アソシアシオン・スポルティヴ・ドゥ・モナコ・フトボル・クルブ: Association Sportive de Monaco Football Club、通称:ASモナコ (AS Monaco, フランス語発音: [ɑ.ɛs mɔnako])、またはモナコ (Monaco))は、モナコ本拠地とする、リーグ・アンに所属するプロサッカークラブ。ホームスタジアムはスタッド・ルイ・ドゥ

概要 原語表記, 愛称 ...
ASモナコFC
原語表記 Association Sportive
de Monaco Football Club
愛称 Les Rouge et Blanc(赤と白)
LES MONEGASQUES
クラブカラー    
   
創設年 1919年
所属リーグ フランスプロサッカーリーグ(LFP)
所属ディビジョン リーグ・アン(1部)(2024-25
昨季リーグ順位 リーグ・アン2位(2023-24
ホームタウン モナコ
ホームスタジアム Thumb
スタッド・ルイ・ドゥ
収容人数 18,524
代表者 ロシアの旗 ドミトリー・リボロフレフ英語版
監督 オーストリアの旗 アドルフ・ヒュッター
公式サイト 公式サイト
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ホームカラー
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アウェイカラー
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サードカラー
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ
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地中海に面したコート・ダジュール地方に拠点を置くニースとの試合は、コートダジュール・ダービーとして扱われる。ダービーでサポーターが相手チームをけなす事は欧米では珍しくないことであるが、モナコのサポーターはそのようなことはせず、自チームの応援のみを目的としている[1]

キリアン・エムバペをはじめ世界屈指の選手がASモナコでプロキャリアを始めている。

概要

1919年に創立し、1948年にプロのクラブチームとして認可された。1953年に1部昇格を果たして以来、レーニエ大公(当時)の打ち出した企業への税制優遇措置に乗る形で優秀な外国人選手を大量に加入させ、フランスリーグでも有数の強豪へとのし上がる。

通算リーグ優勝8回、カップ戦の優勝は5回を数える。さらにヨーロッパの舞台でも実績を残しており、UEFAカップウィナーズカップおよびUEFAチャンピオンズリーグで、それぞれ1992年大会2004年大会で準優勝を果たした。

また、欧州クラブ協会の会員でもある。2011年にはクラブの3分の2がロシアの大富豪(オリガルヒ)である、ドミトリー・リボロフレフ英語版が率いる投資グループによって買収された[2]

歴史

1910年代 - 1950年代

ASモナコFCは、1919年8月1日にフランスモナコ公国の5つのクラブ(Swimming Club、モナコ・スポール、ASボーソレイユ、エトワール・ドゥ・モナコ、ACリヴィエラ)が合併して公式に設立された[3]。合併したクラブの中の、モナコ・スポール(旧称エルクリス)は1904年に創設されたモナコの象徴的なクラブだった[3]。このASモナコFCは、1924年8月23日に総合スポーツ組織ASモナコへと吸収された[3]。1924-25シーズンに南東リーグにて最初の試合を行った[3]

1948年にプロ化された[3]。1952-53シーズンのディヴィジョン・ドゥで2位となり[4]1953-54シーズンにトップリーグであるディヴィジョン・アンに初めて昇格した[3]

1960年代 - 1970年代

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クラブの最多得点者(223得点)であるデリオ・オニス

1958年に監督に就任したリュシアン・ルデュク英語版の下でモナコは躍進を遂げ、1960年にフランスカップの決勝でASサンテティエンヌを4-2で破り、初めての主要タイトルを獲得した[3]。1961年より、モナコ公妃グレース・ケリーの提案によって、斜めに白と赤を分割した有名なシャツを着用するようになった[3]。1960-61シーズン、モナコは初めてのリーグタイトルを獲得した[3]。1962-63シーズンにはリーグとカップのダブルを達成した[3]。しかし、1963年にルデュクが退任、そして優勝に貢献した主力選手たちもモナコから離れていくにつれチーム力が衰え、1969年に降格した[3]

