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日本のロックバンド (1982-) ウィキペディアから
爆風スランプ(ばくふうスランプ、英語: BAKUFU-SLUMP)は、日本のロックバンド。1982年結成。1984年デビュー。
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ヤマハ音楽振興会主催のバンドコンテストである「EastWest」(1981年)にて、最優秀グランプリを受賞した『爆風銃』(バップガン)のメンバーであったファンキー末吉と江川ほーじん、優秀グループ賞を受賞した『スーパースランプ』のサンプラザ中野とパッパラー河合の4人が出会い、1982年4月に結成される。
河合によると爆風スランプ結成後の初演はおそらく1982年四谷フォーバレーだったとの記述がある[3]。
末吉によると爆風スランプ結成後の初演は1982年11月24日、新宿ACB会館であるという記述もある。
当初、ライブで客席に向け消火器を放射、スイカを投げる、畳や戸板などを投げその上で演奏、履いていた靴や火の付いた噴出花火を口に銜える、燃料を染み込ませた綿を頭の上に乗せ火を点ける、等の過激パフォーマンス、放送禁止用語交じりの過激かつユニークな歌詞、歌詞に合わせた着ぐるみを着る、等から“コミックバンド”という見方をされた。そのため、デビュー当時は同じソニー系列のレコード会社に所属していた聖飢魔II(FITZBEATレーベル)、米米CLUB(CBS・ソニー)と合わせ「ソニー三大色物バンド」と呼ばれたこともあった。特に爆風スランプと聖飢魔IIはソニーのオーディション部門「Sound Development」(SDマークが冠する)の出身。
前述の過激なパフォーマンスの記録として1985年5月26日午後に行われた東京大学学園祭第58回五月祭ロックコンサートで教室の机や椅子が破壊されたとの記述がある[4]。
デビュー当時の所属事務所は、オフィスすいか。
1985年6月「夜のヒットスタジオDELUXE」に初出演するが、前述の火を使うパフォーマンス(後に消防署からクレームが入る)、スタジオ内を歩き回り出演者やオーケストラ演奏者と握手するなど大暴れ。その後も同番組に出演した際は、THE ALFEEのセットを壊す、テレビカメラの上に乗る等、暴れ続ける。この数日後に「ザ・ベストテン」にスポット・ライトで出演の際もスタジオ内を暴れまわる。
1985年12月13日、日本武道館で初ライブを果たす。1984年12月10日に九段会館でライブを行った後、中野がトイレの窓から武道館を見て、「あそこでライブをやりたいなー」と思った後に、レコード会社から「来年武道館を予約しておきました」と言われ、武道館でのライブが行われることになった逸話がある。中野は、自分たちが武道館を満席にできるわけがないと思っていた。そこから発想して「武道館に空席があるのは、ペンフレンドの女の子を誘ったが来てくれなかったから」という言い訳ソングが作られ、後に彼らの代表作の一つとして評価される「大きな玉ねぎの下で」(「大きな玉ねぎの下で 〜はるかなる想い」も参照)である。1986年以降は強力なリズム・セクションを擁した実力派バンドとして徐々に認められていく。
バンド活動に限界が見え始めてきたことから、1986年にプロデューサーとして新田一郎を迎え、新田が社長を務める代官山プロダクションに移籍。新田は先ず、売れることを目的とした活動を始めることにしたが、江川ほーじんが反発、脱退を決意。末吉の作った曲に、辞めていく江川の姿を中野が詞にして「Runner」が誕生、1988年に発表され34万枚を売上。ロングヒットとなる。
NHK総合の音楽番組『ジャストポップアップ』にて演奏、番組の元にリクエストが殺到。これがきっかけで、1988年の『第39回NHK紅白歌合戦』に出場、翌年(1989年)1月9日の2度目の武道館公演を行った。江川はこの公演を最後に脱退。当初の予定は1月7.8.9日の3日間公演であったが、昭和天皇崩御により7・8日の公演を自粛。
