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かつて日本の東京都千代田区にあった秋葉原駅の駅ビル ウィキペディアから
アキハバラデパートは、かつて東京都千代田区の秋葉原地区に存在した鉄道駅併設型の商業施設である。秋葉原駅の駅ビル内にあった。
種類 | 株式会社 |
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市場情報 | 非上場 |
本社所在地 |
日本 東京都千代田区外神田一丁目17番15号[2] |
設立 | 1950年(昭和25年)12月25日[1][2][3] |
業種 | 小売業 |
事業内容 | 百貨店の運営 |
代表者 |
代表取締役会長 油谷晨介[1] 取締役社長 小沢豊[2] |
資本金 |
1000万円(設立時)[11] ↓ 7000万円(1953年(昭和28年)1月)[11] |
決算期 | 2月[12] |
主要株主 |
中山貞雄[注釈 1] 673,000株[11] 谷口三郎[注釈 4] 120,300株[11] 西村禧[注釈 5] 30,000株[11] 茂木育造[注釈 6] 27,000株[11] ↓ (初代)泰道三八[注釈 2] 807,300株[12][14][注釈 2] 小沢豊 100,100株[12][14][注釈 3] 鈴木清 22,000株[12][14] 堀光治[注釈 7] 20,100株[12][14] 日産火災海上保険 20,000株[12] 小池恵美子 20,000株[12] |
特記事項:2005年(平成17年)4月に東京圏駅ビル開発に吸収合併された[15]。 |
アキハバラデパート Akihabara Department Store[16] | |
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店舗概要 | |
所在地 |
〒101-0021 東京都千代田区外神田一丁目17番15号[2][17] |
座標 | 北緯35度41分53.99秒 東経139度46分20.87秒 |
開業日 | 1951年(昭和26年)11月15日[2] |
閉業日 | 2006年(平成18年)12月31日[18] |
施工者 | 大林組[19] |
敷地面積 | 2,022.7 m²[20] |
延床面積 | 5,981.02 m²[20] |
商業施設面積 | 4,274.02 m²[20] |
営業時間 |
10:00〜21:00(1〜3階) 10:00〜22:00(2階レストラン) 10:00〜19:30(1階実演販売) |
1950年(昭和25年)9月6日に民衆駅の開設の承認を得て[28]、同年12月25日に資本金1000万円で「株式会社 秋葉原会館」を設立し[11]、当初はホテルの開業を目指した[29]。
しかし、途中からデパートの開業へ方向転換し[29]、1951年(昭和26年)1月に大林組の施工で着工した[19]。 そして、同年11月に[19]国鉄秋葉原駅西口の高架下に[30]鉄筋コンクリート造3階建ての建物を竣工し[19]、同月15日に「秋葉原会館」を開店した[1]。 開業当初は日本国有鉄道に売上高の約1%の営業料を支払い、入居するテナント(委託業者)42名から7%から10%の営業料を得ることになっていた[31]。
また、開業時には千葉県物産即売場が開設された[32]。
開業初期には、おでん・そば・寿司・焼鳥など9店舗からなる「味の天国」やパチンコ店「コニーホール」などがあったほか、景品付きや観劇付きのセールを行うなどの特徴を持っていた[33]。
しかし、開業から約1年半を経ても日本国有鉄道に用地料・駅構内使用料を支払わず、約1500万円を滞納して問題となり[34]、不渡り手形も出すなど経営不振に陥った[35]。
1953年(昭和28年)1月に資本金7000万円に増資し[11]、同年3月に中山貞雄[注釈 1]が社長に就任して債務整理を実施した[5]。 その際に、発行済み株式140万株のうち[5]中山貞雄[注釈 1]が673,000株を取得したが[11]、株式取得代金として千葉銀行から1525万円を借り入れた形式となっていた[5]。 しかし、その元利の支払いを一度も行わず、銀行側もその請求を行わなかったことから、千葉銀行が事実上取得していたと見なされた[5]。
河合良成の紹介で千葉銀行から[36](初代)泰道三八[注釈 2]が1957年(昭和32年)3月15日に当社の再建を依頼され[37]、一株12.5円で[36]この中山名義で事実上千葉銀行が保有していた株式は譲渡された[5]。 その結果、泰道三八[注釈 2]が140万株のうち807,300株を保有するようになり[12][14]、1958年(昭和33年)に(初代)泰道三八[注釈 2]が社長に就任して[8]「泰道繊維(後の泰道リビング)」の傘下に入った[3]。
