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HJKヘルシンキ

フィンランドのサッカークラブ ウィキペディアから

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ヘルシンギン・ヤルカパッロクルビフィンランド語: Helsingin Jalkapalloklubi)は、フィンランド南スオミ州ウーシマー県ヘルシンキに本拠地を置くサッカークラブである。名称は「ヘルシンキのサッカークラブ」という意味。頭文字をとってHJK、またHJKヘルシンキとも呼ばれる。1907年に創設された。ホームスタジアムは10,770人収容のボルト・アレナであり、2000年からこのスタジアムをホームスタジアムとしている[1]

概要 原語表記, 愛称 ...
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概要

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ボルト・アレナ

一般的にフィンランド最大のサッカークラブとされる。ヴェイッカウスリーガ(国内リーグ)優勝28回、フィンランド・カップ優勝13回、フィンランド・リーグカップ英語版優勝5回の経験がある。また国際的に成功したフィンランド人選手の多くが本クラブに所属していた経験がある。

HJKはUEFAチャンピオンズリーグの本選グループリーグへの参加経験があるフィンランド唯一のクラブである。1998-99シーズンの予選プレーオフでは、フランスのFCメスを下してグループリーグの出場権を手にした。ドイツの1.FCカイザースラウテルン、ポルトガルのSLベンフィカ、オランダのPSVアイントホーフェンと同組となり、グループ最下位に終わったものの、ホームでSLベンフィカに勝利するなどして勝ち点5を獲得した。2011-12シーズンのUEFAチャンピオンズリーグ予選ではウェールズのバンガー・シティFCと対戦し、ホームでは10-0で、2試合合計では13-0で大勝した。2014-15シーズンのUEFAヨーロッパリーグ予選ではオーストリアのSKラピード・ウィーンを下して本選グループリーグに出場した[2]。第4節のトリノFC戦ではUEFAヨーロッパリーグでのフィンランド勢初勝利を記録した[3]

以前は、アイスホッケーボウリングフィールドホッケーハンドボールフィギュアスケートバンディの各部門も保有していたが、1972年にサッカークラブとして独立した。ユニフォームの色は伝統的に、青色と白色のシャツ、青色のパンツ、青色のソックスである。エンブレムは一世紀近くも大きな変化が加えられていないが、小規模なフォントの変更が行われている。

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歴史

要約
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1911年にリーグ初優勝した際のメンバー

1907年5月にカイサニエミ公園英語版のボウリング場で創設会議が行われ、Fredrik WathénによってHelsingin Jalkapalloklubiとして設立された。ヘルシンキ郊外のエケナス英語版においてエケナスIF英語版と初試合を行い、HJKが4-2で勝利した。フィンランド語話者の学生の間ではHJKが人気を得て、スウェーデン語話者の学生の間ではウニタスやHIFKが人気を得た。白熱した議論の後、1908年後半にはクラブの公式言語がフィンランド語のみとなり、スウェーデン語話者のメンバーはHIFKなどの他クラブに移った。

1909年には青色と白色がクラブカラーに選ばれ、バンディアイスホッケーに似たスポーツ)部門が設立された。カイサニエミ・グラウンドから新築されたヘルシンキ動物園スタジアム英語版にホームスタジアムを移転した。同年末にはクラブ創設者のFredrik Wathénが病気によって会長から退き、1910年には19歳のラウリ・ターナー英語版が代表となった。ターナーは1912年ストックホルムオリンピックの体操競技(団体)にフィンランド代表として出場し、銀メダルを獲得している。1910年にはスウェーデンのEriksdals IFがヘルシンキを訪れており、カイサニエミ・グラウンドでクラブ初の国際試合が行われた。

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1915年に建設されたトゥールン競技場

1911年には初めてフィンランド選手権を制した。1915年にはトゥールン競技場英語版を新築した。1916年にはクラブ第3の競技としてテニス部門が新設された。1918年のフィンランド内戦では、右派の白衛軍フィンランド語版のために戦っていたメンバー2人が死去した。

1921年にはバンディ部門がフィンランド選手権で初優勝し、続く5シーズンでは5年連続で決勝に出場して3度優勝した。1925年にはボウリング部門が設立されたが、1926年には別クラブが結成されている。1928年にはアイスホッケー部門が設立され、1929年にフィンランド選手権で初優勝した。1930年にはサッカーのフィンランド選手権にリーグ戦形式が採用されたが、HJKは初年度の参入を逃した。1931年に初めてリーグ戦形式のフィンランド選手権に出場したものの、シーズン終了後に2部リーグ降格となった。

第二次世界大戦中には22人のメンバーが死去した。1939年から1940年の冬戦争で9人、1941年から1944年の継続戦争で12人、1944年から1945年のラップランド戦争で1人である。大戦中の1943年にはクラブ6番目の競技としてハンドボール部門が設立された。設立後の3シーズンで銀メダル1個と銅メダル2個を獲得したが、その後はそれ以上の成功を得られなかった。なお、ハンドボール部門ではクラブ史上初めて女子チームが設立され、女子チームはフィンランド1部リーグで22シーズンプレーしている。

1963年シーズンには11年ぶりに2部リーグでプレーし、22試合で20勝1分1敗、127得点18失点という抜群の成績を残して昇格を決めた。SMサルジャ昇格初年度の1964シーズンには10回目のリーグ優勝を果たした。1965-66シーズンのユーロピアン・カップでは初めて欧州カップ戦に出場し、予備選でイングランドのマンチェスター・ユナイテッドFCに2試合合計2-9で敗れた。

