青ヶ島村
東京都の村 ウィキペディアから
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青ヶ島村(あおがしまむら)は、東京都の伊豆諸島南部にある青ヶ島を区域とする村。東京都八丈支庁が所管しており、東京都島嶼部にある他の町村と同様に郡には所属していない。
人口は162人(2024年5月1日時点)で、日本の地方自治体では最少である[1][2][注釈 1]。
2014年にアメリカ合衆国の観光保護NGO「One Green Planet」が青ヶ島を『死ぬまでに見るべき世界の絶景13』という記事[4]で紹介。2016年7月5日にスミソニアン博物館が青ヶ島村を『活火山内に眠る日本の街』という記事[5]で紹介したことで、世界から観光客や取材班が押し寄せてくるようになった[6]。
65歳以上が納付する介護保険の第1号保険料(月額)は2021年4月時点、青ヶ島村の9,800円が全国の市町村の中で最も高い(全国平均は6,014円)[7]。
村がある青ヶ島は本州の東京都区部から358.4km南、最も近い有人島の八丈島(八丈町)から68km南に離れている。
人が定住している集落は青ヶ島の北部にあり、西側の西郷(にしごう)と東側の休戸郷(やすんどごう)二つである。ただし、これら集落名は行政上の公式地名ではなく、地元で呼ばれる通称。本島内の住所は住民票を含め[8]全て番外地扱いの「青ヶ島村無番地」であるが、土地の登記簿上は小字や地番が存在する場合もある[8]。(大字は同村の来歴から存在しない[注釈 2]。)
島内の北緯32度28.0分 東経139度45.6分、標高272メートル地点に気象庁のアメダス観測点があり、降水量のみを観測している。2014年7月31日の観測開始であるためまだ平年値は出ていない。そのため、データが揃っている2016年以降について、参考として各年の年降水量を掲載する。比較として八丈島の官署の降水量も掲げた[9]。
年 | 青ヶ島 | 八丈島 |
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2016年 | 2933.0 | 3420.0 |
2017年 | 2771.5 | 3203.5 |
2018年 | 2327.0 | 2886.5 |
2019年 | 2840.5 | 4340.5 |
2020年 | 2559.5 | 4189.0 |
2021年 | 2516.5 | 2985.5 |
2022年 | 3139.0 | 2524.0 |
2023年 | 1652.5 | 2146.0 |
2020年10月1日時点の国勢調査によると、日本で最も人口が少ない地方公共団体である[注釈 1][2]。人口の約半分が村外出身の村役場職員や学校教員および建設作業員とその家族で占められていることから、平均年齢は離島としては低く、40歳代前半である。
青ヶ島村と全国の年齢別人口分布(2005年) | 青ヶ島村の年齢・男女別人口分布(2005年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
■紫色 ― 青ヶ島村
■緑色 ― 日本全国 | ■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
青ヶ島村(に相当する地域)の人口の推移
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総務省統計局 国勢調査より |
代 | 氏名 | 就任 | 退任 | 備考 |
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歴代名主 | ||||
七太夫 | 1785年11月10日(天明5年10月9日)[20] | |||
三九郎 | 1789年(寛政元年)[21] | 1797年8月27日(寛政9年閏7月6日)[22] | ||
多吉 | ||||
佐々木次郎太夫(初代) | 1817年(文化14年)[23] | |||
嘉兵衛 | ||||
佐々木次郎太夫(2代) | ||||
歴代副戸長 | ||||
佐々木次郎太夫(2代) | 1872年(明治5年)[24] | 1881年(明治14年)4月17日[25] | 名主を副戸長に改める | |
歴代名主 | ||||
佐々木次郎太夫(2代) | 1881年(明治14年)4月18日[25] | 副戸長を名主に改める | ||
佐々木初太郎 | 1883年(明治16年)9月[26] | |||
奥山太吉 | ||||
