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現代の88星座の1つ ウィキペディアから
Piscis Austrinus | |
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属格形 | Piscis Austrini |
略符 | PsA |
発音 | 発音: [ˈpaɪsɨs ɒsˈtraɪnəs]もしくは/ɒsˈtreɪlɨs/、属格:/ˈpaɪsɨs ʔɔːˈstraɪnaɪ/ |
象徴 | 南の魚[1] |
概略位置:赤経 | 21h 27m 13.9s - 23h 06m 54.6s[2] |
概略位置:赤緯 | −24.83° - −-36.46°[2] |
20時正中 | 10月下旬[3] |
広さ | 245.375平方度[4] (60位) |
バイエル符号/ フラムスティード番号 を持つ恒星数 | 21 |
3.0等より明るい恒星数 | 1 |
最輝星 | フォーマルハウト(α PsA)(1.16等) |
メシエ天体数 | 0 |
確定流星群 | みなみのうお座流星群 (Piscis Austrinids)[5] |
隣接する星座 |
やぎ座 けんびきょう座 つる座 ちょうこくしつ座 みずがめ座 |
2023年8月現在、国際天文学連合 (IAU) によって2個の恒星に固有名が認証されている[7]。
このほか、以下の恒星が知られている。
いわゆる「メシエ天体」は1つもない[24]。また、パトリック・ムーアがアマチュア天文家の観測対象に相応しい星団・星雲・銀河を選んだ「コールドウェルカタログ」に選ばれた天体もない[25]。
みなみのうお座は、古代バビロニアに起源を持つと考えられている[26]。古代バビロニアで、現在のみずがめ座の原型となったとされる「偉大なるもの」を意味する名を持つ「グラ (Gula)」の抱えた壺から流れる水に繋がる形で描かれた魚が、みなみのうお座の原型とされる[26]。この「壺から流れる水に繋がる魚」の意匠は地中海沿岸にも伝わり、紀元前3世紀後半の古代ギリシャの天文学者エラトステネースの著書『カタステリスモイ (古希: Καταστερισμοί)』や紀元前1世紀の古代ローマの著作家ガイウス・ユリウス・ヒュギーヌスの『天文詩 (Poeticon Astronomicon)』でも、みなみのうお座はみずがめ座が注ぐ水を飲み込んでいるとされた[6][27]。エラトステネース、ヒュギーヌス、ヒッパルコス、クラウディオス・プトレマイオスらは、いずれもこの星座には12個の星があるとしている[27]。
この星座に対する名称は一貫して「南の魚」を意味するものが付けられているが、その表現は記述する人によって様々であった。2世紀にアレクサンドリアで活動した天文学者クラウディオス・プトレマイオスは、天文書『ヘー・メガレー・スュンタクスィス・テース・アストロノミアース (古希: ἡ Μεγάλη Σύνταξις τῆς Ἀστρονομίας)』、いわゆる『アルマゲスト』の中で、この魚の星座に「南の魚」を意味する Ἰχθύς Νότιος (Ichthys Notios) という名称を付けた[6]。16世紀ネーデルラントの地図製作者ゲラルドゥス・メルカトルが1551年に製作した天球儀には、ラテン語で Piscis Meridionalisと記載されている。17世紀ドイツの法律家 ヨハン・バイエルやポーランドの天文学者ヨハネス・ヘヴェリウス、19世紀ドイツの天文学者ヨハン・ボーデは Piscis Notius という表現を使った[6]。現在は、17世紀イギリスのジョン・フラムスティードが使った Piscis Austrinus が学名として採用されている[6]。
プトレマイオスが設けた Ἰχθύς Νότιος には、現在のつる座γ星も含まれており、魚の尾の部分を成す南端の星とされていた[6][28][29]。つる座γ星にアラビア語で「尾」を意味する言葉に由来する「アルダナブ[11](Aldhanab)[7]」という固有名が付けられているのは、その名残である[30]。この星は、バイエルが編纂した『ウラノメトリア』ではつる座の頭の部分を成す星とされ、ギリシア文字のγが付された。また、魚の姿を形作る星とは別にみなみのうお座に組み入れられていた6つの星は、18世紀半ばにニコラ=ルイ・ド・ラカイユが考案したけんびきょう座の星とされた[31]。
1922年5月にローマで開催されたIAUの設立総会で現行の88星座が定められた際にそのうちの1つとして選定され、星座名は Piscis Austrinus、略称は PsA と正式に定められた[32]。
ドイツ人宣教師イグナーツ・ケーグラー(戴進賢)らが編纂し、清朝乾隆帝治世の1752年に完成・奏進された星表『欽定儀象考成』では、みなみのうお座の星は、二十八宿の北方玄武七宿の第四宿「虚宿」・第五宿「危宿」・第六宿「室宿」に亘って配されていたとされる[33]。虚宿では、5番星が女性の打掛を表す星官「離瑜」に、γ・19 の2星が使い古された臼を表す「敗臼」に充てられた[33]。危宿では、13・θ・ι・μ・τの5星が天界で使われる貨幣を表す星官「天銭」に充てられた[33]。室宿では、λ・ε・HD 212448・ε・21・20 の6星が天帝の親衛軍を表す星官「羽林軍」に、δ が天と地を繋ぐ綱を表す星官「天綱」に、α が宮城を守る天の北門を表す星官「北落師門」に、それぞれ充てられた[33]。
エラトステネースは、クニドスのクテーシアスの伝える話として、シリアの豊穣の女神デルケトー(Derketō, アタルガティスのギリシャ名)が、シリア北部のユーフラテス川近くの街ヒエラポリス・バンビュケ (Hierapolis Bambyce) にある湖に落ちた際に大きな魚に助けられた、という話を伝えている[6]。またエラトステネースは、うお座の2匹の魚の親であるとした[6][27]。このデルケトーが魚に助けられる伝承のほかに、みなみのうお座に関する伝承は特に伝わっていない[6][27]。
世界で共通して使用されるラテン語の学名は Piscis Austrinus、日本語の学術用語としては「みなみのうお」と定められている[34]。
日本では、1874年(明治7年)に文部省より出版された関藤成緒の天文書『星学捷径』で「南方ノ魚」という名前で紹介されている[35]。1910年(明治43年)2月刊行の日本天文学会の会報『天文月報』第2巻11号に掲載された「星座名」という記事では「南魚」とされていた[36][注 1]。この訳名は、1925年(大正14年)に初版が刊行された『理科年表』にも「南魚(みなみのうを)」として引き継がれた[37]。戦後の1952年(昭和27年)7月に日本天文学会が「星座名はひらがなまたはカタカナで表記する」[38]とした際に、Piscis Austrinus の日本語名は「みなみのうお」と定められた[39]。これ以降は「みなみのうお」という表記が継続して用いられている。
現代の中国では、南魚座[40](南魚座[41])と呼ばれている。
α星フォーマルハウトに対して、静岡県駿東郡小泉村佐野(現・裾野市)に「ヒトツボッサン(一つ星さん)」、山形県酒田市飛島に「キョクボシ(極星)」、静岡県焼津市に「フナボシ(船星)」、岩手県九戸郡洋野町に「アキボシ(秋星)」、京都府竹野郡間人町(現・京丹後市丹後町間人)に「ヤバタホシ(矢畑星)」、静岡県静岡市清沢地区に「サスボシ(不明)」、新潟県佐渡郡相川町姫津(現・佐渡市)に「ワボシ(和星)」などの和名が伝わっている[42]。
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