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日本の映画作品 ウィキペディアから
『突入せよ!あさま山荘事件』(とつにゅうせよ!あさまさんそうじけん)は、2002年5月11日に公開された日本映画。監督・脚本は原田眞人。主演は役所広司。
長野県軽井沢町で、1972年2月19日から2月28日までの10日間に渡って起きた、連合赤軍・あさま山荘事件を映画化した作品である。原作は当時指揮幕僚団として派遣された佐々淳行の『連合赤軍「あさま山荘」事件』(文藝春秋刊)。
当初のタイトルは『救出』だったが、配給した東映・岡田茂会長(当時)の"鶴の一声"で『突入せよ!あさま山荘事件』に変更された[2][3]。
物語は1972年2月19日、雪で覆われた長野県軽井沢町地区から始まる。
長野県警察は、すでに山岳アジトの発見により大規模な山狩りから逃れて逃走中の、過激派組織一味である連合赤軍メンバーを追っていた。しかし、逃走中の過激派一味はこの時点で二日前に県外の銃砲店襲撃で入手した数丁のライフル銃と散弾銃および、2.800発余りの大量の実弾のほか、手製のパイプ爆弾などで武装していた。
そんな中で、冬場は比較的無人になりやすい別荘が点在する人里離れた地区を、捜索のためにパトカー1台で警ら中だった県警の機動隊五人が、道路際の積雪上に複数人の真新しい足跡を見つける。さらに、足跡が『さつき山荘』という無人の民間施設敷地内へと続いていることから、パトカーに連絡員として木戸隊員を残し、有事に備えて全員の拳銃に実弾を装てんして四人で偵察に向かう。しかし、さつき山荘の建屋外周りで声を掛けながら拳銃を斜め上に向けての警戒捜索中に突然、建物の物陰からライフルを発砲しながら飛び出してきた過激派一味の急襲を受けて、これに応戦した機動隊員との間で銃撃戦となる。この激しい発砲音を聞き、パトカーに残っていた木戸隊員が腰を抜かしながらも必死に状況を伝えた緊急無線により、過激派一味が軽井沢町周辺に潜伏していたことが露呈する。その後、機動隊員の追っ手から逃れた過激派一味は、逃走中に偶然見つけたあさま山荘に侵入し、一人だけで留守番をしていた管理人夫婦の妻を人質に立て籠もってしまった。この時、主人はたまたま宿泊予定者を車で迎えるために外出していて難を逃れ、また結果的には過激派一味が車を使っての逃走も阻止された。
そのころ、警察庁内で英国のSASから爆発物処理の研修を終え帰国した警察庁警備局付の佐々淳行警視正は、後藤田正晴警察庁長官から呼び出される。後藤田は長野県警の野間本部長は過激派鎮圧警備に不慣れであるため「ちょっと行って指揮してこいや」と言う。しかし佐々の年次では県警本部長の代理ができないため、警備局外事調査担当参事官の丸山昂警視監を団長とする指揮幕僚団を編成し、長野へ向かわせることを決定する。犯人逮捕にあたり後藤田は、"人質の無事救出を最高事項とする"、"殉教者としないためにも過激派メンバー全員の生け捕り"、"銃器使用は警察庁の判断"などの方針を託し、指揮幕僚団を送り出す。
軽井沢に到着した佐々たちだが、現地対策本部となっていた軽井沢警察署内に設けられた合同の作戦会議では、自立心と縄張意識が異常に強い長野県警幹部の面々との対立に巻き込まれる事となった。さらに連日の会議の中で、既に現地入りしていた警視庁第九機動隊が、行動の要となる警視庁専用の警察無線設置を佐々が提案した。これに対して長野県警側が、当初警察庁への事件発生報告で「長野の人員だけで事足りるから、ライフルと警察犬だけを貸してくれ」といっていた手前、警察庁のお偉ら方や警視庁機動隊員多数が直接乗り込んできたことで、面子を潰されたことへの強い不満を持っていたために「こっちの県内系無線で事足りる」と、あっさり拒否した。佐々は現場の調和を重視し、しかたなく結果的には数日後に警視庁第二機動隊の応援が入るまでの間は、長野県警の広域通常用無線(県内系と呼ばれる県下全域を共用している無線)を使用した。しかし、山荘警備とはまったく関係のない通常の県内各地での交信も受信するために、これらとの激しい混信により指揮系統が麻痺する不備などでさらなる長野県警との対立や、果ては県警との連体警備不足により無断で山荘入り口へ侵入した人質身代わり希望の民間人が、過激派一味により銃撃された挙句に病院で死亡し、結果的には初の死者を出してしまうなど、苦境に立たされる。
このような大混乱した状況下と、銃弾が飛びかう雪深い極寒の過酷な現場でカップヌードルをすすりながら警備に従事する機動隊員達の映像を、連日連夜に渡り現場から逐一放送されつづけたテレビの前で、日本中が釘付けとなって見守っていた。そんな中で、対策本部が置かれた軽井沢警察署には日々殺到する苦情電話に翻弄された挙句に、逆切れで叫びながら対応する女性電話交換手の人知れずに裏方としての奮闘などがあった。さらには、署内の記者会見場で毎日必ず定時で数回開かれる記者会見をめぐり、たとえ発表ネタがなくとも「えー、3時(15時)現在進展はありません。以上!」っと言い切る発表側の佐々と、些細な進展でも待ちわびるベテラン記者たちとの間に起こっている無言の鍔迫り合い、挙句には19人目の人質の身代わり志願者が決意の証だとして『切断した小指を持参』した件への対応などを交えつつ、あさま山荘事件が当初の基本方針通りに「人質の無事保護および、犯人全員の生捕り」として、無事に解決することができるのだろうか。
そんな思いの中、後世に語り継がれることとなるあの"秘密兵器【鉄玉クレーン】"まで登場して、佐々たち警察組織と過激派連合赤軍との間で繰り広げられた、10日間もの熾烈な長い闘いが始まった。
2001年11月14日、東映東京撮影所で製作発表会見[4]。プロデューサーの原正人より、「こんな素晴らしいシナリオは久しぶり」と絶賛、脚本の兼ねる監督の原田眞人は「群像ドラマとして最高の社会派エンターテイメントができると確信している」と話した[5]。
製作発表会見に先立つ2001年11月10日から同撮影所でクランクイン[5]。あさま山荘内部のセットが作られた同所で、クライマックスの突入シーンの撮影などが11月中に行われた[5]。
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