しばらくは昇格と降格を繰り返していたが[3]、1975年[5]に若くして会長に就任したジャン=ルイ・カンポラの下で、クラブの再構築が進んでいった[3]。1960年代に成功したリュシアン・ルデュクを再び監督に迎え、1977-78シーズンにディヴィジョン・アンに昇格すると、昇格1年目のシーズンに15年ぶりのリーグ優勝を果たした[6]。フランスサッカーの歴史において昇格1年目のクラブがリーグ優勝した例は、このシーズンのモナコのみである[7]。1973年から1980年まで7シーズン在籍したアルゼンチン人の点取り屋デリオ・オニスは223ゴールを挙げ、現在もクラブの最多得点記録者となっている[8]。GKジャン=リュック・エトリは、1975年からの17シーズンのキャリアのすべてをモナコで過ごし、クラブの最多出場記録(755試合)およびリーグ・アン全体での最多出場記録(602試合)を有する[8][9]

1980年代 - 1990年代

1979年から1983年までのジェラール・バニド英語版の監督時代には、1979-80シーズンに17年ぶりのクープ・ドゥ・フランス優勝、1981-82シーズンに4度目のリーグ優勝を果たした。1985年1月25日、現在のスタッド・ルイ・ドゥが開場した[3]

1987年から7シーズンのあいだチームの指揮を執ったアーセン・ベンゲルの時代には、グレン・ホドルマーク・ヘイトリーイングランド代表コンビを中心に、堅守速攻の近代的なサッカーで毎年優勝争いを繰り広げた。ベンゲルの下では国内(1987-88シーズンにリーグ優勝、1990-91シーズンにカップ優勝)だけにとどまらず、欧州の舞台でも成功を収め、1991-92シーズンUEFAカップウィナーズカップで準優勝(ヴェルダー・ブレーメンが2-0で勝利)、1993-94シーズンUEFAチャンピオンズリーグの準決勝に進出(優勝するACミランに敗退)した。[3]また若い世代の選手のスカウト・育成にも力を入れ、この頃に見出された選手にリリアン・テュラムらがいた。

その後ベンゲルの後を継いだジャン・ティガナ、そしてモナコの生え抜き選手だったクロード・ピュエルの時代も好調を維持した。ティガナ時代の1996-97シーズンは9シーズンぶりのリーグ優勝を果たし、UEFAカップでは準決勝でイタリアのインテルに敗れた[3]1997-98シーズンのチャンピオンズリーグでは準決勝でユヴェントスFCに敗れた。この時代の主要な選手にはファビアン・バルテズエマニュエル・プティティエリ・アンリソニー・アンデルソンらがいた[3]。ピュエル時代の1999-2000シーズンには7つ目のリーグタイトルを獲得した。

2000年代

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UEFAチャンピオンズリーグ 2003-04 決勝FCポルト戦の先発出場選手

しかし1990年代末頃、それまでの放漫経営がたたって巨額の負債を抱え込み、好成績を収めながら2003-04シーズン開始直前には2部への強制降格を言い渡されるほど厳しい経営状況に追い込まれる(この時は各方面からの援助もあり、降格措置は免れた)。長年にわたってクラブの会長職にあったジャン=ルイ・カンポラは2003年6月に辞任した[10]。しかしこの2003-04シーズンはディディエ・デシャン監督の下、レアル・マドリードチェルシーFCを破ってUEFAチャンピオンズリーグ決勝まで進出し、初のCLのタイトルを手にしかけるが、FCポルトに3-0で敗れて準優勝に終わった[3]。当時の主なメンバーは、パトリス・エヴラリュドヴィク・ジュリジェローム・ロタンフェルナンド・モリエンテスダド・プルショなどがいた[3]

2003-04シーズン終了後、チームを支え続けてきたジュリら主力選手が他クラブへ次々に移籍。その代替要員として獲得した新戦力がなかなか戦術に馴染まず、徐々に弱体化した。