佐々木初太郎 | 1895年(明治28年)11月[27] | 1919年(大正8年)12月26日[28] | ||
菊池梅吉 | 1920年(大正9年)[29] | 1924年(大正13年)5月[30] | ||
広江通五郎 | 1924年(大正13年)5月[30] | 1940年(昭和15年)3月31日[31] | ||
歴代村長 | ||||
広江通五郎 | 1940年(昭和15年)4月[31] | 1940年(昭和15年)6月[31] | 村長代理 | |
1 | 奥山清市 | 1940年(昭和15年)6月[31] | 1942年(昭和17年)3月[31] | |
2 | 佐々木岩松 | 1942年(昭和17年)3月[32] | 1946年(昭和21年)6月[32] | |
3 | 奥山治 | 1946年(昭和21年)[33] | 1947年(昭和22年)5月[33] | |
4 | 広江喜代太 | 1947年(昭和22年)12月[34] | 1949年(昭和24年)3月[34] | |
5 | 佐々木静喜 | 1949年(昭和24年)4月[35] | 1952年(昭和27年)5月[35] | |
6 | 菊池梅吉 | 1952年(昭和27年)6月[36] | 1957年(昭和32年)8月[36] | |
7 | 佐々木正身 | 1957年(昭和32年)8月[37] | 1959年(昭和34年)5月[38] | |
8 | 沖山徳一 | 1959年(昭和34年)5月[38] | 1963年(昭和38年)6月[39] | |
9 | 奥山治 | 1963年(昭和38年)6月[39] | 1979年(昭和54年)6月21日[33] | |
10 | 山田常道 | 1979年(昭和54年)6月22日[33] | ||
佐々木一郎 | 1989年(平成元年) | |||
佐々木宏 | 1989年(平成元年)[40] | 2001年(平成13年) | ||
菊池利光 | 2001年(平成13年)9月[41] | 2021年(令和3年)9月[42] | ||
立川佳夫 | 2021年(令和3年)10月1日[42] | 2023年(令和5年)12月31日 | 2021/11/15 ー12/16副村長が職務代理[43]、体調不良により辞職 | |
佐々木宏 | 2024年(令和6年)1月28日 | 現職 |
東京都選挙区に属する。選出議員についての詳細は、東京都選挙区の項を参照のこと。
1945年から1956年までは青ヶ島村は僻地で通信手段が無いとの理由から、国政選挙および都政選挙については日本国憲法で保障された参政権がなく、選挙に参加できなかった[44]。1956年(昭和31年)5月21日に青ヶ島村との無線電話回線が開通したことを受け、その年の第4回参議院議員通常選挙(6月12日公示・7月8日投票)では青ヶ島村で戦後初の国政選挙への参政権を行使できるようになり、以後は国政選挙や都政選挙でも参政権を行使できるようになった[45]。公職選挙法を厳格に適用すると、投票用紙を外部から持ち込んだり、開票速報に関する書類を外部に即時に送ったりする必要があるが、それに対処するため公職選挙法施行令第146条で「村政以外の選挙の投票用紙を村内で作成してもよい」「開票結果はまず無線で報告し、書類等は後で送付してもよい」とする規定が設けられている[46]。
国政選挙や都政選挙で青ヶ島村の村民が参政権が無かったのは戦後の1945年から1956年までのことであり、戦前は事情が異なったという[47]。国政選挙に関しては村内に投票所がなかったため、68km離れた八丈島まで行かなければならず、1932年(昭和7年)の第18回衆議院議員総選挙ではたまたま八丈島にいた1人のみ投票できたという[47]。1940年(昭和15年)には東京府議会議員選挙では村内に投票所が設けられ、有権者として認められた79人中60人が投票したという記録が残っている[48]。
青ヶ島村立青ヶ島小中学校があり、島民が里親を引き受けて1年間通学する「留学」を受け入れて、休校を免れている[1]。
青ヶ島を俯瞰すると、岡部の南のカルデラ外縁部の一面で、雨水を集める取水施設の向沢取水場が緑色に目立つ。
その他にも、青ヶ島村役場、老人福祉館、物流センター、八丈島警察署青ヶ島駐在所、青ヶ島村共同放牧場施設、和牛人工授精センターや公務員用の宿舎も整備されている。
「青ヶ島郵便局」が島唯一の郵便局であり、郵便、郵便貯金、保険の各業務を行っている。局内のゆうちょ銀行は村唯一の金融機関であり、ATMも設置されている。郵便ポストは郵便局前と村役場前の2箇所ある。
