帝国ホテル
東京都千代田区にあるホテルチェーン ウィキペディアから
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株式会社帝国ホテル(ていこくホテル、英: Imperial Hotel)は、東京都千代田区内幸町一丁目(日比谷)に本社を置くホテル運営会社。
帝国ホテル東京 | |
種類 | 株式会社 |
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市場情報 | |
本社所在地 |
日本 〒100-8558 東京都千代田区内幸町一丁目1番1号 北緯35度40分20.6秒 東経139度45分30秒 |
設立 | 1887年(明治20年)12月 |
業種 | サービス業 |
法人番号 | 8010001008711 |
事業内容 |
ホテル事業 不動産賃貸事業 他 |
代表者 |
定保英弥(代表取締役社長兼社長執行役員) 風間淳(代表取締役専務兼専務執行役員) 徳丸淳(代表取締役常務兼常務執行役員) |
資本金 | 14億8500万円 |
発行済株式総数 | 5940万株(2019年3月31日現在) |
売上高 |
連結:584億2600万円 単体: 579億7300万円 (2019年3月31日現在) |
営業利益 |
連結:50億3600万円 単体:49億1100万円 (2019年3月31日現在) |
経常利益 |
連結:53億1400万円 単体:51億6000万円 (2019年3月31日現在) |
純利益 |
連結:36億8600万円 単体:35億7600万円 (2019年3月31日現在) |
純資産 |
連結:593億3500万円 単体:585億2100万円 (2019年3月31日現在) |
総資産 |
連結:810億6700万円 単体:789億4000万円 (2019年3月31日現在) |
従業員数 |
単体:1,749名 連結: 1,824名 (2022年3月31日現在) |
決算期 | 3月31日 |
主要株主 |
三井不動産株式会社 33.16% アサヒビール株式会社 5.73% 株式会社大和証券グループ本社 5.12% 株式会社みずほ銀行 4.96% 日本生命保険相互会社 4.91% 富国生命保険相互会社 4.46% サッポロビール株式会社 4.20% 清水建設株式会社 4.20% 第一生命保険株式会社 3.93% 鹿島建設株式会社 3.87% (2016年3月31日現在) |
主要子会社 |
株式会社帝国ホテルエンタープライズ 株式会社帝国ホテルハイヤー 株式会社帝国ホテルサービス 株式会社帝国ホテルキッチン(株主:株式会社帝国ホテル 50%・株式会社ニチレイ 50%) |
関係する人物 |
渋沢栄一(初代会長) 大倉喜七郎(元会長) 小佐野賢治(元会長) 犬丸徹三(元社長) 犬丸一郎(元社長) 藤居寛(元社長) 大野勝巳(元社長) |
外部リンク | https://www.imperialhotel.co.jp/ |
本格的な洋式ホテルとしては日本有数の歴史を持つ帝国ホテル(現・帝国ホテル東京)のほか、帝国ホテル大阪、上高地帝国ホテルを運営する、日本を代表する高級ホテル企業であり、ホテルオークラ、ニューオータニとともに「ホテル御三家」として知られる。なお単に「帝国ホテル」といえば「帝国ホテル東京」を指すことが多い。
三井不動産が約3分の1の株式を保有する筆頭株主であり、同社主導め帝国ホテル東京の建替えと日比谷公園も含めた日比谷地区の再開発を進めている(「TOKYO CROSS PARK構想」を参照)[1]。
1886年(明治19年)に東京の官庁集中計画が練られた際に、外国人の接遇所を兼ねた国を代表する大型ホテルの設計が組み込まれ[2]、帝国ホテル(現・帝国ホテル東京)が1890年(明治23年)11月3日に落成、同7日に開業した[3]。1883年建設で隣接する鹿鳴館と密接な関連を持つホテルとして井上馨の説得で渋沢栄一と大倉喜八郎の2人が1888年(明治21年)有限責任帝国ホテル会社(設立当初は有限責任東京ホテル会社)を設立し、建設した[注釈 1]。以来、来日する海外要人・著名人などが宿泊する、日本を代表するホテルとして知られてきた。
渋沢は1909年(明治42年)に会長職を大倉喜八郎へ譲り、そして1922年(大正11年)には喜八郎の長男・大倉喜七郎が会長に就任した。喜七郎は北アルプスをきっかけに上高地帝国ホテルを開業させ、日本における山岳リゾートブームの先鞭をつけた。
戦後に、喜七郎が公職追放に遭った上に財閥解体によって大倉家の持ち株は放出[注釈 2]。代わって東京殖産の長田庄一から巨額の資金援助を受けた「北支の煙草王」こと金井寛人が1953年(昭和28年)に株式の多くを獲得して会長となる[注釈 3]。