2005-06シーズンはチャンピオンズリーグ本戦出場権を賭けた試合でレアル・ベティスに苦杯を喫し、その後も上向かないチーム状態の責任を取る形でデシャン監督がシーズン途中に辞任した。後任のフランチェスコ・グイドリンも結果を残せず、僅か8ヶ月の在任に終わる。2006-07シーズンからはスタッド・レンヌの監督を務めていたルーマニア人、ラースロー・ベレニを招聘。全ポジションの積極的な補強も行ったが、10節を終えてわずか2勝と振るわずに在任5ヶ月で解任された。同年10月からはアシスタントコーチのローラン・バニド英語版が暫定的に指揮を執り、一時は最下位に沈んだクラブを9位にまで押し上げたものの、フロントとの不和もあってかシーズン終了後に解任された。

2007-08シーズンはFCジロンダン・ボルドーで堅守速攻のサッカーを展開して好成績を収めたリカルド・ゴメスが監督の座に就き、不振からの脱却を目指したが、またしても低迷。ミシェル・パストール英語版会長とジェラール・ブリアンティ副会長が成績不振の責任を取って辞任するまでに至った。

2009-10シーズンからは前レンヌ監督のギー・ラコンブが監督に就任。捲土重来を期するも、中位を彷徨うシーズンがまたしても再現された。2010-11シーズンもラコンブが引き続いて指揮を執るが、前シーズン活躍を見せたネネを放出したことにより攻撃力が低下。守備ユニットの構築にも誤算が相次ぎ、勝ちきれないゲームを積み重ねた結果、降格圏にまで落ち込んでしまう。フロントはウィンターブレイク中のフランスカップで5部リーグのチームに敗北を喫した責任を取らせる形でラコンブ監督を解任し、前回の緊急登板でチームを上昇気流に乗せたローラン・バニドを4年ぶりに招聘。レアル・マドリードで出番を失っていたマアマドゥ・ディアッラを始めとして大量補強に踏み切るも、低迷からは抜け出せず18位に終わりリーグ・ドゥへ降格となった。

2010年代

2011-12シーズンは開幕から低迷し、シーズン途中まで最下位に沈んでいた。2011年12月、ロシアの実業家ドミトリー・リボロフレフ英語版が株式3分の2を取得し、筆頭株主となったことを発表。4年間で1億ユーロの投資をするとの宣言通り、冬の移籍市場では早速1500万ユーロを投じ、人員補強を行った。しかしリーグ・アン昇格圏内の3位以内には程遠く8位に終わった。

2012-13シーズンはリーグ・ドゥの首位で昇格した。シーズン終了後、ラダメル・ファルカオハメス・ロドリゲスジョアン・モウティーニョリカルド・カルバーリョジェレミー・トゥラランエリック・アビダルといった実力者を獲得している。2014-15シーズンは中心選手のラダメル・ファルカオ、ハメス・ロドリゲスがW杯後に移籍し、トマ・レマルティエムエ・バカヨコといった有望な若手選手を獲得して若手育成に力を入れた。2015-16シーズンはアントニー・マルシャルマンチェスター・ユナイテッドに移籍し、アイメン・アブデヌールバレンシアCFに移籍した。

2016-17シーズンはカミル・グリクらを獲得し、ファルカオが復帰した。チャンピオンズリーグで予選3回戦から決勝トーナメントに進出。準々決勝ではボルシア・ドルトムントと対戦して2戦合計6-3で勝利。これにより大会史上初めて予選から勝ち上がったチームが準決勝に進出した。リーグ戦では2017年5月17日のASサンテティエンヌ戦で2-0で勝利して、リーグ4連覇中のパリ・サンジェルマンFCを2位に抑えて17年ぶりの優勝を果たした。

2017-18シーズン、昨年までの主力であったナビル・ディラルベルナルド・シウババンジャマン・メンディティエムエ・バカヨコヴァレール・ジェルマンキリアン・エムバペが退団。一方でユーリ・ティーレマンスディエゴ・ベナリオラシド・ゲザルステファン・ヨヴェティッチケイタ・バルデ・ディアオらを獲得した。

