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セントラル自動車株式会社(セントラルじどうしゃ)は、かつて存在した日本の自動車製造メーカー。トヨタ自動車向けの完成車の製造及び特殊架装を手がけていた。
本社工場(2011年2月) | |
種類 | 株式会社 |
---|---|
市場情報 | 非上場 |
本社所在地 |
日本 〒981-3609 宮城県黒川郡大衡村中央平1番地 |
設立 | 1950年(昭和25年)9月4日 |
業種 | 輸送用機器 |
事業内容 | トヨタ車車体及び部分品の製造・販売等 |
代表者 |
葛原徹 (代表取締役社長) |
資本金 |
109億5,000万円 (2009年10月21日現在) |
売上高 |
728億円 (2009年3月末日現在) |
従業員数 |
1,504人 (2010年3月末日現在) |
決算期 | 3月31日 |
主要株主 | トヨタ自動車(株) 100% |
主要子会社 |
(株)シーエスアイ 55.0% 大昌工業(株) 48.9% 中央企業(株) 50.0% (株)豊和自動車 50.0% |
関係する人物 | 富谷龍一 |
1950年(昭和25年)、トヨタ自動車が蒲田工場を閉鎖した際、元従業員の有志を中心に設立された。
相模原工場(旧本社工場)から宮城県黒川郡大衡村の第二仙台北部中核工業団地内に本社並びに工場を移転した[1]。2011年(平成23年)1月から宮城工場(新本社工場)が本格稼動し、輸出用の「ヤリスセダン」(日本名:ベルタ)の生産を開始した[2]。相模原工場(旧本社工場)は3月29日でカローラアクシオの生産を終了して翌日に閉所式を行い、4月11日に宮城工場(新本社工場)への生産機能の全面移管、株主総会後の6月以降に宮城県に法人登記を移転すると報道されていた[2][3][4]。しかし、3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)により宮城工場(新本社工場)が操業を休止したため、全面移管の時期を遅らせ、相模原工場(旧本社工場)で3月受注分のみの生産を行った後、4月下旬に全面移管を行うと発表された[5][6]。
同社の宮城移転を受け、同工業団地を縦貫する東北自動車道には宮城県が大衡ICを新設し、国土交通省が三本木PAをスマートIC化した[7]。また、仙台北部道路と東北自動車道とを富谷JCTで接続し、同工業団地と仙台港や仙台空港との時間短縮がなされた。さらに、仙台港の再整備[8]や、仙台港〜北上駅(同じトヨタ系の関東自動車工業(現・トヨタ自動車東日本)岩手工場が所在)〜秋田港〜ロシア・ボストチヌイ港〜シベリア鉄道〜ヨーロッパと繋ぐ貨物の「環日本海シーアンドレール構想[9]」の実証実験が行われるなど、当社の宮城移転は東北地方の自動車産業や流通に多大な影響を与えた。
神奈川県から宮城県への本社移転に伴って、2009年(平成21年)1月に会社と労働組合との間で移転支援策がまとまったため、約4000人が宮城県に移住すると見られていた[10]。この大量転入により、新本社工場周辺の自治体や不動産業者が様々な移住促進策を繰り広げた[10]。
2012年5月現在の時点で生産されていた車種は、基本的に国内市場専売のE160系カローラ(カローラアクシオ[注釈 1]、およびカローラフィールダー[注釈 2])、海外市場専売のヤリスセダン(日本名・ベルタ)の2車種だけである。以前は一部の商用車およびスポーツカー、果てはアメリカ合衆国で展開されているサイオンブランドの車種の生産も手掛けていた。昭和末期頃より相模原工場の閉鎖までに生産された車両は、トヨタ車の中でも個性が強く、生産台数は決して多くない(いわゆる傍流の)車両が主であった。
また、コーチビルダーとしてトヨタ車をベースとした救急車やキャンピングカーの架装も行っていたほか(救急車架装は2001年まで)、北米で生産、販売されるピックアップトラック、タンドラの輸入と、同車ベースのキャンピングカーの販売も行っていた。
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