1977年(昭和52年)の金井の死後、その全持ち株が小佐野賢治の国際興業に譲渡。1990年代前半には系列の「ザ・クレストホテル」の展開を始めた(現存するのは後述の「ザ・クレストホテル柏」のみ)ほか、1996年(平成8年)には帝国ホテル大阪を開業させ、帝国ホテルを帝国ホテル東京と改称した。
2004年(平成16年)にはその国際興業がサーベラスに買収されるが、2007年(平成19年)10月に国際興業保有帝国ホテル株式の大半が三井不動産に売却され、三井不動産が約33%を保有する筆頭株主となった[4]。
2019年7月、帝国ホテル東京は東京電力ホールディングス本店ビルやNTT日比谷ビルなどと一体で、内幸町一丁目街区の一部として、複数の高層ビルが建てられるという方針が報道された。主体となる事業者は三井不動産とNTT都市開発[5][6]。帝国ホテル東京についてはタワー館を2030年度に完成させ、本館も2036年度に完成する予定[7]。
2021年3月25日、内幸町一丁目街区におけるまちづくり方針について、帝国ホテルを含む10社が合意したと発表した[8]。また、同日に帝国ホテルは東京(本館・タワー)の建て替え計画の実施方針を決定した[9]。同年10月27日、新本館のデザインアーキテクトに田根剛を起用したと発表した[9]。
ドイツで建築を学び帰国したばかりの若手建築家の渡辺は、海外で学んだ知識を活かした様式の建物を建てるが、当時の海外市街地型ホテルの主流であった接道型ホテルではなく、日本の邸宅風の建物配置を選び、建物内部には日本趣味の装飾を施すなど、日本流のアレンジを加えた[2]。完成時には下水道の工事が始まっておらず、ホテルの排水は内濠へ排出された。1916年(大正5年)、警視庁は排泄物の垂れ流しは目に余るとしてホテル側に汲み取りを命じた[10]。
1914年(大正3年)頃から、当時の総支配人だった林愛作は旧知のアメリカ人建築家、フランク・ロイド・ライトと新館設計の相談を重ね、1916年(大正5年)に契約を結んだ。翌1917年(大正6年)にライトは来日し、1919年(大正8年)9月、着工した。ライトは使用する石材から調度品に使う木材の選定に至るまで、徹底した管理体制でこれに臨んだ。
鷲が翼を広げたような巨大なホテルは、10のブロックをエキスパンションジョイントで繋ぎ合わせた構造になっており、これで建物全体に柔軟性を持たせるとともに、一部に倒壊があっても全体には累を及ぼさない仕組みになっていた。また大規模ホテルとしては世界で初めて全館にスチーム暖房を採用するなど、耐震と防火に配慮した設計だった。
しかし、こうした完璧主義は大幅な予算オーバーを引き起こした。ライトはアメリカでの仕事のため度々帰国しながら施工の総指揮を続けていたが、[要出典]1922年(大正11年)4月、隣接する初代帝国ホテルが失火から全焼すると、新館の早期完成は経営上の急務となり、設計の変更を繰り返すライトと経営陣との衝突は避けられなくなった。さらに当初予算150万円が6倍の900万円に膨れ上がるに至って、林は総支配人を引責辞任、ライトも精魂注いだこのホテルの完成を見ることなく離日した(1922年7月)。一部完成済みの部分を利用してホテルは営業を再開した。
ホテルの建設はライトの日本における一番弟子だった遠藤新の指揮のもと、その後も続けられた。1年後の1923年(大正12年)7月、着工以来4年の歳月を経てライトの本館は完成した[11]。9月1日に落成記念披露宴が開かれることになったが、関東大震災が東京を襲ったのは、まさに宴の準備に大忙しの時だった。周辺の多くの建物が倒壊したり火災に見舞われたりする中で、小規模な損傷はあったもののほとんど無傷で変わらぬ勇姿を見せていたライトの帝国ホテルはひときわ人々の目を引いた。ライトは二週間後このことを遠藤からの手紙で知り、狂喜したという。
1945年(昭和20年)3月10 - 11日の東京大空襲では、本館中央部から南翼、孔雀の間、演芸場などに多くの焼夷弾が落ち、焼失は総床面積の四割強に及ぶ大きな被害を受けた。終戦ともに帝国ホテルはGHQに接収され、そこで大規模な修復工事が行われ、復旧した。
占領が終わって日本を訪れる外国人が再び増え始めたことに伴い、1954年(昭和29年)にはライトの本館の裏手(現在インペリアル・タワーが建っている敷地)に客室数170の第一新館が完成、1958年(昭和33年)にはその横に地上10階、地下5階、客室数450の第二新館が完成した。これを受けて、1964年(昭和39年)にはライトの本館を取り壊し、その跡地に新たに鉄筋コンクリート造、地上17階、地下3階、客室数772の新本館を建設することが発表された。
震災にも空襲にも耐えたこのホテルの存続を訴える大規模な反対運動が起ったが、本館は地盤沈下などの影響で柱が傾き雨漏りがするといった老朽化の問題もさることながら、都心の一等地を占有する巨大な建造物の客室数がわずか270室では話にならなかった。