その後、同年12月に本八幡駅表口前に本八幡店を開設した[12]。
こうした経緯もあり千葉銀行秋葉原支店が当店内に出店していた[38]。
1960年(昭和35年)4月に小沢豊[注釈 3]が社長に就任して[3]泰道三八[注釈 2]が会長に就任し[8]、同年に「株式会社 秋葉原デパート」に商号を変更した[3]。 1961年(昭和36年)4月に大田区の山王馬込銀座に大森店を開設し[12]、同年6月に船橋電話局前に船橋店を開設した[25]。
「ローズ·チケツト」の名称でスタンプサービスも実施していた[39]ほか、昭和30年代から100円均一店を導入してファミリー層の顧客を狙う営業展開をしていた[40]。
1964年(昭和39年)2月期に公認会計士から減価償却不足約1億777万8000円や、支払利息・賃借料と支払手形を相殺していることなどの問題を指摘された[41]。 そして、翌年度の1965年(昭和40年)2月期には公認会計士から再び減価償却不足が指摘されたほか、売上高の過大計上などの指摘も受け、決算が「適切とは認めらない」とされた[42]。
1980年(昭和55年)6月23日に(2代目)泰道三八が新自由クラブから千葉県第1区から衆議院議員に初当選した際には、当社からも選挙違反で逮捕者が出た[43]。
2階と3階の飲食店を除く全フロアを[44]2002年(平成14年)1月26日に閉鎖した[45]。
その後、改装工事中の同年2月28日にJR東日本が買収して同社の傘下に入った[46][47]。
同年3月1日に2階に書店の「文教堂」が先行して新装開店した後、同年3月18日に3階も新装開店し、「アキデパ フジヤマ」としての営業を開始した[47][48]。 そして、3階のデパート口のすぐ横のキャンペーンゾーンに隣接して[49] 同月21日には「アキバカフェ」が開店した[50]。
しかし、同年11月に「アキバカフェ」を閉店し、同年12月にはショッピングサイトの「バーチャル アキデパ フジヤマ」を閉鎖して、再び一般客向けの商業施設へ転換を図ることになった[51]。
2003年(平成15年)2月1日に3階に「アキハバラブックセンター」が開店し、同月にマツモトキヨシが、同年3月にユニクロが開店し、「文教堂アキハバラデパート店」が撤退した2階も改装された[51]。
2005年(平成17年)4月に東京圏駅ビル開発(現・株式会社アトレ)に吸収合併されて[15]、同年10月25日にアキバセレクト館を[52]電気街口と中央改札口を結ぶ高架下の東西自由通路に[53]開設した[52]。
また、その間の同年6月には昭和通り口に飲食店が入居したアトレの新ブランド1号店「アトレヴィ秋葉原」(現・アトレ秋葉原2)が開業している[54]。
建物の老朽化が進んだうえ[55]、1991年(平成3年)に約69億円あった売上が2005年(平成17年)には約33億円と半分以下に減少したことから[55]、2006年(平成18年)12月31日に閉店となった[18]。なお、閉店の発表時点では「建物の今後は未定」とされており、建て替えのための閉店ではなかった[55]。
ただし、駅ビル閉店後も、秋葉原駅の電気街口と中央改札口を結ぶ東西自由通路にあるアキバセレクト館は営業を続けた[53]。
その後、当店跡の建物は改築され[広報 1]、南側に7階建て・北側に4階建ての建物を新築する形で[広報 2]増築し[広報 1]、2010年(平成22年)11月19日に「アトレ秋葉原1」が開店した[27]。
3階の「デパート口」という改札口から直接秋葉原駅(総武線ホーム)に出入りできる[44]、国鉄の「民衆駅」の典型的な形態を踏襲していた。このデパート口は長らく委託駅員が常駐しており、山手線内の駅改札の中では自動改札機の設置が非常に遅かった。[要出典]
2006年(平成18年)12月31日の[18]アキハバラデパート閉店と共に閉鎖された[57]。 その後、2010年(平成22年)11月19日のアトレ秋葉原1の開業に合わせ、アトレ秋葉原1改札口」として再開された[57]。
電気街口と中央改札口を結ぶ高架下の東西自由通路にあり[53]、2005年(平成17年)10月25日に開店した[52]。アトレ秋葉原1開業以降も引き続き営業していたが[53]、2011年(平成23年)2月28日に閉店した[56]。
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