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広島県尾道市の島 ウィキペディアから
百島(ももしま)は瀬戸内海中部に浮かぶ芸予諸島の島。山陽道筋のほぼ中央に位置する。芸予諸島内の北方の天辺に浮かび、尾道港から鞆の浦の海道中間にある。
中国・四国地方を全体に見渡すと、百島はほぼ中央に位置する。
広島県尾道市百島町に属する(1955年4月1日に沼隈郡百島村を編入[1])。郵便番号は722-0061(尾道郵便局管区)。
尾道市旧百島支所の建物は、尾道市に編入される前の1954年に沼隈郡百島村の村役場として建築された[2]。2022年7月22日、文化審議会は旧尾道市役所百島支所庁舎を登録有形文化財とするよう答申した[3]。
尾道市新百島支所の建物は百島簡易郵便局と一体となった建物で、2017年に完成し「百島みんなの家」の愛称がつけられている[4]。
百島(ももしま)は、昔桃樹が多く「桃島」と読んだが、いつの頃からか「百」の字が充てられるようになったとも言う。また、かつて磯島と五十島の二島があって、それが一島になって百島に改めたとも言う。
さらに一説として、尾道から今治までの芸予諸島が百にも及び、その天辺に位置し、その百諸島を代表する島として百島と名づけられたとも言う。
室町時代になるまで百島の歴史資料は殆ど皆無だが、菅原道真が大宰府に流される途中、百島に立ち寄り一袖残したという伝説もあり、現在百島町福田地区に天満宮がある。
また1441年(嘉吉元年)、嘉吉の乱で敗れた赤松満祐の一族が百島に逃れて住み着いて、以来追っ手の襲来に備えた弓の稽古が由来の「お弓神事」が今尚毎年1月11日に催しされている。これは、百島村上水軍との関連が強いと言われている。
島内の福田港から尾道港と常石港との間でフェリー、旅客船が運航されている。
かつては、百島の貝(あさり)と百島大根が、とりわけ美味しいと有名であった。
現在、百島の代表的な農業産物は、イチゴ、きぬさやエンドウ、玉ねぎ、キャベツ、ブロッコリー、ぶどう、ささげ、みかん、でこぽん、ポンカン、ハッサク、甘夏、冬橙、らっきょう、ゆず、レモン、ネーブル等。
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