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クラブ・ブルッヘ
ベルギーのサッカークラブ ウィキペディアから
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クラブ・ブルッヘ(オランダ語: Club Brugge Koninklijke Voetbalvereniging、オランダ語発音: [klʏˈbrʏɣə ˌkoːnɪŋkləkə ˈvudbɑlvəreːnəɣɪŋ]) は、ベルギー・ブルッヘに本拠地を置くサッカークラブである。ブルッヘはオランダ語圏のフランデレン地域に位置するが、フランス語読みでクラブ・ブリュージュと呼ばれることもある。RSCアンデルレヒト(ブリュッセル首都圏地域)、スタンダール・リエージュ(ワロン地域)と並んでベルギーを代表する強豪クラブである。
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国内大会のみならず、国際舞台でも大きな成功を収めており、欧州カップ戦の決勝に2回、さらに準決勝に2回到達している。UEFAチャンピオンズカップの決勝に進出したことがあるベルギー唯一のクラブである。1977-78シーズンの同大会で決勝に進出したが、リヴァプールFC(イングランド)に敗れて準優勝に終わった。1975-76シーズンのUEFAカップ決勝でもやはりリヴァプールに敗れている。
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歴史
要約
視点
1890年、「Broeders Xaverianen」というカトリック学校と「Koninklijk Atheneum」という一般学校の卒業生によってブルフスヘFC (Brugsche FC) が形作られ、1891年11月13日が公式な設立日となった。「Mens sana in corpore sano (健全なる精神は健全なる身体に宿る)[注釈 1]」をクラブのモットーとして採用した[2]。1892年には公式に役員が任命されたが、1894年にはブルフスヘFCの一部のメンバーが離反してFCブルジョワ (FC Brugeois) を設立した[2]。ブルフスヘFCもFCブルジョワも深刻な財政難にあったため、1895年にはブルフスヘFCのメンバーが第3のクラブとしてヴラームスフFC (Vlaamsche FC) も設立している[2]。FCブルジョワは1895年に開始されたベルギー・ファーストディビジョン(1部)に参加して1895-96シーズンを戦ったが、財政難を理由に1シーズン限りで脱退した。1897年、FCブルジョワがブルフスヘFCに合流する形で合併したが、クラブ名はFCブルジョワが採用された[2]。1899年にはヴラームスフFCがラピドFCと合併してサークル・ブルッヘとなり、今日におけるブルッヘの2大クラブが成立した[2]。
1910-11シーズンのファーストディビジョンではライバルのCSブルジョワに勝ち点1差の2位だった。1912年には市南西部のトルハウツェステーンにある新グラウンドに移転し、9年間の賃貸契約(年額1,760ベルギーフラン)を結んだ[2]。1913-14シーズン、FCブルジョワはベルギー・カップの決勝に進出したが、ユニオンSGに1-2で敗れて準優勝に終わった。リーグ戦では5回も2位を経験していたが、ファーストディビジョンで初優勝を飾ったのは第一次世界大戦後初のシーズンとなった1919-20シーズンだった[2]。この時代にはハルレス・カンビールやトルテン・フティンクなどが活躍し、ふたりはベルギー代表にも選出されている[2]。1920年にはグラウンドの賃貸契約が終了したため、Albert Dyserynck新会長は40,000ベルギーフランでデ・クロッケ[注釈 2] を購入する決定を下した[2]。1926年にはベルギーサッカー協会がクラブの登録制度を開始し、登録番号3番を得てロイヤルFCブルジョワ (Royal Football Club Brugeois) に改名した。1928年には初めて2部リーグに降格し、1930年、Dyserynck会長はクラブを非営利団体に変更したが[2]、1931年には自動車事故で死去。生前の功績が称えられ、スタジアム名がAlbert Dyserynck Stadionに変更されたほか、メイン入場口近くに銅像が建てられた[2]。1930年代にはロヘル・ヴァンホーヴェなどがプレーし、ヴァンホーヴェはベルギー代表として2キャップを記録した[2]。