『天才・たけしの元気が出るテレビ』の挿入歌に使用された「Runner」は、初のビッグヒットとなった。カラオケでもノリのいい曲として脚光を浴び、また現在でも高校野球のブラスバンドの応援歌における定番曲としても定着する。
江川脱退後、ベーシスト不在期間のテレビ出演に際しては、現在同じアミューズ所属サザンオールスターズの関口和之、古くから親交がある聖飢魔IIのゼノン石川、THE ALFEEの桜井賢、SHOW-YAの仙波さとみ、プリンセス プリンセスの渡辺敦子、男闘呼組の高橋一也、スターダストレビューの柿沼清史、カシオペアのキーボーディスト向谷実(シンセベースを演奏)、千葉のローカルタレント・ジャガー、りりィなど数多のベーシスト・ミュージシャンが代役を務めた。その後、兄弟バンド的な存在だったTOPSのベーシストだった和佐田達彦(バーベQ和佐田)が正式メンバーとして加わった。爆風スランプとしてのメンバーチェンジはこの時のみ。
同時期に活躍した聖飢魔IIやTOPSとは親交が深かったこともあり、共同でライブを行なったり、TOPSボーカルの三井雅弘は1989年の大幅なメンバーチェンジの時に、爆風スランプのマネージャーに就いた。プリンセス プリンセスとは、中野が住んでいたアパートに彼女たちのプロデューサーが住んでいたこともあり、よく一緒に酒を飲み、この時、「私達、本当に売れたいんです」と中野に話していたという。
1989年、代官山プロダクションの実質的な親会社であったアミューズに移籍後も、「月光」、「リゾ・ラバ」、アルバム『しあわせ』収録「大きな玉ねぎの下で」のリメイク・ヴァージョン「大きな玉ねぎの下で 〜はるかなる想い」と立て続けにヒットを記録した。
この時期、日本テレビで冠番組『爆風スランプのお店(爆店)』が放送された。その後、メンバーの疲労も蓄積したため、個々のメンバーが海外へ出向き長期休暇を取ることとなった。
海外での経験はアルバム『ORAGAYO 〜in the 7th heaven〜』に生かされ、中野・河合が南アフリカでの政治デモで演奏した「The 7th Heaven」(生録音)が収録。中国へ出向いた末吉はそれ以来中国に魅せられ、遂には中国に活動の主軸を移し、"Asian Drum King"と呼ばれるようになったが、長期休養後に発売されたアルバム・シングルの売れ行きは共に芳しくなかった。
『ORAGAYO 〜in the 7th heaven〜』の後に発売されたアルバム「青春王」はヒット曲「Runner」と同様に「青春」を軸に制作されたアルバムだが、売上は芳しくなかった。メジャー・デビュー前後の「破天荒」、ミリオン・ヒットを生み出した「青春」という主軸を失った爆風スランプは、ヒット曲らしいヒット曲は「涙2(LOVEヴァージョン)」のみで、長い低迷期をさまようこととなった。
その間、各メンバーはソロ活動を行なうようになり、それぞれ成果を上げている。
1992年11月6日、「ミュージックステーション」に出演、サンプラザ中野が客席へダイブ。豆電球2個とパネル1枚を破損するなど、破天荒さの片鱗を留めた姿も見せた。
「進め!電波少年」の企画「猿岩石のユーラシア大陸横断ヒッチハイク」の応援曲として「旅人よ 〜The Longest Journey」が採用され、企画の人気と同様、ヒット曲となった。直後に発売されたアルバム『怪物くん』は2枚組(初回限定盤)で発売。爆風スランプ・レコード会社の力の入れ様が窺われるものだった。
1998年3月、32枚目のシングル『暖かい日々』を発売し翌4月1日に13枚目のオリジナル・アルバム『ハードボイルド』を発売。
1999年4月、活動休止を発表した。
1999年4月に活動休止後、中野と河合はスーパースランプを再結成。末吉と和佐田は、ハードロックバンドX.Y.Z.→Aにて活動中。
2004年12月19日に、当時中野が火曜コメンテーターを務めていた朝日放送『おはよう朝日です』の企画で一日限りの再結成を果たし、大阪のABCホールで熱唱。
