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ココ・B・ウェア("Birdman" Koko B. Ware、本名:James Ware、1957年6月20日 - )は、アメリカ合衆国の元プロレスラー。テネシー州ユニオンシティ出身のアフリカ系アメリカ人。
全盛時は地元のテネシー地区やWWFを主戦場に活躍[1]。跳躍力を活かした空中殺法と陽気なキャラクターで子供ファンの支持を集めた[2]。
1978年、ジェリー・ジャレットが主宰する地元テネシー州メンフィスのCWAでデビュー[1]。以降も1980年代半ばまでCWAを主戦場に、ベビーフェイスとヒールの両方のポジションで活動。ジェリー・ローラー、ソニー・キング、ボビー・イートン、トミー・リッチ、オースチン・アイドル、ジミー・バリアント、ビル・ダンディーらと激闘を繰り広げ、ミッドアメリカ・ヘビー級王座を通算6回獲得した[3]。覆面を被り、黒人マスクマンのスタッガー・リー(Stagger Lee)またはスウィート・ブラウン・シュガー(Sweet Brown Sugar)に変身したこともある。軽量級戦線でも活動し、1983年10月10日にはトミー・ロジャースからUSジュニアヘビー級王座を奪取した[4]。
タッグではノーベル・オースチンとの黒人コンビ、プリティ・ヤング・シングス(Pretty Young Things、別名PYTエクスプレス)で活躍。CWAのみならず、NWAの主要テリトリーだったダラスやフロリダにも遠征し、1985年2月26日にはジェイとマークのヤングブラッド兄弟からフロリダ地区のUSタッグ王座を奪取した[5]。
1986年にWWFと契約。バードマン(Birdman)のニックネームを与えられ、オウムのフランキー(Frankie)を帯同して入場するショーマン派のベビーフェイスとして売り出される[2]。1987年からはブッチ・リードとの黒人同士の抗争を展開し、3月29日のレッスルマニアIIIで決着戦が行われるも敗退[6]。以降もヒール勢相手のジョバーなど、主にミッドカード専門の前座要員となり、タイトルには縁がなかったものの1994年まで8年間にわたってWWFに在籍した[1]。
その間、1991年1月に当時WWFの日本での提携先だったSWSに初来日[7]。1992年からは、同じく空中戦を得意としていた "ザ・ロケット" オーエン・ハートをパートナーに、ハイ・エナジー(High Energy)を結成してタッグ戦線に進出[8]。ビバリー・ブラザーズ(ボウ・ビバリー&ブレイク・ビバリー)、マネー・インク(テッド・デビアス&IRS)、ヘッドシュリンカーズ(サムー&ファトゥ)などのチームと抗争した[9]。また、同時期にWWFとの提携を開始したメンフィスのUSWA(CWAの後継団体)にも参戦、ジェリー・ローラーやカマラとタイトルを争った[10]。
WWF退団後はインディー団体を転戦して、1995年6月にはニューイングランド地区のIWCCWでグレッグ・バレンタインを破り、同団体認定のヘビー級王座を獲得。その後はセミリタイアしていたが、2000年代よりスポット参戦を再開。メンフィス周辺のインディー団体にレジェンドとして登場し、時折試合も行っている[1]。
2005年10月24日、久々にWWEのリングに上がり『Heat』の枠内にてロブ・コンウェイと対戦した[11]。2008年6月8日にはジェイク・ロバーツらWWF時代の仲間と共にTNAにも登場[12]。2009年4月4日、WWE殿堂に迎えられている[2]。
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