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松本清張の小説、メディアミックス作品 ウィキペディアから
『迷走地図』(めいそうちず)は、松本清張の長編小説。『朝日新聞』に連載され(1982年2月8日 - 1983年5月5日付、連載中の挿絵は濱野彰親)、1983年8月に新潮社から単行本が刊行された。議員秘書など主に裏方の視点から、永田町に棲む人々の生態を描き話題を呼んだ、ポリティカル・フィクション。
1983年に松竹で映画化、1992年にテレビドラマ化されている。
国会議員から雇われ運転手、院内紙記者に至るまで、多種多様な人種が、利権・利得を求めてうごめく永田町界隈。
与党・政憲党内では、最大派閥の領袖で現総裁の桂重信から、第2派閥である寺西派の領袖・寺西正毅への政権禅譲が噂されていた。党内の政策集団「革新クラブ」のホープと目され、女性ファンも多い二世議員の川村正明は、パーティー中の演説で、「老害よ、即刻に去れ」と政権のたらい回しを痛烈に批判する。しかしスピーチの台本は、川村の私設秘書・鍋屋健三が、政治家の代作屋として知られる土井信行に注文して作らせたものであった。女性問題の発覚を切り抜けた川村は、パーティーに顔を見せた高級クラブのママ・織部佐登子に目をつけ、フランス製の高級ハンドバッグを餌に攻略を狙う。
しかし、知られざる使命を帯びていた佐登子は、南青山にある寺西正毅の邸宅で、寺西夫人・文子と秘書・外浦卓郎の介在する中、川村の贈ったハンドバッグを使い、大金を受領していた。その後、外浦は寺西の秘書を辞し、大学の後輩である土井に貸金庫のキーを託し、南米・チリへ去ったが……。
金庫に隠された物の正体は何か?事件の背後にある政界関係者の思惑は?
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1983年10月22日公開。製作は松竹・霧プロダクション、配給は松竹。監督の野村芳太郎により「FOCUSやFRIDAYのような野次馬的視点から描く」姿勢のもと制作された[7]。原作では人物関係の全貌はかなり後になってから徐々に明かされていくのに対し、本映画では早い段階で全体像を明らかにする構成が取られている。
与党内の大派閥の一つを牛耳る寺西は、文子夫人と秘書・外浦に支えられて、現首相の桂から政権を譲り受けようというところである。ところが、桂が引き続き次政権を担当する意思を見せたため、桂派と寺西派の争いが党内で日ごと激しさを増していき、そして……。
ほか
1992年3月30日、TBS系列の『月曜ドラマスペシャル』枠(21:00-23:24)で放送。松本清張生前に制作・放映された最後のテレビドラマ作品。俳優・若山富三郎にとっても本作が遺作となった。
1991年は、清張の作家活動40年にあたっていた。その記念すべき年に、4月から翌1992年3月まで一本ずつ民放4局(NTV、TBS、フジ、テレビ朝日)が、清張作品を制作・放送することになった[11]。原則的には、清張の作品発表順が放送順ということになり、TBSの市川哲夫プロデューサーは、『迷走地図』を選択したので結局シリーズ最後の大トリにラインアップされた[11]。
野村芳太郎監督は何本も清張作品を監督したが、この『迷走地図』は語られることが少ない[12]。清張はこの映画を気に入らず、この作品に限っては、清張の原作と野村の映画の「方向性」が、全く噛みあわなかったといわれ、以後、清張と野村の関係は疎遠となった[12]。このため、テレビドラマ化にあたっては、市川プロデューサーは清張の意向を受け入れ、作家本人が納得する作品を仕上げた。
森本毅郎扮する外浦秘書が謎の自動車事故死するシーンでは、ロスアンゼルスロケも敢行されたが[13]、期末の他局の特番攻勢に挟撃され、視聴率は15.6%に留まった[14]。放送終了後、間もなく清張は倒れ緊急入院。脳出血が認められ、入院は長期化し、8月4日深夜、生涯を閉じた[14]。
ほか
TBS系列 月曜ドラマスペシャル | ||
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前番組 | 番組名 | 次番組 |
松本清張作家活動40年記念
迷走地図 (1992.3.30) |
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