第一家庭電器
かつて存在した日本の家電量販店 ウィキペディアから
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第一家庭電器株式会社(だいいちかていでんき)は、かつて存在した日本の家電量販店チェーンである。本社は東京都新宿区新宿六丁目23番15号にあった。略称および屋号は第一家電(だいいちかでん)。
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営業当時の第一家電秋葉原本店 (2002年) | |
種類 | 株式会社 |
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市場情報 | |
略称 | 第一家電 |
本社所在地 |
日本 〒160-0022 東京都新宿区新宿6丁目23-15 北緯35度41分48.5秒 東経139度42分39.3秒 |
設立 | 1958年10月23日 |
業種 | 小売業 |
事業内容 | 家庭用電気器具販売と修理 |
代表者 | 國分忠男(代表取締役社長) |
資本金 | 156億6400万円 |
売上高 | 194億2300万円(2002年2月期) |
総資産 | 339億円(負債:2002年2月28日現在) |
従業員数 | 342名(2002年4月16日現在) |
決算期 | 2月末日 |
主要子会社 |
株式会社第一クレジット 株式会社イー・エヌ・シー |
関係する人物 | 永長佐京(創業者) |
静岡県沼津市(パナソニック系列)や愛知県豊田市(東芝系列)にある同名の電器店や、広島市に拠点を置いていた第一産業(後のダイイチ→デオデオ、現在のエディオン)とは無関係である。
第一家電のルーツは、戦後に永長佐京が千代田区神田富山町の地に創業したラジオの月賦販売店・鈴やにさかのぼる。当初は外交販売を行っていた鈴やはのちに「ラジオリンクストア」の名でボランタリー・チェーン化して販売網を広げ、その後東京芝浦電気と提携することで鈴やは発展的に解散し、東京家庭電器株式会社へと移行、「ラジオリンクストア」も「マツダリンクストア」へ改称した。
次第に店舗の東芝系列色が濃くなったことに違和感を覚えた永長は、一部の鈴や時代からの社員と共に独立。「あらゆる家庭電器製品を売ることを第一に」「第一に皆様の家庭にご奉仕する」といった意味を込め、第一家庭電器株式会社が1958年10月23日に設立された。
当初は鈴や時代からの拠点の一つであった新橋に店舗と本社を構え、1959年に秋葉原、川崎、新宿と立て続けに出店。1962年に三鷹店を開店して以降は、郊外出店を進めていった。1971年に家電量販店業界では初となる株式上場を達成するなど、1970年代にかけて第一家電は国内最大手の家電量販店としてその名を知られた。同時期にはレコードレーベル各社と共同企画でオーディオマニア向けのレコードを多く制作した。
1977年に第一産業(後のエディオン)に家電量販店首位の座を譲るも、1985年から事業拡大のために社債を発行してバブル期の新規店舗の出店や設備投資などに充て、最盛期に直営・FCあわせて200店舗を数えるまでに拡大を続けた。
第一家電の店舗は多くが都市部の駅前商店街に立地する中小規模の店舗[注 1]で、1980年代から家電量販店の大型化・郊外化に乗り遅れ、高コスト体質で競争力が低下。売り上げは1991年の907億4200万円をピークに下降する。1992年に赤字に転落して以降、店舗のスクラップアンドビルドや異業態への転換、人員削減などで経営の立て直しを図るも、事業多角化は酒類販売を除き1997年までに撤退、消費税率引き上げによる消費の落ち込みやパソコン販売への出遅れなどが響いた。バブル期に発行した社債の償還のために銀行借入が増加し、2000年には債務超過に陥る。2001年2月期の売り上げは275億9797万円で、最盛期の3分の1近くにまで落ち込んだ。
2001年10月に同じく経営難にあった北海道のそうご電器(2002年2月12日に民事再生手続きを申請→ゲオの地域子会社・ゲオイエスを経て現在はゲオに合併)とともにドン・キホーテと資本・業務提携を行い[注 2]、2店舗をドン・キホーテの小型店「ピカソ」に転換したものの、効果は限定的であった[注 3]。
2002年4月16日に、第一家電は民事再生手続きを申請し経営破綻した。当初は先に破綻したそうご電器と同じく、ゲオが再建の支援を検討したが、店舗の狭さや中古販売のノウハウがないことなど不利な点があったため断念[3]。結局、TSUTAYAを運営するカルチュア・コンビニエンス・クラブ (CCC) が再建の支援をすることとなり、同年5月15日に両社は営業譲渡を合意。CCCの子会社・株式会社関東ツタヤが店舗営業権を得て41店舗のうち19店舗はTSUTAYAとBOOK OFFに業務転換した。2003年8月12日に再生手続は終結したが、それから間もない同年11月26日に自己破産。費用不足のため2004年3月12日に破産廃止となり、法人格は消滅した。
一部のフランチャイズ店舗は、ベスト電器の営業支援策として同社のフランチャイズ店舗に移行し、2016年現在でも一部店舗が営業しているものの、閉店する店舗が相次いでいる。
※映画「鬼畜(1978年)」のクレジット・タイトルに「第一家庭電器 川越第二号」の黄色い看板が映る。民家を改造したごく小さな店舗で、ロゴも後年とは異なり「dk」である。同社の「創立二十周年記念アルバム(1979年)」には、当時の川越第二号店の住所として「川越市幸町5-4」の記載がある。
CMなどで使われたキャッチフレーズは「いいものを、いいサービスで 第一家電」。子役時代の持田香織が出演していたCMもあった。
他のCMに、オーケストラが交響曲第5番の演奏を始めたところ、指揮者(手塚幸紀)が「第五じゃない、第一です」と制止し、交響曲第1番の演奏を開始するというものもあり、『題名のない音楽会』でパロディされたこともあった(この時の指揮者は岩城宏之)。
関東地方では月曜日から土曜日までの午後6時50分から午後7時の間にテレビ朝日で放送されていた帯編成のアニメ枠『藤子不二雄劇場』(『ドラえもん』などが放送)のスポンサーであり、当時の低年齢層にも知名度が高かった。他にも『もう一度笑ってる場合ですよ!』『笑っていいとも!増刊号』(ともにフジテレビ)、『クイズ!!マガジン』『ハーイあっこです』(テレビ朝日)、さらに『全日本プロレス中継』(日本テレビ)のスポンサーでもあった。在京各局ではこれらの番組の合間を中心に、『欽ちゃんのどこまでやるの!?』の「いつものアナウンサー」役で知られる北野英二が出演する『第一家庭電器クレジットショッピング』が頻繁に放送されていた。
ラジオでは1970年代にFM東京で放送されていた『ミュージック・スペシャル in DAC』(DJ:糸居五郎)のスポンサーであった。
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