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ヒルビリー・ジム(Hillbilly Jim、本名:James Morris、1952年7月5日 - )は、アメリカ合衆国の元プロレスラー。ケンタッキー州ルイビル出身[2]。
オーバーオールを身に着けた農夫スタイルの大型ベビーフェイスとして、1980年代中盤から1990年代初頭にかけてのWWFで活動した[3]。
キャリア初期は本名のジム・モリス(Jim Morris)名義で活動。1983年にはスチュ・ハートが主宰していたカナダ・アルバータ州カルガリーのスタンピード・レスリングに出場、ミスター・ヒトや若手時代のブレット・ハートと組んでアーチー・ゴルディーとも対戦している[4]。
1984年より、バイカー・ギミックのハーレー・ダビッドソン(Harley Davidson)としてテネシー州メンフィスのCWAに参戦[3]。ポークチョップ・キャッシュ、アンジェロ・ポッフォ、ジプシー・ジョー、トージョー・ヤマモト、ランディ・サベージ、ジョー・ルダック、ココ・ウェア、ノーベル・オースチン、リック・ルード、キング・コンガ、ザ・ムーンドッグスなどと対戦し、バグジー・マグローやオースチン・アイドルともタッグを組んだ[5]。
1984年12月、ヒルビリー・ジム(Hillbilly Jim)のリングネームでWWFに登場。ヘイスタック・カルホーン系のカントリーボーイ・スタイルにギミックを変更し[3]、12月17日のTVテーピングにてテリー・ギッブスを下してWWFデビューを果たす[6]。以降、ハルク・ホーガンのトレーニングを受けたという設定のもと[1]、アンドレ・ザ・ジャイアントのパートナーにも起用されてキングコング・バンディ&ビッグ・ジョン・スタッドと大型抗争を展開[7]。1985年下期からはアンクル・エルマー、カズン・ジュニア、カズン・ルークらとヒルビリー・ファミリー(The Hillbilly Family)なるユニットを結成、リーダー格となって活躍した[8]。
シングルではドン・ムラコのマネージャーだったミスター・フジと抗争、1986年10月から12月にかけて、タキシード・マッチによる両者の連戦が行われている[9]。1987年3月29日のレッスルマニアIIIでは、ミゼット・レスラーを交えた6人タッグマッチでバンディと対戦[10]。1988年11月24日のサバイバー・シリーズ88ではホーガン&サベージのメガ・パワーズのチームメンバーとなり、テッド・デビアス、ビッグ・ボスマン、アキーム、キング・ハク、レッド・ルースターのチームと対戦した[11]。
セミリタイア後の1990年からはWWFのメディア部門にてビデオソフトの販売促進などを担当[1][3]。1996年にはザ・ゴッドウィンズ(ヘンリー・O・ゴッドウィン&フィニアス・I・ゴッドウィン)のマネージャーとしてリングサイドに復帰した[12]。2001年4月1日にはレッスルマニアX-Sevenで行われたギミック・バトルロイヤルに出場[13]。以降、2000年代はレッスルマニアのファンイベント『レッスルマニア・アクセス』のレジェンド・ホストを務めた。その後は2012年4月10日、バージニア州ハンプトンで収録されたスマックダウンに、ダスティ・ローデス、ロディ・パイパー、ジム・ドゥガン、サージェント・スローター、パット・パターソン、トニー・アトラス、ジミー・ハートらと共にレジェンドの1人として出演している[14][15]。
2018年3月5日、WWE殿堂に迎えられることが発表された[16][17]。4月6日にルイジアナ州ニューオーリンズのスムージー・キング・センターで開催された式典では、ジミー・ハートがインダクターを務めた[18]。
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