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1928-2013, 推理作家、評論家。 ウィキペディアから
(さの よう、1928年〈昭和3年〉5月22日 - 2013年〈平成25年〉4月27日)は、日本の推理作家、評論家。本名は丸山一郎。
東京市大森(現・東京都大田区大森)出身。東京中学卒業[1][注 1]。
旧制一高に首席合格、東京大学文学部心理学科卒業。大学時代、日野啓三、大岡信らと同人誌『二十代』、『現代文学』を作る[3]。彼ら文学仲間には「推理小説好き」であることはかくしていた[3]。
1953年、読売新聞社に入社。当初兼業作家だったため、ペンネームは「社の用」にかけて付けた。1959年に新聞社を退社。最も好きな推理作家として英国のアンドリュー・ガーヴの名を挙げている。黒岩重吾に「血や汗を流していない小説」と批判され、「むしろ賛辞と受け止めたい」と返したほど知的遊戯としてのミステリを貫いているが、一方で「同一の主人公のシリーズばかり書くと、作品のパターンが繰返しになり、マンネリズムに陥る」などの理由からシリーズ探偵には否定的な立場を取り、エキセントリックな犯罪、大掛かりなトリック、大邸宅大家族などのゴシックロマン的な背景も排除するなど、ほどのよいリアリズム、中庸さが持ち味でもある。雑誌発表短編を直接文庫本にまとめるケースも多い。短編を1200編以上書き、その多くが文庫化されたが、消費税導入で価格の改定が起きた際に、その多くが再版を止められた。出版社にしてみれば、カバー部分の書き換えを行うよりも、新しい作家のものを出したほうがいいと判断したのだろう、と佐野は回想している[注 2]。
論客であると同時に作家同士の交友には積極的なタイプで(上記の黒岩とも私生活上は親しい友人であった)、1960年[4]に多岐川恭、河野典生、星新一、水上勉、結城昌治、樹下太郎らとともに若手作家の親睦団体「他殺クラブ」を結成、のち笹沢左保、大藪春彦、都筑道夫、生島治郎、戸川昌子、新章文子、三好徹、高橋泰邦、佐賀潜、梶山季之らも加えて70年ごろまで活動した。
1973年より「小説推理」誌に「推理日記」を連載。ベテランの実作者による推理小説時評として、さまざまな反響や議論も呼びつつ執筆は39年に及んだ。2012年7月号(5月発売)掲載分をもって連載終了とすることが8月下旬にいたって発表された(8月26日読売新聞電子版)。
実弟の丸山昇は中国文学者で東京大学名誉教授。兄弟ともに日本共産党の支持者として知られる。
「九条の会」傘下の「マスコミ九条の会」呼びかけ人を務めていた[5]。
西田敏行、山田洋次、黒柳徹子らと共に「平和のための戦争展」(日本中国友好協会主催)の呼びかけ人を務めていた[6][7]。
2013年4月27日、肺炎のため川崎市の病院で死去[8]。84歳没。
次女の夫は放送作家の柊達雄(ひいらぎ たつお、1948年 - )。
また1973年から6年間にわたり日本推理作家協会第8代理事長を務めた。阿部達児は、佐野を協会中興の祖と評し、同じく中興の祖と呼ばれる江戸幕府8代将軍徳川吉宗とかけて「8代様」と呼ばれた、と語っている。
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