なお青ヶ島に郵便や荷物を出す際は、郵便番号(〒100-1701)のあとに「東京都青ヶ島村無番地」という宛先と、氏名を記入する。これは村内の人口及び世帯数が少なく、個人の名前だけで郵便物を届けられるためである。島に到着した郵便物は、青ヶ島集配所の職員が配達する。また以前は村内から村外へ郵便物を出す際は消印が「青ヶ島」となっていたが、現在は伊豆諸島の他の島々と同様に「新東京」となっている。
なお、青ヶ島村で唯一買い物ができる十一屋酒店で購入できないものは、通信販売やECサイトに頼るしかなく、通常であれば注文から1週間ほどで貨物船で到着するが、悪天候や波浪に左右されやすく、港湾に接岸出来ないと予定日に届かないこともある。
島内に鉄道やバス、タクシーなどの公共交通機関は無い。また、三宝港から集落までは離れており、その道中の勾配も急峻で、徒歩や自転車での移動は難しい。そのため、観光客はレンタカーを利用するか、民宿に車での送迎を頼む場合が多い。
NTTドコモはほぼ全域で使用可能。au 4G LTEとSoftBank 4G LTEは、岡部付近でのみ使用可能である。
長年ADSL回線のみであったが、海底光ファイバーケーブルの整備事業が進められた結果、2020年3月25日から超高速ブロードバンドサービスの提供が開始された[54]。NTT東日本のフレッツ光が利用可能。 また、同回線を用いるNTT以外の通信会社によるインターネットサービスも利用可能。
本島は本土からも距離があるうえ、島民の数も少ないため、通信事業者としては採算が見込めない。そのため、東京都が本土との間に海底ケーブルを敷設しNTT東日本へ賃貸しこれらサービスを提供している。さらに移動体通信事業者はNTT東日本から専用線として借り受けることでサービス提供している。
青ヶ島村民の過半数は村役場職員や建設作業員であり、主な産業は公共事業および島内出身者による農業である。なお、来島者の大部分は農林水産・土木・設備関連を主とする公共事業目的の公務員および建設作業の従事者である。平坦な土地と大量の水を必要とする稲作は行えないので、サツマイモが栽培されている。昔はこれが主食であり、乾燥芋にして保存食とした。地熱で温められた「ひんぎゃ」の蒸気(無臭・無毒)を利用した蒸し釜が調理に使用されている。サツマイモを原料とした芋焼酎が名産品である。
近年では、神農椰子(フェニックス・ロベレニー)や桔梗蘭などの切り葉類の農業生産が増えている。畜産業は、繁殖させた黒毛和種の子牛が本土へ出荷されており、1972年までは乳牛も飼養されていた。かつては本島の基幹産業であった畜産業は、近年では飼養者の高齢化などでその戸数や頭数を減らしている。
本島の周辺海域はフィッシングスポットでもあるが、訪れる遊漁船の多くは八丈島からのチャーターであり、本島に上陸する人は少ない。
岡部集落には、民宿(「御宿為朝」「民宿マツミ荘」「民宿杉の沢」「あおがしま屋」「ビジネス宿中里」「あじさい荘」[55]「民宿かいゆう丸」)、島内唯一の商店「十一屋酒店」、居酒屋の「居酒屋おじゃれ池之沢」「居酒屋一人」[55]、運送業とレンタカー屋とガソリンスタンドを兼ねた自動車整備工場(青ヶ島整備工場[56])がある。
池之沢(カルデラの地域)には、青ヶ島村キャンプ場、地熱を利用したサウナ「青ヶ島村ふれあいサウナ」が在る。
1966年(昭和41年)に東京電力(現・東京電力パワーグリッド)青ヶ島内燃力発電所が設置されるまで、島内は電気が使えず、当時は地熱蒸気(ひんぎゃ)が島内における主なエネルギー源だった[57]。2014年時点では、同発電所にディーゼルエンジン4基が設置され、計640kWの発電能力を持つ[58]。また水道については、島内に飲水可能な淡水源がないため、外輪山の山肌に撥水のためのコンクリートを敷き雨水を向沢取水場まで流すことで水を確保している[59]。
青ヶ島生産者協議会などによって、様々な製品が造られている[60]。 「青酎」[61]や「ひんぎゃの塩」[62]などのこれらの特産品は、「十一屋酒店」の他にも、東京都区部の竹芝客船ターミナル内に在るアンテナショップ「TOKYO ISLANDS CAFE」[63]や通販等でも購入可能である。また来島者は民宿で味わえることが多い。
青ヶ島村では観光地も整備されてきている。2010年代中頃に、幾つかの著名なWebサイトで紹介されたことで、世界中から訪問者が訪れるようになった。
他にも、カルデラ外周部を三宝港へ下る道路の傍と神子ノ浦展望広場から神子ノ浦へ下る遊歩道(崩落)の途中に、それぞれ小さな祠が在る。
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