2018-19シーズン、夏の移籍期間ではロシアW杯で活躍したアレクサンドル・ゴロビンCSKAモスクワから、そのほかにも、ウィレム・ジュベルベンヤミン・ヘンリヒスジャン=ユード・アフルベルギー代表MFナセル・シャドリらを獲得。リーグ戦では、初戦のFCナント戦では勝利を収めるも、その後は14節まで勝ち星なしという結果になり、この時点でリーグ順位は19位と降格圏内だった。10月には近年の躍進の立役者であるレオナルド・ジャルデム監督を解任。

後任には監督未経験の元フランス代表ティエリ・アンリが就任した。冬の移籍市場ではリザーブチームからブノワ・バジアシーレを昇格させ、レスターからアドリエン・シウバをレンタルで獲得、他にも、セスク・ファブレガスカルロス・ヴィニシウスジェルソン・マルティンスらを獲得したが、チームの調子は変わらず、アンリ体制は3ヶ月で終わった。また、その後、再度ジャルデム監督が就任し、17位で降格を免れた。

2020年代

2021-22シーズン、チャンピオンズリーグでプレーオフまで進んだが敗退し、6シーズンぶりにUEFAヨーロッパリーグに出場したが、ベスト16で敗退した。

2022-23シーズン、リバプールFCから加入ということもあり期待感の高かった南野拓実は、全く活躍できず各メディアから酷評されワースト選手にも選出された。

2023-24シーズン、9得点6アシストを記録し、チームの支柱へと這い上がった南野拓実の活躍もあり、リーグ戦を2位でフィニッシュし来季の6年振りのチャンピオンズリーグ本戦出場が決定した[11]。チーム歴代2位の得点数を記録していたウィサム・ベン・イェデルは来季の構想外となり契約満了で退団した。

2024-25シーズン、開幕戦では先発フル出場した南野の決勝点で1-0で勝利した。

ライバル関係

近郊チームとのダービーマッチとしては、コートダジュール地方にホームを構えるOGCニースとの「コートダジュール・ダービー」や、フランス南東沿岸にホームを構えるオリンピック・マルセイユとの「南仏ダービー」があるが、小国で観光立国でもあるモナコにはサッカーに対する熱心なファンが少ないため、ホームで開催するダービーであってもアウェイの熱狂的なサポーターに占拠される奇妙な光景を目にすることが出来る。

ユニフォーム

ホームゲーム用シャツは、赤と白を基調に、赤白の境界が右肩から左腰へ斜めに入った特徴的なデザインとなっている。

創設当初はチームカラーがなく、他のクラブが使っていない色を中心に毎年替えていた。その後1950年代に赤白のストライプ模様を採用し、チームカラーがほぼ固定された。このストライプ時代の1960年にクラブ初のタイトルとなるフランスカップを獲得している。

現在も使用されている斜め模様は、モナコ公国妃(当時)グレース・ケリーによってデザインされたもの。採用された1960-61シーズンにクラブ初のリーグ制覇を成し遂げたという縁起の良いユニフォームである。

