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科学的または政治的目的のための核兵器の制御爆発 ウィキペディアから
核実験(かくじっけん、英語: Nuclear weapons testing)とは、核爆弾の新たな開発や性能維持を確認したり、維持技術を確立したりするために、実験的に核爆弾を爆発させることを指す。
1945年から約半世紀の間に2379回(その内大気圏内は502回)の核実験が各国で行われた。そのエネルギーはTNT換算で530メガトン(大気圏内は440メガトン)でこれは広島へ投下されたリトルボーイ(TNT換算で15 kt)の3万5千発以上に相当する[1]。
核実験は、実施された場所と高度により4つの種別に分類される。
歴史上重要な核実験の一覧を次に示す。広島と長崎の原子爆弾の投下に加え、既定の兵器のその国における初の核実験、さもなければ、例えばこれまでに最も大きな核実験だったなど顕著だった核実験が含まれる。すべての核出力(爆発力)は、推定エネルギーと等価とされるTNTの質量(kt)で与えられる。
表中の「実用兵器/非実用兵器」は、実験された装置が(理論実証装置と対照的に)実際の戦闘において仮定として使われることができたかどうかを意味する。
核爆発を起こすために大規模な機器に取り囲まれているような初期の実験用核爆弾は、実用的な兵器とは言えない。「多段階/非多段階」は、それがいわゆるテラー・ウラム構成の本当の水素爆弾か、単に増幅核分裂兵器の形態であったかどうかを意味する。
なお、ツァーリ・ボンバと1998年のインドとパキスタンによる実験の核出力のように、いくつかの核実験の正確な核出力の推定は、専門家との間で論争となっている。
核実験は、軍事的・科学的な実験に留まるものではなく、政治的なプロパガンダの役割を果たす場合も少なくない。
年月日 | 名称(実験名) | 核出力 (kt) | 実施国 | 重要性 |
---|---|---|---|---|
1945年7月16日 | ガジェット(トリニティ実験) | 19 | アメリカ合衆国 | 人類史上初の原子爆弾実験 |
1945年8月6日 | リトルボーイ | 15 | アメリカ合衆国 | 人類史上最初の実戦使用(広島市への原子爆弾投下) |
1945年8月9日 | ファットマン | 21 | アメリカ合衆国 | 直近の実戦使用(長崎市への原子爆弾投下) |
1949年8月29日 | RDS-1(ジョー1) | 22 | ソビエト連邦 | ソビエト連邦による初の原子爆弾 |
1952年10月3日 | ハリケーン | 25 | イギリス | イギリスによる初の原子爆弾 |
1952年11月1日 | アイビー マイク | 10,400 | アメリカ合衆国 | 人類史上初の多段階熱核反応兵器実験(非実用兵器) |
1953年8月12日 | RDS-6(ジョー4) | 400 | ソビエト連邦 | ソビエト連邦による初の水爆(非多段階、実用兵器) |
1954年3月1日 | キャッスル ブラボー | 15,000 | アメリカ合衆国 | 水爆(人類史上初の多段階、実用兵器)、放射性降下物事故(第五福竜丸が被曝) |
1955年11月22日 | RDS-37 | 1,600 | ソビエト連邦 | 水爆(ソビエト連邦による初の多段階、実用兵器) |
1957年11月8日 | グラップル X | 1,800 | イギリス | 水爆(イギリスによる初めて成功した多段階) |
1960年2月13日 | ジェルボアーズ・ブルー | 70 | フランス | フランスによる初の原子爆弾 |
1961年10月31日 | ツァーリ・ボンバ | 50,000 | ソビエト連邦 | 人類史上最大の水爆実験(本来100メガトンを50メガトンに制限) |
1964年10月16日 | 596 | 22 | 中国 | 中国による初の原子爆弾実験 |
1967年6月17日 | 実験 No. 6 | 3,300 | 中国 | 中国による初の水爆実験 |
1968年8月24日 | カノープス | 2,600 | フランス | フランスによる初の水爆実験 |
1974年5月18日 | 微笑むブッダ | 12 | インド | インドによる初の核分裂爆発実験 |
1998年5月11日 | シャクティ I | 43 | インド | インドによる初の潜在核融合増幅兵器実験(正確な核出力は25-45 ktの間で議論されている) |
1998年5月11日 | シャクティ II | 12 | インド | インドによる初の原子爆弾実験 |
1998年5月28日 | チャガイ-I | 9-12? | パキスタン | パキスタンによる初の原子爆弾実験 |
2006年10月9日 | 北朝鮮の核実験 (2006年) | 1.5-15? | 北朝鮮 | 北朝鮮による初の原子爆弾実験 |
2010年11月18日 | ポルックス | ? | アメリカ合衆国 | アメリカによる「Zマシン」と呼ばれる装置を使った初の臨界前核実験 このZマシンに関してはこの後2014年11月までの間に12回の実験が繰り返されている |
2013年2月12日 | 北朝鮮の核実験 (2013年) | 10-45? | 北朝鮮 | 北朝鮮による初の強化原爆実験? |
2016年1月6日 | 北朝鮮の核実験 (2016年1月) | 10? | 北朝鮮 | 北朝鮮による初の水素爆弾実験(懐疑的な意見もある) |
