブルージェイズでの試合への出場は僅か8試合となり、打率.154、3打点、出塁率.241に留まった[7]。シーズン全体では26試合に出場し、打率.169、1本塁打、10打点、出塁率.256を記録した。
2019年は前年を大きく上回る120試合に出場し、打率.218、15本塁打、41打点、出塁率.262を記録した。
2020年8月31日にDFAとなり、9月4日にマイナー契約となった[8]。このシーズンは21試合の出場で打率.152、1打点、出塁率.184と全ての項目で自己ワーストを記録した。オフの10月6日にFAとなった[9]。
メッツ時代

(2021年7月29日)
2021年1月9日にニューヨーク・メッツとマイナー契約を結び、スプリングトレーニングに招待選手として参加することとなった[10]。メジャー昇格した際には給与として155万ドルが支払われた[11]。5月21日にメジャー契約を結び、故障者リスト入りしたピート・アロンソと入れ替わりにアクティブ・ロースター入りした[12]。5月24日のロッキーズ戦に代打で出場すると、オースティン・ゴンバーから2年ぶりとなる本塁打を放った[13]。オフの10月2日にDFAとなり、10月14日にFAとなった[9]。
レッズ時代
2022年3月21日にシンシナティ・レッズとマイナー契約を結び、スプリングトレーニングに招待選手として参加することになった[9]。4月7日にメジャー契約を結んでアクティブ・ロースター入りした[9]。
パドレス時代
2022年8月2日にビクター・アコスタとのトレードで、サンディエゴ・パドレスへ移籍した[14]。この年は2球団合計でキャリアハイとなる28本塁打、87打点を記録し、シルバースラッガー賞を初受賞した[15]。オフの11月6日にFAとなった[16]。
エンゼルス時代
2022年12月12日にロサンゼルス・エンゼルスと2年1700万ドルで契約を結んだ[17]。
2023年は、故障に悩まされながらも125試合に出場して打率.262、26本塁打、83打点を記録した[9]。
2024年は怪我の影響もあり、開幕はマイナーで迎えたが、シーズン途中にメジャーに昇格した。ただ、最終的には前年を下回る97試合の出場に終わり、4本塁打、15打点と、自身最低は免れたものの、自己最低水準の成績となった[9]。オフの10月31日にFAとなった[9]。
ホワイトソックス傘下時代
2025年2月8日にシカゴ・ホワイトソックスとマイナー契約を結び、同年のスプリングトレーニングにトリスタン・グレイと共に招待選手として参加することになった[18]。また、同日中にAAA級シャーロット・ナイツに配属された[18]。
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選手としての特徴
内外野を守ることができるユーティリティ・プレイヤー。トロント・ブルージェイズ時代の2019年には捕手と中堅手、投手以外のポジションで出場した[19]。
詳細情報
年度別打撃成績
- 2024年度シーズン終了時
ポストシーズン打撃成績
- 2024年度シーズン終了時
年度別投手成績
- 2024年度シーズン終了時
年度別守備成績
- 投手守備
- 内野守備
- 外野守備
- 2024年度シーズン終了時
表彰
- MLB
- シルバースラッガー賞(ユーティリティー):1回(2022年)
背番号
- 62(2015年)
- 27(2016年 - 2017年)
- 29(2018年 - 同年途中)
- 10(2018年途中 - 同年終了)
- 3(2019年 - 2020年)
- 35(2021年)
- 22(2022年 - 同年途中)
- 17(2022年途中 - 同年終了)
- 23(2023年 - 2024年)
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脚注
関連項目
外部リンク
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