1966年のフィンランド・カップでは初めて決勝に進出し、7000人を超える観客の前でKTP英語版に6-1で勝利。1955年に始まったこの大会での初優勝を飾った。1960年代後半にはバンディー部門が廃止された。1966年にはフィギュアスケート部門が設立されたが、1972年に廃止されている。1972年にはアイスホッケー部門も廃止され、1978年にはハンドボール部門も廃止された。こうして、1978年にはサッカー部門がクラブの唯一の競技となった。

1982-83シーズンのUEFAチャンピオンズカップでは大量失点が当たり前だったフィンランドのクラブのなかで2回戦にて当時黄金期を迎えていたリヴァプールFCをホームで1-0の勝利を収める大金星を挙げた(アウェイのセカンドレグは0-5で敗退)。

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2014年から2017年までプレーした田中亜土夢

1998-99シーズンのUEFAチャンピオンズリーグ予選ではフランスのFCメスを破り、フィンランドのクラブとして初めて本選の出場権を得た。ホームではポルトガルのSLベンフィカに勝利し、またドイツの1.FCカイザースラウテルンにはホームで引き分け、ベンフィカにはアウェーで引き分けた。グループリーグ敗退に終わったが、1勝2分3敗で勝ち点5を獲得した。

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隣接するテリア5G アレーナ(手前)とオリンピアシュタディオン(奥)

2000年にはホームスタジアムのフィンエアー・スタジアムがオープンした。2002年には20回目の国内リーグタイトルを獲得し、2008年には10回目の国内カップタイトルを獲得した。2009年から2014年には国内リーグで6連覇を達成した。2010年には電気通信事業者のソネラがスタジアムの命名権を取得し、フィンエアー・スタジアムはソネラ・スタジアムに改称された。

2014-15シーズンのUEFAヨーロッパリーグでは予選でオーストリアのSKラピード・ウィーンを破り、フィンランドで初めて本選グループリーグの出場権を得た。ホームゲームではイタリアのトリノFCとデンマークのFCコペンハーゲンを破り、勝ち点6を獲得してグループ3位となった[4][5]

2015年初頭には日本代表ハーフナー・マイク、同じく日本人の田中亜土夢、フランス人のギー・ムッシーなどを獲得し、1998年以来となるリーグカップ優勝で幸先の良いスタートを切った。このシーズンにはHIFKがウッコネンからヴェイッカウスリーガに昇格しており、1972年4月以来となるダービーマッチを戦った。しかし2015年シーズンはSJKRoPSに次ぐ3位となり、7連覇は逃した。2017年にはソネラ・スタジアムがテリア5G アレーナに改称された。

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タイトル

国内タイトル

  • ヴェイッカウスリーガ
    • 優勝 (33) : 1911, 1912, 1917, 1918, 1919, 1923, 1925, 1936, 1938, 1964, 1973, 1978, 1981, 1985, 1987, 1988, 1990, 1992, 1997, 2002, 2003, 2009, 2010, 2011, 2012, 2013, 2014, 2017, 2018, 2020, 2021, 2022, 2023
  • フィンランド・カップ
    • 優勝 (14) : 1966, 1981, 1984, 1993, 1996, 1998, 2000, 2003, 2006, 2008, 2011, 2014, 2016-17, 2020
  • フィンランド・リーグカップ英語版
    • 優勝 (5) : 1994, 1996, 1997, 1998, 2015

成績

要約
視点

過去の成績

出典 : 国際サッカー歴史統計連盟(RSSSF[6][7]

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近年の成績

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欧州での成績

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現所属メンバー

2020年11月13日現在 [8]

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

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歴代監督

  • イングランドの旗 ジョージ・デューク (1948-不明)
  • フィンランドの旗 アウリス・リュトゥコネン (1960-1971)
  • フィンランドの旗 ライモ・カウッピネン (1972-1974)
  • フィンランドの旗 カイ・パールマン (1973-1974)
  • フィンランドの旗 アウリス・リュトゥコネン (1975-1979)
  • フィンランドの旗 ライモ・カウッピネン (1975-1979)
  • フィンランドの旗 マルッティ・クーセラ (1980-1981)
  • フィンランドの旗 ライモ・カウッピネン (1981-1982)
  • フィンランドの旗 ツレ・サルノラ (1982)
  • フィンランドの旗 ミーッカ・トイヴォラ (1982)
  • フィンランドの旗 ユルキ・ヘリスコスキ (1985-1989)
  • フィンランドの旗 マルッティ・クーセラ (1990)
  • フィンランドの旗 ユルキ・ニエミネン (1991)
  • フィンランドの旗 ヤリ=ペッカ・ケウルライネン (1992-1994)
  • スウェーデンの旗 ボー・ヨハンソン (1995)
  • フィンランドの旗 トミ・リンドホルム (1996)
  • フィンランドの旗 ヤリ=ペッカ・ケウルライネン (1996)
  • フィンランドの旗 マルッティ・クーセラ (1996)
  • フィンランドの旗 アンッティ・ムーリネン (1997-1999)
  • フィンランドの旗 ユルキ・ヘリスコスキ (2000-2001)
  • イングランドの旗 キース・アームストロング (2002-2007)
  • フィンランドの旗 アキ・ヒュリュライネン (2007)
  • フィンランドの旗 アンッティ・ムーリネン (2007-2012)
  • フィンランドの旗 シクステン・ボーストレーム (2013-2014)
  • フィンランドの旗 ミカ・レフコスオ (2014-2019)
  • フィンランドの旗 トニ・コスケラ (2019-2023)
  • フィンランドの旗 トニ・コルケアクンナス (2023)
  • スペインの旗 フェラン・シビラ (2024-)
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歴代所属選手

GK


DF


MF


FW

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脚注

外部リンク

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