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日本のお笑いタレント、漫談家、政治家 (1970-) ウィキペディアから
長井 秀和(ながい ひでかず、1970年(昭和45年)1月3日 - )は、日本の政治家、お笑いタレント、漫談家(ピン芸人) 、実業家(飲食店経営)。2022年(令和4年)12月から西東京市議会議員(無所属、1期目)を務めている。東京都西東京市在住。
東京都北多摩郡村山町(現在の武蔵村山市)で生まれる。父親は聖教新聞販売店の店主の創価学会の幹部で、のちに武蔵村山市議会議員(公明党の所属)を務めた長井孝雄(ながい たかお)。母親は専業主婦だった。両親が創価学会員だったために、長井秀和も生まれた時からの創価学会員だった。 2012年(平成24年)に創価学会を脱会した[1]。
当初は地元の公立の小学校に通っていたが、1978年の小学校3年生の時に、私立の東京創価小学校の開校にともなって小学校3年生から編入した。以降、東京創価小学校から創価中学校・高等学校を卒業し、さらに創価大学(文学部)を卒業した。
両親とは大学卒業後には教師になる約束をしていたが、「東洋のチャールズ・チャップリンを目指す」と宣言して、大学卒業後の1992年(平成4年)に22歳で「お笑い芸人」として芸能界デビューした。しかし、実際は「面白そうだから」というのが「お笑い芸人」に志望した理由であり、創価学会員である親から「浮ついている」などと批判されるのを避けるために、池田大作が「偉大なる芸術家だ」と認めている喜劇俳優の「チャールズ・チャップリン」の名前を利用したという[2]。
当初はパントマイムが持ち芸で路上パフォーマンスなども行っていたが、無名の時代が続き、M2カンパニー(現在のホリプロコム)を始め複数の芸能事務所を渡り歩いた後、フリーの身であったところを芸能事務所のタイタンに拾われ、後の基盤を作り上げた。
1999年11月27日にNHKテレビの「爆笑オンエアバトル」で、初挑戦にして高得点を獲得して初オンエア(3位)を勝ち取る。漫談ではなく「同じ動きなのに違うこと」というタイトルのショートコントであった。約1年後の挑戦(3回目、2000年10月21日)にも、「動きネタ」でオンエアされた。
2000年に同居して長年連れ添い、無名時代を支えていた内縁の妻と1度目の結婚をした。
2000年から2004年まで芸人仲間のユリオカ超特Qと2人で定期的に都内でお笑いライブ『同行二人』を開催していた。
2003年(平成15年)頃には日本テレビ系の「エンタの神様」に出演して「間違いないっ!」の決め台詞で人気者になる。
2004年10月から2005年3月にかけて、日本テレビ系の『不幸の法則』(バラエティ番組)で、メイン司会者を務める。
2005年3月22日に息子(長男)が誕生した。
2007年5月、フィリピン滞在中に未成年者へのわいせつ疑惑が週刊誌「女性自身」と写真週刊誌「FLASH」の報道で発覚した。しかし、長井秀和はニセ警察官を装った男らに身柄拘束され身代金を要求されて、日本にいる妻を通じて現金1100万円を支払い身柄が解放された。所属の芸能事務所が長井秀和は「美人局(つつもたせ)詐欺被害」を受けたと弁明コメントをした[3][4]。 詳細は#フィリピン滞在中の美人局(つつもたせ)詐欺被害の報道を参照。
2007年10月には、カナダ人女性タレントとの不倫疑惑も写真週刊誌でスクープされた。一連の女性問題が大きく報道された。 詳細は#カナダ人女性タレントとの不倫疑惑の報道を参照。
2007年9月初旬に「世界に通用するコメディアンを目指す」という目的で単身でアメリカのニューヨークに渡って英語の語学留学したこともあり、以降は日本のテレビから姿を消した。
2008年4月より、アメリカのニューヨークのコメディークラブで、英語によるお笑いライブを1週間から2週間に1度のペースで開催した(その模様は本人のブログで動画配信)[5]。
2008年11月27日、9年間連れ添った妻との1度目の離婚について記者会見を開き、一連の女性問題について「自分のしてきたことは極めて軽率だった」と述べて謝罪した[6]。今後は日本で芸能活動するとしたが、テレビ出演はほとんどなく、2011年7月に英検準1級を取得し、都内の外資系企業や保険会社などの法人を対象に週3日ほど英会話講師を務めている[7]ほか、2015年頃にはクレーン現場の警備員もしていたという[8]。「お笑い芸人」なので「会話術」が得意でコミュニケーション能力が高いことから、週末には芸能関係のイベントや結婚披露宴の司会業などをしている。
2012年(平成24年)に創価学会を脱会した[9]。以降は週刊誌やYouTubeなどで創価学会や公明党に対する批判的な発言を行っている。[10][11][12][13][14]。
2017年10月、婚約中の英会話講師のドイツ人女性と再婚(2度目の結婚)をした[15]。
2021年(令和3年)8月に政治団体「すこやかな共生社会をつくる会」を設立し、翌年の2022年(令和4年)12月の西東京市議会議員選挙に無所属候補として立候補する意向を示した[19][20][21][22]。
2022年(令和4年)7月10日に投開票の第26回参議院議員通常選挙では、れいわ新選組から立候補した芸人仲間の水道橋博士の応援演説にも駆けつけた。
2022年(令和4年)7月に安倍晋三銃撃事件の事件後に「宗教2世」(宗教2世問題)が世間の注目を浴びると、長井秀和も生まれた頃から両親が創価学会員の家庭で育ったことから、コメントを求められる機会も増えた[23][24]。
2022年(令和4年)12月25日に投開票の西東京市議会議員選挙(定数28)に無所属候補として立候補して、3,482票を獲得し、立候補者40人中で第1位の当選順位でトップ当選を果たした[25][26][27]。2022年(令和4年)12月から西東京市議会議員(無所属、1期目)を務めている。れいわ新選組、立憲民主党、社民党、日本共産党などの会派に近い無所属の議員である。
2007年(平成19年)5月下旬、フィリピン滞在中に17歳の少女にわいせつな行為をしたとしてフィリピンのニセ警察官を装った男数人に身柄拘束されて身代金を要求されたことが、2007年9月25日発売の週刊誌「女性自身」と写真週刊誌「FLASH」で報道された[29][信頼性要検証]。その後、ニセ警察官を装った男から金銭での解決を提示された長井秀和は、日本にいる妻を通じて掛川信用金庫及び島田信用金庫(2019年に両者が合併し、現在は島田掛川信用金庫)に合わせて約1100万円を振り込み、身柄が解放された[29]。所属の芸能事務所の説明によれば、長井秀和に非は無くフィリピンでニセ警察官を装った「美人局(つつもたせ)詐欺被害」を受けたと弁明コメントをした[29][30]。
2007年(平成19年)10月、アメリカ留学中にカナダ人女性タレントとの不倫キスのプリクラ写真が週刊誌「FRIDAY」に掲載された[31]。
ジャンルを問わず音楽に造詣が深く、後述の歌手デビューのほか、2017年にはアイドルグループ「ロイヤルストレートフラッシュ」をプロデュースした[32](2018年2月解散)。
2018年10月からは女性タレントの清水よし子、中野麻里子、秋吉尋美、妻のヘレンによる歌唱グループ「marvelous4」。文月詩織、星咲セイラによるアイドルグループ「高島平ミルフィーユ」をプロデュースした[33]。歌詞提供などを行っている。
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