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日本の短距離走者、ハードラー ウィキペディアから
為末 大(ためすえ だい、1978年5月3日 - )は、広島市佐伯区出身の男子元陸上競技選手。400mハードル日本記録保持者で、現在はスポーツコメンテーター・タレント・指導者などで活動中。株式会社R.project取締役。株式会社侍 代表取締役。
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選手情報 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
フルネーム | 為末 大 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
愛称 |
侍ハードラー 走る「哲学者」[1] | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
国籍 | 日本 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
種目 | 400m障害走・短距離走 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
生年月日 | 1978年5月3日(46歳) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
生誕地 | 広島県広島市佐伯区 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
身長 | 170cm | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
体重 | 66kg | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
自己ベスト | 400mH:47秒89(2001年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
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編集 |
2001年世界陸上エドモントン大会・2005年世界陸上ヘルシンキ大会の男子400mハードルにおいて、世界陸上選手権の2大会で銅メダルを獲得。またオリンピックには、2000年シドニー・2004年アテネ・2008年北京と、3大会連続で出場した。身長170cm、体重66kg。
広島市立五日市中学校から広島県立広島皆実高等学校を経て法政大学経済学部卒。父方の祖母が被爆しており、為末自身は被爆3世にあたる[2]。祖母は女学校時代に今の国体のような全国大会に出場したことがあり、亡くなる前に「走りたい」と言い残していたことから、自分の陸上との原点のようなものを見つけたと語っている[3]。この祖母の弟、つまり大叔父が今西和男[4]。
大学卒業後、大阪ガスに入社したが退社し、2004年からはアジアパートナーシップファンド(APF)に所属しプロ陸上選手となる[5]。マネジメントについてはサニーサイドアップと契約している。代理人はCaroline Feith(沢野大地、池田久美子らの担当でもある)。2007年12月から3年間、APFグループのウェッジホールディングスの取締役も務め、タイへの投資に関する著書がある。
陸上競技の普及に積極的に取り組んでいる。2006年9月にクイズ$ミリオネアで1000万円を獲得。それを元手に翌年春、東京丸の内で東京ストリート陸上をプロデュースした。また「陸上競技の魅力をより多くの人に知ってもらいたい」との思いから、全国各地の小学校で様々な種目の選手と共に実演するイベントも企画している。
2008年、北京オリンピックに出場終了後、去就が注目されていたが、10月1日、「ボロボロになっても、行ける処まで走りたい」として、2012年のロンドンオリンピックを目指して現役を続行することを決めた。
2010年、一般社団法人アスリート・ソサエティを設立し代表理事の一人となる[6]。
2011年、地元の広島にクラブチーム、「a-meme(エーミーム)」を設立し、所属先も変更になった。
2012年6月2日、ロンドンオリンピック出場の可否に関わらず、今季限りで引退する旨を述べた[7]。同年6月8日、長居陸上競技場でおこなわれた日本選手権男子400メートル障害予選にて、2組で出場した為末はいきなり1台目のハードルを越えられず、右足を引っ掛けて転倒してしまう。完走するも組最下位に終わり、準決勝進出も絶たれたことで、現役引退を表明した[7][8]。
2012年7月、地方地域の廃校や公共の宿泊施設を活用し、スポーツ合宿を中心とした宿泊事業を展開する株式会社R.projectの取締役に就任。8月、プロジェクト「為末大学」を開始[9][10]。
2013年11月、かつて所属し取締役も務めていたアジアパートナーシップファンドが、金融商品取引法違反(偽計)の疑いで史上最高額となる41億円の課徴金の対象となったことが報道された。これに対し為末は「APFはスポンサーという認識だったので、私の肖像や著書がもし仮に私が認識していた意図と違う使われ方をされていたのであれば、残念に思います。私から他の方に投資を勧めたという事実は一切ございません。」と回答した[11]。
2014年、東京大学先端科学技術研究センター特任研究員[6]。
2015年4月、ブータン五輪委員会(BOC)のスポーツ親善大使に就任。五輪メダル獲得経験のない同国への支援を考えたと説明した[12]。
2015年12月、株式会社コロプラの社外取締役に就任[13]。
2017年8月、V・ファーレン長崎のフィジカルアドバイザーに就任[14]。
2021年7月、国際連合機関であるUNITAR(国連訓練調査研究所)の親善大使に就任し、オンラインで記者会見を行った[15]。同年、翌2022年より放送を開始するBSJapanextの番組審議会委員長に就任した[16]。
年 | 100mタイム | 200mタイム | 400mタイム | 400mハードルタイム | 戦績 | |
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1993年 | 10秒95 | 21秒36 ※当時中学記録 | 49秒07 | 全日中100m、200m優勝 ジュニアオリンピック200m優勝 | ||
1994年 | 10秒72 | 21秒82 | 48秒24 | 国体100m、400m優勝 | ||
1995年 | 21秒64 | 47秒79 | ||||
1996年 | 10秒62 | 21秒23 | 45秒94 ※日本高校歴代3位 ※自己ベスト | 49秒09 ※ジュニア日本記録、高校記録 | インターハイ400m優勝、国体400m、400mハードル優勝 | 世界ジュニア400m 4位 1600mリレー 2位(4走) |
1997年 | 世界室内1600mリレー 6位(2走) | |||||
1998年 | 49秒19 | |||||
1999年 | 49秒12 | 日本選手権400mハードル 2位 | ユニバーシアード400mハードル 準決勝 | |||
2000年 | 48秒47 ※当時学生記録 | 日本選手権400mハードル 2位 | シドニーオリンピック400mハードル 予選 | |||
2001年 | 47秒17 | 47秒89 ※日本記録、学生記録 ※自己ベスト | 日本選手権400mハードル 1位 | エドモントン世界選手権400mハードル 3位(日本記録) | ||
2002年 | 48秒69 | 日本選手権400mハードル 1位 | アジア大会400mハードル 3位 | |||
2003年 | 48秒94 | 日本選手権400mハードル 1位 | パリ世界選手権400mハードル 準決勝 | |||
2004年 | 48秒46 | 日本選手権400mハードル 1位 | アテネオリンピック400mハードル 準決勝 | |||
2005年 | 48秒10 | 日本選手権400mハードル 1位 | ヘルシンキ世界選手権400mハードル 3位 | |||
2006年 | 10秒49 ※自己ベスト | 20秒97 ※自己ベスト | 46秒41 | 日本選手権400m 準決勝 | ||
2007年 | 48秒73 | 日本選手権400mハードル 1位 | 大阪世界選手権400mハードル 予選 | |||
2008年 | 49秒17 | 日本選手権400mハードル 1位 | 北京オリンピック400mハードル 予選 | |||
2009年 | ||||||
2010年 | ||||||
2011年 | 49秒89 | |||||
2012年 | 57秒64 | 日本選手権400mハードル 予選2組 7位 |
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