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南天の星座 ウィキペディアから
2023年6月現在、国際天文学連合 (IAU) によって2個の恒星に固有名が認証されている[5]。
このほか、以下の天体が知られている。
天の南極に近いためメシエ天体こそないものの、2つの球状星団と1つの散開星団がパトリック・ムーアがアマチュア天文家の観測対象に相応しい星団・星雲・銀河を選んだ「コールドウェルカタログ」に選ばれている[20]。
紀元前3世紀前期の古代ギリシアの詩人アラートスは、著書『ファイノメナ (古希: Φαινόμενα)』の中で「天の他の星々が雲に隠れてかすみ、この星座が輝いて見えるようであれば、船の帆をたたんで激しい南風に備えるように」と伝えている[33]。紀元前3世紀後期にアレクサンドリアで活動したエラトステネースや1世紀頃のヒュギーヌスは、さいだん座は4個の星で構成されるとした[34]。2世紀に活動した古代ローマの天文学者プトレマイオスの天文書『ヘー・メガレー・スュンタクスィス・テース・アストロノミアース (古希: ἡ Μεγάλη Σύνταξις τῆς Ἀστρονομίας)』、いわゆる『アルマゲスト』では「7個の星で構成される」と記述されている[34]。この祭壇は『アルマゲスト』以降の各時代の星図で、北側に本体、南側に炎という、北半球から見ると上下が逆転した姿で描かれていた[3]。
1603年、ドイツの法律家ヨハン・バイエルは、全天星図『ウラノメトリア (Uranometria)』を出版し、各星座の恒星に対してギリシア文字の小文字の符号、いわゆるバイエル符号を付した[35]。しかし、『ウラノメトリア』の星表には星の位置を示す座標が書かれておらず、また南天の星の位置はオランダの地図製作者ペトルス・プランシウスやヨドクス・ホンディウスが製作した天球儀から写し取られたものであったため、不正確なものが多かった[36]。
この星の位置の問題は、18世紀フランスの天文学者ニコラ=ルイ・ド・ラカイユによって正されることとなる。1751年から1752年にかけて南アフリカのケープタウンで南天の星の位置を正確に観測したラカイユは、1756年に出版されたフランス科学アカデミーの1752年版紀要に自身の観測記録を元に作成した星表と星図を寄稿した[37]。ラカイユはこの星表の中で、バイエルが『ウラノメトリア』で図示したさいだん座の星の位置を正すとともに、バイエルが付した符号を全て廃してギリシア文字の符号を新たにαからσまで[注 2]振り直した[39][38]。
1879年、コルドバ州に新設されたアルゼンチン国立天文台の台長の職にあったアメリカ生まれの天文学者ベンジャミン・グールドは、自身の観測記録を元に編纂した南天の星表『Uranometria Argentina』を刊行した。この星表の中でグールドは、さいだん座の星に対してラカイユの付したギリシア文字の符号のうち、6等より暗い星に付された νとρ を除いて他のものは全て採用した[40][41]。
1922年5月にローマで開催されたIAUの設立総会で現行の88星座が定められた際にそのうちの1つとして選定され、星座名は Ara、略称も Ara と正式に定められた[42]。
ドイツ人宣教師イグナーツ・ケーグラー(戴進賢)らが編纂し、清朝乾隆帝治世の1752年に完成・奏進された星表『欽定儀象考成』では、さいだん座の星は二十八宿の東方青龍七宿の第六宿「尾宿」と第七宿「箕宿」に配されていた[43]。尾宿では、ε・γ・δ・η・ζ の5星が星官「亀」に充てられた[43][44]。箕宿では、σ・α・β・θ の4星が星官「杵」に充てられた[43][44]。
エラトステネースや1世紀古代ローマの詩人マルクス・マニリウスによると、大神ゼウス率いるオリュンポスの神々とクロノス率いる巨神族ティーターンとの戦い「ティーターノマキアー」の際に、クロノスとティーターン族による旧体制を打ち破ることをゼウスとその兄弟たちが誓った祭壇であるとされる[3][34]。しかし、ティーターノマキアーの話を伝えるヘーシオドスの『神統記』やアポロドーロスの『ビブリオテーケー』、には神々の盟約を伝える記述がないことから、エラトステネースの創作かあるいは散逸して現存しない資料を参考にしたものと見られる[34]。またエラトステネースは、ケンタウロス族の賢人ケイローンが野獣を生贄として捧げる祭壇とも説明している[34][45][46]。
古代ギリシア・ローマ時代にはこの星座は、祭壇を意味する θυτήριον (羅: Thyterion) とも、香炉を意味する θυμιατήριον (羅: Thymiaterion) とも呼ばれていた。18世紀頃まではラテン語で「香炉」を意味する「トゥリブルム[47]」(Thuribulum) の名称で呼ばれることもあった[3]。
日本語での学名は「さいだん」と定められている[48]。日本では、明治末期に「祭壇」という訳語が充てられていたことが、1910年(明治43年)2月刊行の日本天文学会の会報『天文月報』第2巻11号に掲載された「星座名」という記事でうかがい知ることができる[49]。この訳名は、1925年(大正14年)に初版が刊行された『理科年表』にも引き継がれた[50]。戦後の1952年(昭和27年)7月に日本天文学会が「星座名はひらがなまたはカタカナで表記する」[51]とした際に、Ara の日本語の学名は「さいだん」と定められた[52]。これ以降は「さいだん」という学名が継続して用いられている。
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