タイトル

国内タイトル

国際タイトル

  • コッパ・デッレ・アルピ : 3回
    • 1979, 1983, 1984

過去の成績

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シーズン リーグ戦 カップ戦 リーグ杯 スーパー杯 欧州カップ
ディビジョン順位
1986-87 ディヴィジョン・アン38151584133455位ベスト16
1987-88 ディヴィジョン・アン38201265329521位ベスト32
1988-89 ディヴィジョン・アン38181466238683位準優勝チャンピオンズカップ準々決勝敗退
1989-90 ディヴィジョン・アン38151673824463位ベスト64カップウィナーズカップ準決勝敗退
1990-91 ディヴィジョン・アン38201175130512位優勝UEFAカップベスト16
1991-92 ディヴィジョン・アン3822885533522位カップウィナーズカップ準優勝
1992-93 ディヴィジョン・アン3821985629513位ベスト16カップウィナーズカップベスト16
1993-94 ディヴィジョン・アン381413115236419位ベスト16チャンピオンズリーグ準決勝敗退
1994-95 ディヴィジョン・アン381512116039576位ベスト32準々決勝敗退
1995-96 ディヴィジョン・アン38191186439683位ベスト16準々決勝敗退UEFAカップ1回戦敗退
1996-97 ディヴィジョン・アン38231056930791位ベスト64準決勝敗退UEFAカップ準決勝敗退
1997-98 ディヴィジョン・アン34185115133593位準々決勝敗退ベスト32優勝チャンピオンズリーグ準決勝敗退
1998-99 ディヴィジョン・アン3418885232624位ベスト64ベスト16UEFAカップベスト16
1999-00 ディヴィジョン・アン3420596938651位準決勝敗退ベスト16UEFAカップベスト16
2000-01 ディヴィジョン・アン341271553504311位ベスト64準優勝優勝チャンピオンズリーグGS敗退
2001-02 ディヴィジョン・アン349121336413915位準々決勝敗退準々決勝敗退
2002-03 リーグ・アン38191096633672位ベスト64優勝
2003-04 リーグ・アン38211255930753位準々決勝敗退ベスト16チャンピオンズリーグ準優勝
2004-05 リーグ・アン38151855235633位準決勝敗退準決勝敗退チャンピオンズリーグベスト16
2005-06 リーグ・アン3813131242365210位ベスト32準決勝敗退UEFAカップベスト32
2006-07 リーグ・アン381312134538519位ベスト16ベスト16
2007-08 リーグ・アン381381740484712位ベスト32ベスト16
2008-09 リーグ・アン3811121541454511位準々決勝敗退3回戦敗退
2009-10 リーグ・アン381510133945558位準優勝3回戦敗退
2010-11 リーグ・アン389171236404418位ベスト64準々決勝敗退
2011-12 リーグ・ドゥ381313124148528位ベスト641回戦敗退
2012-13 リーグ・ドゥ38211346433761位7回戦敗退ベスト16
2013-14 リーグ・アン38231146431802位準決勝敗退3回戦敗退
2014-15 リーグ・アン38201175126713位準々決勝敗退準決勝敗退チャンピオンズリーグ準々決勝敗退
2015-16 リーグ・アン38171475750653位ベスト16ベスト16チャンピオンズリーグプレーオフ敗退
ヨーロッパリーグGS敗退
2016-17 リーグ・アン38305310731951位準決勝敗退準優勝チャンピオンズリーグ準決勝敗退
2017-18 リーグ・アン3824868545802位ベスト32準優勝準優勝チャンピオンズリーグGS敗退
2018-19 リーグ・アン388121838573617位ベスト32準決勝敗退準優勝チャンピオンズリーグGS敗退
2019-20 リーグ・アン28117104444409位ベスト16ベスト16
2020-21 リーグ・アン3824687642783位準優勝
2021-22 リーグ・アン3820996540693位準決勝敗退 チャンピオンズリーグ プレーオフ敗退
ヨーロッパリーグ ベスト16
2022-23 リーグ・アン38198117058656位3回戦敗退 チャンピオンズリーグ 予選3回戦敗退
ヨーロッパリーグ 決勝プレーオフ敗退
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欧州の成績

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現所属メンバー

2023-24シーズン フォーメーション(3-4-2-1)
2024年02月01日現在[12]

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

※括弧内の国旗はその他の保有国籍を、星印は外国人枠選手を示す。

監督

ローン移籍

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注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

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注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