ライトの新館は1967年(昭和42年)に閉鎖され、翌年春頃までに取り壊された。跡地に建設された近代的外観の新本館は、1970年(昭和45年)の日本万国博覧会開会に合せて、同年に竣工した。
「ライト設計の帝国ホテル本館」は、「ライト館」と呼ばれるようになった。ライト館の玄関部分は博物館明治村(愛知県犬山市)に十数年の歳月をかけて移築再建され、今日でも在りし日の面影を偲ぶことができる。また、東武ワールドスクウェア(栃木県日光市)では縮尺25分の1のミニチュアで在りし日のライト館全景を再現している。2005年(平成17年)4月、新本館14階の「インペリアルフロア」に新設された「フランク・ロイド・ライト・スイート」は、ライト館のさまざまな箇所に施された独特なマヤ調の意匠やライト独自のスタイルでまとめられた内装や調度品を忠実に再現したものとなっている。
そもそも帝国ホテルは外国の賓客をもてなすために設立されたホテルだったので[16]、経営陣は真っ先に長期間の船旅で溜め込んだ衣類の洗濯を思いつき、その部門の強化を図ってきた。当初は2つの外注業者に委託していたが[17]、1910年(明治43年)に帝国ホテルが初めて館内に洗濯する施設を設置し、ホテルで使用する寝具関係や宿泊客の衣類を洗濯する独自の「洗濯部」を設けた[17][18]。
現在は白洋舍が従業員の制服を含めホテル内で使用される物全ての洗濯を受け持っている。
帝国ホテルのクリーニングサービスには定評がある。「ホテル内でついた汚れは確実に落とす」方針で、クリーニング部門ではホテル内で使われる食材の詳細を全て把握している[18]。そして「最初からとれていたボタンまでつける[18]」、「状況によっては服のボタンを外してからクリーニングする」というのも伝説的なサービス。クリーニングの工程で、紛失・損傷・変質の可能性があるボタンについては、あらかじめ取りはずしておく。客の好みに合わせた柔軟剤を使用し、アイロンがけが終わった後にボタンを縫い付け直す。紛失したボタンに極力似た物を付けるため世界中のボタンを保管している。これに感激したキアヌ・リーブスが映画『JM』の中で「シャツをクリーニングに出したい、できれば東京の帝国ホテルのやつを」というセリフをアドリブで入れたこともあった。
宿泊客が飛行機でやってくるようになって道中で洗濯物を溜め込むことが無くなった今でも、帝国ホテルに泊まることが決まった客がわざわざ1か月以上前から洗濯物を溜め込んでホテルに持ち込むこともあるという[18]。
なお、帝国ホテルが行うクリーニングは宿泊客限定のサービスであり、部外者によるクリーニングサービスのみの使用は不可である。
ブッフェスタイルの食事は、日本では帝国ホテルが初めて取り入れた。
1957年(昭和32年)、当時の支配人犬丸徹三が北欧で体験した料理、スモーガスボードがそのヒント。犬丸は内容的に「これはいける」と確信、当時パリのリッツ・ホテルで研修中で後に帝国ホテル第11代総料理長となる村上信夫に料理内容の研究を指示した。一方その名称が非常に言いにくく馴染みが無いものだったため、新名称を社内公募した。その結果「北欧と言えばバイキング」という発想と、当時帝国ホテル脇の日比谷映画で上映されていた『バイキング』(1958)という映画の中の豪快な食事シーンが印象的だったことから、これを「バイキング」と名付けることに決定[19]、「バイキングレストラン」を1958年(昭和33年)にオープンした。このレストランは大変好評を博しバイキングはブッフェレストランの代名詞となった。新本館17階に、「インペリアルバイキング サール」の名で現存する。
セキュリティや快適さを見込んで長期宿泊をする芸能人や文化人も多い。女優の山田五十鈴は、京都の自宅を引き払って帝国ホテルに20年以上住んでいたほか[20]、作詞家の岩谷時子は、自宅こそ維持していたものの車椅子生活になってもなお帝国ホテルに住み続けた[21]。
2021年からは、1泊あたり3万円の部屋を月額料金36万円で提供する「サービスアパートメント事業」を開始。[22] 本館・タワー館の建替事業に伴い、2024年6月末をもって一旦終了。[23]
株式会社帝国ホテルエンタープライズは、株式会社帝国ホテル100%出資の子会社[27]で、以下のホテルや施設を運営している[28]。
帝国ホテルが2007年に三井不動産傘下に入ったことに伴い、元々三井不動産傘下だったアメリカ・ハワイ州のハレクラニ系列が帝国ホテルグループと提携している。
ザ・クレストホテルの第一号店。複合施設内のテナントとして運営。運営受託契約満了後、契約は更新されず帝国ホテル側は運営から離れ、ホテルは閉鎖された。2020年からベッセルホテルの経営する「ベッセルイン京成津田沼駅前」。
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