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矢追 純一(やおい じゅんいち、1935年〈昭和10年〉7月17日[1] - )は、日本のディレクター、テレビタレント、実業家、UFO・超常現象研究家。1970年代から1990年代までに制作を指揮したオカルト関連のテレビ番組で特に有名となったが、1995年からは宇宙塾を主宰するなど、実業家としてテレビ番組制作以外での活動に比重を置いている。
1935年、満洲国新京生まれ。元々裕福な家庭であったが、名古屋帝国大学を首席級の成績で卒業したエリートであった父親を亡くした上に、日本が太平洋戦争の敗戦国となった途端、大連で敵国民としての扱いを受けて極貧生活に転落[2]。当時病弱だった純一の体の健康を気にした母親は自宅学習を禁止し、自宅では運動をして遊ばせるとともに、授業だけで好成績を取るように厳命する。電機学園高等学校(現:東京電機大学高等学校)では入学後早々と母親が亡くなる。更に厳しい環境に置かれた純一はアルバイト生活を送りながら、時間もない中で1冊の対策本のみを隅々まで熟読し、当時の難関とされた中央大学法学部法律学科に入学して卒業した。
1960年、純一の卒業後の進路が決まっていないことを心配したアルバイト先の年配の人の紹介で、難関である日本テレビの選考を受けて入局[2]。制作局在職中に『11PM』や『木曜スペシャル』で超常現象を扱ったドキュメンタリー風オカルト番組を数多く手掛け[2]、軒並み高視聴率を記録した。自らも番組出演するディレクターとして売り出された[2]。
『超能力者ユリ・ゲラー』(1974年)[2]、『オリバー君来日』(1976年)等の話題作を次々と仕掛け、時代の寵児となったが、スプーン曲げで追従した関口少年のトリックが見破られて[注釈 1]超能力ブームが一気に終息したため、1970年代末以降はUFOネタを主に扱うようになった。結果として、オカルトを日本国内で広く認知させた。
系列局のアール・エフ・ラジオ日本に出向してディレクター兼ディスクジョッキーを務めた後、1986年9月に退局[2]。以降フリーのディレクターとして活動する傍ら、財団法人地球環境財団の設立発起人に名を連ね[2]、広報兼常務理事を務めた(後に退任)。またバブル景気に乗じて、オーディオ機器製造会社イマジェックス[注釈 2][3]や[2]、株式会社ジェイプランナーの社長、有限会社スペース・ラブ取締役などを歴任。
1995年7月7日から現在に至るまで宇宙塾を主宰し[2]、毎週のようにセミナーを開催する。セミナーでは北海道から九州までを含む日本各地のファン(動画などを見て海外から訪ねてくる外国人も少数存在)と直接交流を図っている。毎月1回、主に最終土曜日に行われている自由参加セミナー(事前に参加申込が必要)や、毎年の誕生日会と言ったライトなイベントから、特別編と呼ばれるコアなセミナーまで多種多様なイベントを展開中である[4]。
非認定の株式会社イオンド大学日本校から「理学博士号を授与」され、2000年より教授・未知現象研究学部長[5]の肩書を用いていたが、同社が経営破綻した2007年以降本人のプロフィールから削除されている。
その後、石川県羽咋市のコスモアイル羽咋の名誉館長に就任した。 2011年、コスモアイル羽咋が実施した「UFO検定」を監修した[6]。
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