1957年にルーマニア人のノルベルト・ホフリング監督が就任すると転機を迎え、1959年にファーストディビジョンに昇格してからは一度も2部リーグ以下への降格を経験していない。1967-68シーズンのベルギーカップでは、決勝でRベールスホットACを1-1 (PK 7-6) で下して初優勝を飾った。1972年にはクラブ名称をフラマン語のクラブ・ブルッヘ (Club Brugge KV) に変更し、1972-73シーズンには53シーズンぶりとなるファーストディビジョン優勝を果たした。1975年、Albert Dyserynckstadionからオリンピア・シュタディオンにホームスタジアムを移転した。1975-76シーズンのUEFAカップはオーストリア人のエルンスト・ハッペル監督に率いられ、クラブ初の欧州カップ戦決勝進出を果たしたが、リヴァプールFC(イングランド)に2試合合計3-4で敗れた。同シーズンから1977-78シーズンまで国内リーグ3連覇を達成し、その最終シーズンにはベルギーのクラブとして初めて(そして唯一)UEFAチャンピオンズカップで決勝まで駒を進めた。2シーズン前と同様にリヴァプールと対戦したが、0-1で敗れて準優勝に終わった。1987-88シーズンにはUEFAカップで準決勝に進出したが、FCバルセロナ(スペイン)に敗れた。1992-93シーズンにはUEFAチャンピオンズリーグに出場し、PFC CSKAモスクワ戦でダニエル・アモカチが同大会(名称変更後)初得点を決めた。1998年、UEFA EURO 2000開催のためにオリンピア・シュタディオンの拡張工事が行なわれ、名称がヤン・ブレイデルスタディオンに変更された。2006年、ベルギーのサッカークラブとして初の公式TVチャンネル (CLUBtv) を開設した。 2015-16シーズンからは胸スポンサーをダイキン工業が務めている。
クラブ名の変遷
- 1891-1897 ブルフスヘFC (Brugsche FC)
- (1892 FCブルジョワ設立)
- 1897-1920 FCブルジョワ (Football Club Brugeois)
- 1920-1972 ロイヤルFCブルジョワ (Royal Football Club Brugeois)
- 1972- クラブ・ブルッヘ (Club Brugge Koninklijke Voetbalvereniging)
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文化

29,472人収容のヤン・ブレイデルスタディオンをホームスタジアムとしている。2012-13シーズンの1試合平均観客数は25,502人であり、2位のスタンダール・リエージュ(22,225人)や3位のRSCアンデルレヒト(21,100人)を抑えて5シーズンぶりに平均観客数リーグ1位となった。このスタジアムは同じくブルッヘのクラブであるサークル・ブルッヘと共有しており、両クラブの対戦はブルッヘ・ダービーと呼ばれる。最大のライバルはアンデルレヒトである。
- 欠番
- 12 - サポーターの背番号
- 23 -
フランソワ・ステルシェル
- 2007年から2008年に所属したストライカー。2008年5月8日に自動車事故で死去した。
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タイトル
国内タイトル
- ジュピラー・プロ・リーグ : 17回
- 1919-20, 1972-73, 1975-76, 1976-77, 1977-78, 1979-80, 1987-88, 1989-90, 1991-92, 1995-96, 1997-98, 2002-03, 2004-05, 2015-16, 2017-18, 2019-20, 2020-21
- ベルギー・カップ : 11回
- 1967-68, 1969-70, 1976-77, 1985-86, 1990-91, 1994-95, 1995-96, 2001-02, 2003-04, 2006-07, 2014-15
- ベルギー・スーパーカップ : 16回
- 1980, 1986, 1988, 1990, 1991, 1992, 1994, 1996, 1998, 2002, 2003, 2004, 2005, 2016, 2018, 2021
国際タイトル
- UEFAチャンピオンズカップ : 0回
- 最高位準優勝 : 1977-78
- UEFAカップ : 0回
- 最高位準優勝 : 1975-76
- UEFAカップウィナーズカップ : 0回
- 最高位ベスト4 : 1991-92
- UEFAヨーロッパカンファレンスリーグ : 0回
- 最高位ベスト4 : 2023-24
- キリンカップサッカー : 1回
- 1981
過去の成績
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記録
要約
視点
欧州での記録
- 2024年8月28日時点
試合一覧
欧州カップ戦での好成績
ベスト8以上の成績を挙げた大会のリストである。
- UEFAチャンピオンズカップ
- 準優勝 : 1977-78
- ベスト8 : 1976-77
- UEFAカップウィナーズカップ
- ベスト4 : 1991-92
- ベスト8 : 1970-71, 1994-95
- UEFAカップ
- 準優勝 : 1975-76
- ベスト4 : 1987-88
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現所属メンバー
- 2019-2020シーズン基本フォーメーション
ロメロ
# 2
# 2
セイス
# 65
# 65
ニルソン
# 19
# 19
- 2024年8月28日現在[4]
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
ローン移籍選手
- in