歴代監督

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名前 期間 獲得タイトル
フランスの旗 ジャン・バトマル1948-1950
ルーマニアの旗 エレク・シュワルツ1950-1952
イタリアの旗 アンジェロ・グリゼッティ1952-1953
チェコスロバキアの旗 ルイ・デュパル1953-1956
オーストリアの旗 トニー・マレク1956-1957
フランスの旗 ルイ・ピローニ1958
フランスの旗 リュシアン・ルデュク英語版1958-19631961・1963リーグ、1960・1963カップ
1961ドラゴ、1961スーパーカップ
フランスの旗 クリストワ・ロジェ1963-1965
フランスの旗 ルイ・ピローニ1965-1966
フランスの旗 ピエール・シニバルディ1966-1968
フランスの旗 ルイ・ピローニ1969
フランスの旗 ロベール・ドメルグ1969-1970
フランスの旗 ジャン・ルシアノ1970-1972
アルゼンチンの旗 ルベン・ノルベルト・ブラボ1972-1974
アルゼンチンの旗 アルベルト・ムロ1974-1975
モナコの旗 アルマン・フォルシェリオ1976
フランスの旗 リュシアン・ルデュク1977-19791978リーグ
フランスの旗 ジェラール・バニド英語版1979-19831980カップ、1982リーグ
ルーマニアの旗 ステファン・コヴァチ1986-1987
フランスの旗 ルシアン・ミュラー1983-19861985カップ、1985スーパーカップ
フランスの旗 アーセン・ベンゲル1987-19941988リーグ、1991カップ
フランスの旗 ジャン・プティ1994
フランスの旗 ジャン=リュック・エトリ1994-1995
フランスの旗 ジェラール・バニド1995
フランスの旗 ジャン・ティガナ1995-19991997リーグ、1997スーパーカップ
フランスの旗 クロード・ピュエル1999-20012000リーグ、2000スーパーカップ
フランスの旗 ディディエ・デシャン2001-20052003リーグカップ
フランスの旗 ジャン・プティ2005
イタリアの旗 フランチェスコ・グイドリン2005-2006
ルーマニアの旗 ラースロー・ベレニ2006
フランスの旗 ローラン・バニド英語版2006-2007
ブラジルの旗 リカルド・ゴメス2007-2009
フランスの旗 ギー・ラコンブ2009-2011
フランスの旗 ローラン・バニド2011
イタリアの旗 マルコ・シモーネ2011-2012
イタリアの旗 クラウディオ・ラニエリ2012-20142012-13リーグ・ドゥ
ポルトガルの旗 レオナルド・ジャルディム2014-20182016-17リーグ・アン
フランスの旗 ティエリ・アンリ2018-2019
ポルトガルの旗 レオナルド・ジャルディム2019
スペインの旗 ロベルト・モレノ・ゴンサレス2019-2020
クロアチアの旗 ニコ・コヴァチ2020-2021
ベルギーの旗 フィリップ・クレマン2022-2023
オーストリアの旗 アドルフ・ヒュッター2023-
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[8]

歴代所属選手

歴代記録

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出場数ランキング[8]
名前 試合数 在籍年
フランスの旗 ジャン=リュック・エトリ7551975-1994
フランスの旗 クロード・ピュエル6021978-1996
フランスの旗 ジャン・プティ4281969-1982
フランスの旗 マニュエル・アモロス3491980-1989
フランスの旗 クリスティアン・ダルジェ英語版3341971-1980
フランスの旗 マルセル・ディブ英語版3261985-1993
フランスの旗 フランソワ・リュド英語版3191953-1962
フランスの旗 リュック・ソノール英語版3151986-1995
フランスの旗 ミシェル・イダルゴ3041957-1966
モナコの旗 アルマン・フォルシェリオ英語版3031961-1972
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得点数ランキング[8]
名前 得点数 在籍年
アルゼンチンの旗 デリオ・オニス2231973-1980
フランスの旗 リュシアン・コス英語版1151959-1965
フランスの旗 クリスティアン・ダルジェ英語版891971-1980
ナイジェリアの旗 ヴィクトル・イクペバ771993-1999
フランスの旗 ジャン・プティ761969-1982
フランスの旗 イヴォン・ドゥイス741961-1967
フランスの旗 ユーリ・ジョルカエフ681990-1995
コンゴ民主共和国の旗 シャバニ・ノンダ672000-2005
ブラジルの旗 ソニー・アンデルソン671994-1997
リベリアの旗 ジョージ・ウェア661988-1992
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脚注

関連項目

外部リンク

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