たけしのここだけの話
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『たけしのここだけの話』(たけしのここだけのはなし)は、1988年10月2日から1990年9月30日までフジテレビ系列で放送されていたトーク番組である。IVSテレビ制作・関西テレビの共同制作。放送時間は毎週日曜22:30 - 23:00 (日本標準時)。
KINCHOおもしろ倶楽部 たけしのここだけの話 | |
---|---|
ジャンル | トーク番組 |
企画 |
広田明 (関西テレビ) 牛丸謙壱 (IVSテレビ制作) |
構成 |
豊村剛、平松邦宏 ダンカン、田中直人 |
演出 |
長尾忠彦 玉井浩 |
出演者 |
ビートたけし 山口美江 |
国・地域 | 日本 |
言語 | 日本語 |
話数 | 全98回 |
製作 | |
プロデューサー |
越智武彦 (関西テレビ) 望月政道 (IVSテレビ制作) |
編集 |
アートプラザ TVT AKASAKA |
制作 |
IVSテレビ制作 関西テレビ |
放送 | |
放送局 | フジテレビ系列 |
映像形式 | 4:3 |
音声形式 | モノラル |
放送国・地域 | 日本 |
放送期間 | 1988年10月2日 - 1990年9月30日 |
放送時間 | 日曜 22:30 - 23:00 |
放送分 | 30分 |
特記事項: キャスト・スタッフ・収録時等の画像 |
前番組『スターご勝手対談』と同じくKINCHO一社提供番組で、同じく『KINCHOおもしろ倶楽部』枠で放送されていた。『スターご勝手対談』までは関西テレビ大阪本社の製作で、収録も本社内のスタジオで行われていたが、本番組からは東京支社での製作になり(同時に制作担当を自社から制作プロダクションへの外注に変更)、収録も東京都内のスタジオへと変更された。オープニングタイトルは新宿区の超高層ビルの夜景(空撮)をバックに番組タイトルと提供クレジット[1]が表記されていた。
本番組の司会はビートたけし・山口美江で[2]、毎回ゲストを迎えてトークを展開していた。第1回目のゲストは三田佳子、最高視聴率を記録した回のゲストは山田邦子、最低視聴率だった回のゲストは大屋政子。前番組までは公開放送だったが、本番組では観客を入れず、ラジオのブースをイメージしたスタジオでトークを展開する形式だった。また、番組の収録終了前にはたけしたちと各回のゲストをカメラで写真撮影し、その写真を基に作成したテレホンカードを視聴者プレゼントにしていた。
1990年10月に日本テレビ系列で、本番組と同じスタッフ(関西テレビ担当者以外)による『蝶々・たけしの21世紀まで待てない!!』(読売テレビ製作)が開始されることになったため、番組は9月30日放送分をもって終了した。最終回では総集編を放送し、当該回のラストではたけしが「2年間ありがとうございました」と挨拶して番組を締めくくった。
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ほか
代 | タイトル | アーティスト | レーベル | 放送期間 |
---|---|---|---|---|
1 | 月の砂漠から | 久野かおり | Bourbon/徳間ジャパン | 1988年10月 - 1989年3月 |
2 | Time Is Up | 1989年4月 - 9月 | ||
3 | 哀色の印象 -AVEC LE FEU- | Kei(増田恵子) | 1989年10月 - 1990年6月 | |
4 | 運命が変わる朝 | 1990年7月 - 9月 |
※1989年10月から最終回までエンディング曲を歌った増田の2曲は、後にベストアルバム『Colors〜30th Anniversary All Time Best』[3]に収録されている。
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特筆の無い限り全て同時ネット。クロスネット局など遅れ放送だった地域は金鳥のスポンサードネットの対象から外され、ローカルスポンサーに差し替えられていた(番組冒頭の『KINCHOおもしろ倶楽部』のテロップや提供クレジットも差し替え)。
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