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ソ連の爆撃機 ウィキペディアから
Tu-95(ツポレフ95:ロシア語:Ту-95)は、ソビエト連邦(ソ連)が開発した戦略爆撃機である。開発はツポレフ設計局で、ソ連空軍向けのTu-95のほか、ソ連海軍向けの長距離洋上哨戒/対潜哨戒機型も開発され、それらはTu-142(ツポレフ142;ロシア語:Ту-142)の形式名称が与えられている。
アメリカ国防総省が割り当てたコードネームはType 40。NATOコードネームは-95、-142共にベア(Bear:熊の意)。
Tu-95は1950年代に開発された長距離戦略爆撃機で、米国製B-29のデッドコピーであるTu-4の発展型とも呼べる機体である。試作機のTU-95/1は1952年11月12日に初飛行しており、首都モスクワにおける1955年のツシノ航空ショーでは7機が飛行している。
1956年からはソ連空軍でTu-95Mの実用配備が始まり、1959年にはTu-95K-20の生産が開始され、1961年にはTu-95K-20に空中給油プローブを取付けたTu-95KDが登場している。
1970年代にはTu-95に巡航ミサイルの搭載能力付与計画が始まり、1972年にはKSR-5(AS-6 キングフィッシュ)巡航ミサイルが搭載可能なTu-95M-5が飛行試験を開始しており、1976年にはKh-55(AS-15A ケント)巡航ミサイルが搭載可能なTu-95M-55が初飛行した。この型式をTu-95MSとした量産化が決定したが、既にTu-95の生産ラインは閉鎖されており、1983年にその生産ラインを再開させてTu-95MSの量産が開始されている。また、再開された生産ラインに合わせて、対潜哨戒型のTu-142の量産が開始されている。初期の機体は全機退役しており、現在では最新型のTu-95MSと対潜哨戒機用のTu-142が運用されているのみである。
プロペラ機だが、レシプロエンジンではなくガスタービンエンジンでプロペラを駆動する、いわゆるターボプロップ機である。主翼の翼弦長の25%の位置において、付け根方向の内翼部で37度、翼端方向の外翼部で35度の、ターボプロップ機としては珍しい後退翼を持っており、プロペラ機の世界最速(最高速950km/h)を誇る。4枚・タンデムの二重反転プロペラを、比較的遅い回転数(約1500rpm程度)で回転させている。先端速度を低くすることで、効率の低下を低減し高速での飛行を実現しており、このプロペラが独特の低音を発する。また、ターボプロップ機の研究はその後も続いているものの、これを超える、ないし同程度に成功した例が以後にない、航空史上稀有な成功例となっている。
空中給油なしで15,000km(8,000nm)の航続距離を持つ。
Tu-95がターボプロップ方式を採用した理由として、1950年代のジェットエンジンの燃費の悪さがある。既にジェット爆撃機のTu-16が実用化されており、戦略爆撃機としてM-4も開発中であったが、当時のジェットエンジンの燃費では北アメリカ大陸を爆撃できる航続距離を得ることは難しいと判断されていたため、Tu-95では燃費の良いターボプロップを採用することとなった。
本機の成功は、ソ連がプロペラを比較的低速で回転させながら高速飛行する手法を確立できたことによる。他のターボプロップ機の最適飛行速度は724 km/h 以下で、この速度以下の巡航なら効率は高いものの、それ以上の高速ではむしろターボファンエンジンのほうが効率は良い。その理由から同クラスの最高速度を有する航空機のエンジンにはターボファンが普及し、ターボプロップの採用機は一部に留まった。また、先進ターボプロップ(ATP:Advanced TurboProp)と称して高速化などについて各国でそれなりの研究・開発は行われているものの、未だTu-95を凌ぐものは実用化されていない。これらの要因により、Tu-95は世界最速のプロペラ機であり続けている。
アメリカでも高速ターボプロップ機の研究は進められ、同時代の爆撃機でありライバルでもあるB-52においても当初は高速ターボプロップ採用が予定されていたが、結局実用化されずにターボジェットエンジンが搭載され、後に効率が高いターボファンエンジンに換装されている。