2005年12月19日-20日の2日間限定で、新宿コマ劇場にて、再結成ライブ「45歳のフェス(恋愛の日・青春の日)」を行った。20日のラストでは、中野が込み上げ歌えなくなった場面もあった。また、河合の弁髪が頭部が禿げたことにより無くなったことも判明。このライブはUSENの無料パソコンテレビGyaOで配信された。
2007年12月30日に、1日限りの再結成として、名古屋のライブハウス「E.L.L.」の「THANX! ELL 30th ANNIVERSARY SPECIAL」に参加し、2年振りのライブを行った。共演は175R。175Rは爆風スランプの6thアルバム『I.B.W-It's a Beautiful World-』の楽曲「それから」をカバーした。
2008年10月5日に、大堀川防災レクリエーション公園にて、河合以外のメンバー、中野、末吉、和佐田でほぼ爆風スランプとして(後に「サンプラザ中野くんバンド」、「SFQ」と改名)、「音街かしわ2008〜MUSIC PLATFORM〜」に参加。爆風スランプ時代の楽曲を披露した。
2010年12月12日に、東京国際フォーラムで1日だけの復活ライブ「爆風復活しまんすライブ!!〜サンプラザ中野くん50歳だー!!〜」を行った。このライブでは、サンプラザ中野くん50歳を記念して様々なサプライズを展開。開演前の入場アナウンスにデーモン閣下が登場。同日の同場所、隣のホールで聖飢魔IIのミサが開催されていた為に布教しに来たという。なお、アナウンスは事前録音されたものであった。また、本編曲中「無理だ」の中で、無理なことをやり続けている電撃ネットワークも登場。サンプラザ中野くん、パッパラー河合が電撃ネットワークの過激な肉体芸に参加し、盛り上げた。後日WOWOWで独占放送された。
2011年9月、ファンキー末吉が爆風スランプのトリビュートアルバムをプロデュースすることが決まり、親交のあるミュージシャンを中心に参加を募った。賛同したミュージシャンは、アースシェイカー、生田ノブヤ(ノイズファクトリー)、石川俊介(聖飢魔II)、内田雄一郎(筋肉少女帯)、梅原"PAUL"達也(44マグナム)、X.Y.Z.→A、王様、サンプラザ高円寺くん、渡辺英樹・田口智治・笠浩二・米川英之(C-C-B名義)、曾我泰久 (THE GOOD-BYE)、田中雅之(ex.クリスタルキング)、デーモン閣下(聖飢魔II)、ホッピー神山、三井雅弘 (ex.Tops)、山下昌良(ラウドネス)、ロリータ18号など[5]。
2011年12月25日、爆風スランプのトリビュートアルバム『We Love Bakufu Slump』発売。
2013年1月15日、前述のアルバムに、ACE、CRACK BANQEST、ROLLY、ザ・キャプテンズ、上野まな、オズ、和佐田達彦、山本恭司、話音(野村義男+力石理江)らが新たに参加した『爆風トリビュートComplete』を発売。参加アーティスト数組が出演する発売記念ライブが同年1月13日、14日に行われた。
2019年2月26日、目黒ライブステーションにて「江川ほーじんチャリティーミニライブ」を開催。前年12月に交通事故に遭い、意識不明の状態が続く江川ほーじんを支援する募金活動の一環で、告知等では爆風スランプの名義こそ用いていないが、中野、河合、末吉、和佐田のメンバー4人が参加[6][7][8]。
2024年3月1日、爆風スランプデビュー40周年に再集結、10月よりライブツアー「爆風スランプ〜IKIGAI〜デビュー40周年日中友好LIVE”あなたのIKIGAIナンデスカ?”」の開催&新曲リリース決定をSONYMUSICの爆風スランプ公式サイトで発表した[9][10]。
2024年7月13日、28年ぶりに爆風スランプとして4人でTBSテレビ「音楽の日」出演を果たし「大きな玉ねぎの下で」を生歌唱した[11]。
2024年8月6日、爆風スランプとして26年ぶりの新曲「IKIGAI」を爆風スランプデビュー40周年記念日の8月25日を配信日とし、「IKIGAI」のMV(ティザー)を発表した。ジャケットイラストはサザンオールスターズ関口和之が描き下ろした。[12][13]