2017年9月3日 | 北朝鮮の核実験 (2017年9月) | 160-250 | 北朝鮮 | 北朝鮮による初の水素爆弾実験 |
1945年7月16日にアメリカ合衆国がマンハッタン計画で人類史上初めて行った核実験(トリニティ実験)では、長崎に投下したファットマン」と同型のプルトニウム爆縮型原子爆弾(ガジェット)をニューメキシコ州アラモゴードにある実験場で炸裂させた。
1946年7月1日からアメリカ軍占領下にある日本の委任統治領であるマーシャル諸島のビキニ環礁で核実験を行い、1947年にアメリカ領となった後も核実験を継続し、エニウェトク環礁と合わせて67回の核実験を行った[2][3]。
1946年7月、原爆実験クロスロード作戦では、日本の戦艦長門など約70隻の艦艇が標的として集められ、そこを原爆で攻撃して効果を測定した。1回目は7月1日に実験(エイブル)し、2回目(ベイカー)は7月25日に行なわれた。
その後、太平洋核実験場として指定され、1954年3月1日ビキニ環礁で水爆実験(キャッスル作戦)では、実験計画では数Mtクラスの爆発力と見積もっていたものが、実際には15 Mtの爆発力があったため予想よりも広範囲に死の灰が拡散して、多数の被曝者を出した。
南太平洋での実験は費用が掛かるため、トルーマン大統領の提案により1951年にネバダ州の砂漠にネバダ核実験場 (NTS,Nevada Test Site) が設置された。その後、フォールアウト(放射性降下物)の測定や建物・動物などへの影響を調べるための実験が地上・地下含めて928回行われた。
核実験の振動がラスベガスの建物に影響を与えたため、核出力5 Mtの爆発実験の前段階として、1968年1月19日にラスベガスの北130 kmにあるトノパー近郊で1 Mtの地下実験"FAULTLESS"が行われた。これがアメリカ合衆国本土で行われた最大の核爆発であった。その結果、衝撃で地上に大きな断層ができてしまったために本土で実験は行わないことになり、5 Mtの実験はアラスカのアムチトカ島で行うことになった。
1997年7月2日 地下実験場で初の臨界前核実験が行われた。
2010年11月18日 Zマシン(サンディア国立研究所)と呼ばれる核融合実験装置/X線発生装置を使い、核爆発を伴わない「新型核実験」に成功している(この実験はマスメディアなどでは一応臨界前核実験とは区別して新型核実験と呼ばれている)。これは強力なX線を発生させ、超高温、超高圧の核爆発に近い状況を再現し、プルトニウムの反応をみる実験である。この実験は2014年11月まで続いており計12回行われている[5][6]。
1955年5月14日 ウィグワム作戦 カリフォルニア州サンディエゴ南西500マイルで行われた、核爆雷の検証を目的とする実験。 1961年から1973年まで、衝撃波の測定や天然ガス採掘など、平和利用の実験のために小規模(150 kt未満)の原爆実験がアメリカ各地で行われた(プラウシェア計画、Operation Plowshare)。
世界最大の核兵器保有数を誇ったソ連による主な核実験。少なくとも1949年から1990年にかけて715回の核実験が行われた[7]。
東西冷戦中には、アメリカ合衆国が地下核実験の探知を目的として世界中に地震計を設置した。おもにソビエト連邦が実施した地下核実験によって生じる地震波をとらえた。一方、核実験実施国も自然地震と見せかけるために巧妙な核実験を行った。たとえば爆弾を並べて短時間に順に爆発させていき断層破壊と偽ったり、2発の爆弾を短時間に続けて爆発させ自然地震特有のpP波に似た波を発生させたりしていた。
このような経緯で設置された地震計は、現在では純粋に地震学の分野で大きく活用されている(たとえば地震波トモグラフィー)。
なお、地震計による核実験探知については、ブルース・A・ボルト著『地下核実験探知』に詳しく記してある。
1957年、日本はイギリス、ソ連、アメリカに核実験の中止を申し入れたが、いずれも拒否された[12]。 その後、大気圏内で行う核実験は、大気中に放射性物質が飛散することになることが認識されるようになったため、これを禁止する国際条約が締結されることになった。1963年に、核実験を地下に限定する大気圏内、宇宙空間及び水中における核兵器実験を禁止する条約(通称部分的核実験禁止条約:PTBT)が締結され、同年中に発効した。この条約には100か国以上が調印しており、アメリカ合衆国及びソ連も批准している。フランスや中華人民共和国は署名していないが、後には大気圏内核実験を取りやめた。PTBT自体は、実験の規模や回数を制限していない。アメリカ合衆国とソ連は1974年に地下核実験制限条約(TTBT)を締結、1976年には平和目的地下核爆発制限条約を締結し、地下核実験における核出力を150 ktに制限し、相互に検証することに合意したが、これらの条約の発効は冷戦終結後の1990年までずれ込んだ。
地下核実験も禁止対象とする包括的核実験禁止条約(CTBT)が提案され、1996年より署名が開始された。この条約は、発効の条件とされた特定の44カ国全てにおける批准が実現されておらず、2011年時点では有効な条約にはなっていない。また、臨界前核実験も CTBT では禁止されていない。
核実験により多量の放射性物質が、放射性降下物(いわゆる「死の灰」・「黒い雨」)として、広範囲に拡散をする事で大気汚染・土壌汚染・海洋汚染・生物汚染を引き起こす。このため短期・長期の様々な影響がある。
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