機体胴体内の兵器倉には回転式ランチャーを装備しており、Tu-95MS-6では、Kh-55長距離巡航ミサイル6発を搭載できるほか、両主翼付け根部にもKh-55を各1発搭載が可能である、その後の発展型であるTu-95MS-16では、両主翼に10発のKh-55を搭載して計16発の巡航ミサイルの搭載が可能となったが、戦略兵器制限交渉(SALT)と戦略兵器削減交渉(START)の協定により、現在ではそれが不可能となっている。また、洋上作戦用にKh-65E空対艦ミサイルを搭載できるようになっており、通常爆弾は兵器倉に12,000kgを搭載できる。
胴体尾部には尾部銃塔があり、NR-23 23mm機関砲1門とその上に射撃管制用の「ボックス・テイル」レーダーが方向舵後縁の付け根部分に取付けられている[注釈 1]。初期の機体には胴体背部に旋回式の機関砲銃塔が装備されていたが、現在の機体では廃止されている。
搭載電子機器は、機首先端に「トアド・ストール」気象レーダーとその下部の大形レドームの中にオズボール航法/爆撃レーダーが装備されており、それらの機器を冷却するための冷却用のダクトが胴体左側の後部まで延びている。その他にRSBN短距離航法システムを装備しており、その弓矢型のアンテナが胴体尾部の「ボックス・テイル」レーダーのレドームの下部に取付けられている。機首先端の気象レーダーの左右には電子攻撃(ECM)器材用のフェアリングがあり、機首下面には「グラウンド・バウンザー」ECMアンテナが装備され、後部胴体左右にはポッド状のECM器材が装備されている。垂直尾翼上端後縁の比較的大形のフェアリング内には赤外線警戒受信機が装備されており、機体各所にレーダー警戒装置のセンサー用の膨らみがある。また、降着装置扉と主翼ポッドにはチャフ・フレア・ディスペンサーが装備されている。
Tu-95の総生産機数は派生型も含めて500機以上であり、生産は断続的に1990年代まで続けられた。ソ連空軍に加え、ソ連崩壊後のロシア空軍、ウクライナ空軍、およびカザフスタン空軍でも運用されたが、ウクライナ、カザフスタンの保有機はロシアへ条件付で譲渡されるか、アメリカ合衆国などの資金援助で1990年代に搭載兵器とともに解体された。
1961年10月30日、ソ連のノヴァヤゼムリャ島上空で行われた史上最大の水素爆弾「AN602(通称ツァーリ・ボンバ)」による核実験では、投下用に対衝撃波・放射線・熱線防御に重点を置いた専用改修を受けたTu-95Vが使用された。
また、領空侵犯や防空識別圏への接近・進入機として各国にて確認された大型ソ連機の多くがTu-95である。旧ソ連時代から米国や西ヨーロッパ、日本などへの偵察や示威活動は2020年代も続いている[1]。日本に接近して来る機の飛行行動は、その行動パターンから「東京急行」と呼称されている。
2019年7月23日、2機のTu-95MSが中国人民解放軍空軍のH-6K戦神爆撃機2機とともに初の共同警戒監視活動を日本海上空で行い[2][3][4][5]、防空識別圏に侵入して約30回の警告を無視した中露機のうちロシア軍機のA-50が竹島上空を領空侵犯したとして18機の大韓民国空軍の戦闘機F-15とF-16が約360発警告射撃したと韓国が発表し[6][7]、日本の航空自衛隊も10機のF-15JとF-2でスクランブルを行って4カ国入り乱れ[8][9]、空自機は尖閣諸島上空を領空侵犯する90km手前の中露機に針路変更を促した[10][11]。
シリア内戦でアサド政権軍を支援するため2015年11月、他の戦略爆撃機とともにTu-95MSMがISILに対する巡航ミサイル攻撃に投入された[12]。
2022年ロシアのウクライナ侵攻では、ウクライナに対する空対地ミサイル攻撃に投入された。Tu-95を含むロシアの戦略爆撃機部隊が使用しているロシア本土のジャギレボ空軍基地(リャザン州)とエンゲリス空軍基地(サラトフ州)が同年12月5日に攻撃を受け、ロシア国防省はウクライナの長距離ドローンによるとの見解を発表した[13]。 2023年9月にはTu-95の機体上にタイヤを載せた姿が報道されたが、これはドローン攻撃から機体を守るための一時的な措置ではないかと議論された[14]。
爆撃機型の他に偵察機型、対潜哨戒機型Tu-142が開発され、また主翼、エンジンなどをそのままに、胴体を改設計した長距離旅客機型Tu-114や、そのTu-114をベースにした早期警戒機型Tu-126などの派生型も開発・生産された。
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