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
- out
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
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歴代会長
歴代監督
Hector Goetinck 1930-1933
Gérard Delbeke 1933-1934
Arthur Volckaert 1934-1936
Karl Schrenk 1936-1938
Robert De Veen 1938-1939
Gérard Delbeke 1939-1945
Louis Versyp 1945-1950
ウィリアム・ケネディ 1950-1951
Félix Schavy 1951-1957
ノルベルト・ホフリング 1957-1963
Juan Schwanner 1963
Henri Dekens 1963-1965
Ludwig Dupal 1965-1967
Norberto Höfling 1967-1968
ミロラド・パヴィッチ 1968-1969
フランス・デ・ムンク 1969-1971
レオ・カンイェルス 1971-1973
ヤーク・デ・ウィット 1973-1974
エルンスト・ハッペル 1974-1978
András Béres 1978.7-1979.6
Mathieu Bollen 1979
ハン・フリゼンハウト 1979-1980
Gilbert Gress 1980.7-1981.6
Antoine Kohn 1981.7-1981.11
アンリ・コパン 1981-1982
Raymond Mertens 1981-1982
Georg Keßler 1982-1984
ヘンク・ハウワールト 1984.7-1989.6
ジョルジュ・レーケンス 1989.7-1991.7
ウーゴ・ブース 1991.7-1997.7
エリック・ゲレツ 1997.7-1999.6
René Verheyen 1999.7-2000.6
Trond Sollied 2000.7-2005.6
ヤン・クーレマンス 2005.7-2006.4
Emilio Ferrera 2006.4-2007.1
Čedomir Janevski 2007.1-2007.6
Jacky Mathijssen 2007.7-2009.6
アドリー・コスター 2009.7-2011.10
クリストフ・ダウム 2011.11-2012.5
ジョルジュ・レーケンス 2012.5-2012.11
フアン・カルロス・ガリード 2012.11-2013.9
ミシェル・プロドーム 2013.9-2017.6
イヴァン・レコ 2017.6-2019.5
フィリップ・クレマン 2019.5-2022.1
アルフレッド・スロイデル 2022.1-2022.5
カール・フーフケンス 2022.7-2022.12
スコット・パーカー 2022.12-2023.3
リック・デ・ミル 2023.3-2023.6
ロニー・デイラ 2023.7-2024.3
ニッキー・ヘイエン 2024.3-
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歴代所属選手
→詳細は「Category:クラブ・ブルージュの選手」を参照
歴代主将
ヘールト・ヴェルヘイエン 2005-2006
Sven Vermant 2006-2008
フィリップ・クレマン 2008-2009
スタイン・スタイネン 2009-2010
カール・フーフケンス 2010-
GK
ウラジーミル・ガブロフ 2018-
シモン・ミニョレ 2019-
DF
アントン・オンドルシュ 1981-1982
ロレンツォ・スターレンス 1989-1998
エリック・アッド 1996-1999
フィリップ・クレマン 1999-2009
ビルヘル・メルテンス 2001-2008
マレク・スピラール 2002-2005
ダヴィド・ロゼフナル 2003-2005
オスカル・ドゥアルテ 2013-2016
MF
マリオ・スタニッチ 1995-1996
ロニー・ローゼンタール 1986-1988
ポール・オコン 1991-1996
ティミー・シモンス 2000-2005
ジョナサン・ブロンデル 2004-2015
ヤン・クーレマンス 2005-2006
イヴァン・レコ 2005-2009
ヨルディ・クラーシ 2017-
FW
ロブ・レンセンブリンク 1969-1971
ルート・ヘールス 1972-1974
ディディエ・シクス 1980
ロブ・レンセンブリンク 1981-1982
マルク・デグリース 1983-1989
ジャン=ピエール・パパン 1985-1986
ロニー・ローゼンタール 1986-1988
ダニエル・アモカチ 1990-1994
トマス・ダニレビシウス 2000
ボシュコ・バラバン 2004-2007
ハビエル・ポルティージョ 2005-2006
ヴェスレイ・ソンク 2007-2010
カルロス・バッカ 2012-2013
エイドゥル・グジョンセン 2013-2014
脚注
外部リンク
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