2024年8月16日、人気YouTube音楽チャンネル「THE FIRST TAKE」に初登場。「Runner」を披露し、この動画の再生数は約1ヶ月で265万回を記録した。[14]
・神がかり (1985年12月1日、CBS・ソニー出版 ISBN 4789702111)
楽曲 | タイアップ |
---|---|
うわさに、なりたい | シチズン「19才リビエール」CMソング(1984年) |
青春の役立たず | AGF「はじけるキャンディー ドンパッチ」CMソング(1986年) |
まっくろけ | 「ウールマーク」CMソング(1986年) |
愛がいそいでる | スズキ「Hi-R"Hyper Runner"」CMソング(1987年) |
THE TSURAI | 「ウールマーク」CMソング(1987年) |
ひどく暑かった日のラヴソング | 「HITACHI MASTACS」CMソング(1988年)、「パンツの穴 本牧ベイでクソくらえ」映画主題歌(1990年) |
Runner | 日本テレビ「天才!たけしの元気が出るテレビ」挿入歌、「HITACHI MASTACS」CMソング(1988年) |
きのうのレジスタンス | 「木村家の人びと」映画主題歌(1988年) |
転校生は宇宙人 | NHK「みんなのうた」 1988年6月 - 7月使用曲(1988年) |
大きな玉ねぎの下で 〜はるかなる想い | 「バトルヒーター」映画主題歌(1989年) |
「コスモ石油」CMソング(1989年) | |
東京メトロ東西線九段下駅の発車メロディ(2015年から)[16] | |
シンデレラちからいっぱい憂さ晴らしの歌 今夜はパーティー | 「コスモ石油(コスモ・ザ・カード)」CMソング(1989年) |
月光 | 「コスモ石油」CMソング(1989年) |
リゾ・ラバ -Resort Lovers- | 「コスモ石油」CMソング(1989年) |
それから | NHK総合テレビ「まんがで読む古典」主題歌(1989年) |
満月電車 | TBSテレビ「テレポート6」主題歌(1989年) |
東の島にコブタがいた | NHK「みんなのうた」 1990年8月 - 9月使用曲(1990年) |
東京ラテン系セニョリータ | TBSテレビ「日立 世界・ふしぎ発見!」EDソング(1991年) |
がんばれ、タカハシ! | 丸大食品「カレーとハンバーグ」CMソング(1991年) |
涙2(青春ヴァージョン) | 「進研ゼミ 中学講座」応援歌(1992年) |
友情≥愛 | TBSテレビ「KATO&KENテレビバスターズ」EDテーマ(1992年) |
さよなら文明 | アニメ「ツヨシしっかりしなさい」OPソング(1992年) |
涙3 | アニメ「ツヨシしっかりしなさい」EDソング(1992年) |
いつか逆転 | 「ミズノ野球グローブ テックファイヤー」CMソング(1993年) |
愛のチャンピオン | テレビ朝日系列「驚きももの木20世紀」主題歌(1993年) |
神話 | 「ガメラ 大怪獣空中決戦」映画主題歌(1995年) |
新しいことを始めよう | 京セラ「春の京セラ携帯通信フェア」CMソング(1996年) |
旅人よ 〜The Longest Journey | 日本テレビ「進め!電波少年 猿岩石」応援歌(1996年) |
BAN BAN BAN[注釈 1] | NHK教育テレビ「天才てれびくん」EDソング(1997年) |
天使の涙 | 日本テレビ系列「天使にKISS」ドラマ主題歌(1997年) |
カンカン | 「東武動物公園」「G-max」CMソング(1997年) |
モンスター | ゲームソフト「モンスターファーム」CMソング(1997年) |
暖かい日々 | テレビ朝日系列「驚きももの木20世紀」EDテーマ |
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