新章文子
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人物・来歴
京都府生まれ[1]。本名・中島光子[3]。京都府立第一高等女学校卒業[1]。1939年、宝塚音楽舞踊学校(現・宝塚音楽学校)に入学して、1941年に「京千鈴」の芸名で宝塚歌劇団に入団して初舞台を踏む。宝塚歌劇団29期生。同期生に淡島千景、久慈あさみ、南悠子らがいる。
1944年に宝塚歌劇団を退団して京都市役所に勤務する。1948年、本名名義で童話集『子りすちゃんとあかいてぶくろ』を刊行する。1959年『危険な関係』で第5回江戸川乱歩賞を受賞し、第42回直木三十五賞候補に挙がる。なお同作は初めて直木賞候補となった江戸川乱歩賞受賞作である。以後作家生活に入り、一時は占いの本などを出した。 老衰のため93歳で死去。
著書
中島光子名義
- こりすちゃんとあかいてぶくろ 中島光子 著,藤井千秋 絵 大翠書院 1948
- 面白童話 : おもしろくてためになる 一二年生 中島光子 著 聖光社 1951
- フォスター : 民衆の音楽家 中島光子 著,古賀亜十夫 絵 ポプラ社 1953 (偉人伝文庫)
新章文子名義
脚注
関連項目
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