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村上 信夫(むらかみ のぶお、1921年5月27日 - 2005年8月2日)は、日本のフランス料理シェフ。元帝国ホテル顧問。愛称は「ムッシュ村上」。日本でフランス料理を広めた功労者。帝国ホテルの料理長を26年間務め、『きょうの料理』の名物講師として家庭へプロの味を広めた。バイキング方式での食べ放題型料理提供を考案した人物として知られている。
1921年、淡路島(兵庫県洲本市)の網元の息子で、東京で萬歳亭という食堂を営んでいた父・延太郎と、埼玉県春日部の農家の娘だった母・いよ[1]の長男として、東京市神田区松枝町(現・千代田区神田岩本町)に生まれる。小学校5年生の時、両親が死去[2][3]。1933年、第三日暮里小学校卒業後、浅草ブラジルコーヒーにコックとして入店[3]。その後、銀座つばめグリル、新橋第一ホテル、糖業会館レストラン・リッツなどで働く[3]。1939年、帝国ホテルに見習いとして入社[4]。
1942年、大日本帝国陸軍に入隊。1945年、中国で終戦を迎え、シベリア抑留を経て[3]帰国する。シベリアでアイスクリームとリンゴ料理を作り、傷病兵に生きる勇気を与えた経験から「コックを天命の職として決意」したという[3]。
1947年、帝国ホテルに復職。1955年、在ベルギー日本大使館へ出向。1957年、パリのホテル・リッツで研修を受け、翌年帰国。帰国後、帝国ホテルメインダイニング料理長。1958年、村上は新たなレストランのオープンにあたり、北欧の伝統料理「スモーガスボード」を研究して、日本初のブフェ形式レストラン「インペリアルバイキング」の開店を主導する[5][6]。これが日本の「バイキング」のさきがけとなった[5]。
1960年、NHK「きょうの料理」レギュラー講師[4]、1964年、東京オリンピック女子選手村食堂『富士食堂』料理長を務める[4]。1969年、再度パリのホテル・リッツへ渡り、帰国後、第11代帝国ホテル料理長に就任[6]。1970年、同ホテル取締役料理長。1982年、同ホテル常務取締役料理長。1984年、黄綬褒章受章[6]。1985年、「現代の名工」に選ばれる[6]。1990年、同ホテル専務取締役料理長。1994年ホテル専務取締役総料理長。同年、勲四等瑞宝章受章[6]。1996年、同ホテル料理顧問。1999年、松戸市民栄誉賞受賞[7]。2000年、フランス農事功労章シュヴァリエを受章[6]。
軍隊関連
オリンピック関連
料理関連
趣味
なお、元NHK所属のフリーアナウンサーの村上信夫とは同姓同名の別人である。かつてNHKニュースおはよう日本で同姓同名同士によるインタビューが放送されたことがある。
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