石川県立工業高等学校
石川県金沢市にある県立高校 ウィキペディアから
石川県金沢市にある県立高校 ウィキペディアから
石川県立工業高等学校(いしかわけんりつ こうぎょうこうとうがっこう、英: Ishikawa Prefectural Technical High School)は、石川県金沢市本多町にある公立の工業高等学校。工芸・デザイン教育を施した制度としての教育機関として日本で最も歴史のある工業高等学校である[1]。通称は「県工(けんこう)」。
石川県立工業高等学校 | |
---|---|
北緯36度33分21.4秒 東経136度39分46.5秒 | |
過去の名称 |
金沢区工業学校 石川県工業学校 石川県立工業学校 石川県立金沢工芸高等学校 石川県立工芸高等学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 石川県 |
学区 | 全県一学区 |
校訓 |
敬愛協和を尚ばう 創意工夫を凝さう 矜持責任を有たう |
設立年月日 | 1887年 |
創立者 | 納富介次郎 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 |
機械システム科 電気科 電子情報科 材料化学科 工芸科 テキスタイル工学科 デザイン科 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | D117220100069 |
高校コード | 17119A |
所在地 | 〒920-0964 |
石川県金沢市本多町二丁目3番6号 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
よく、「石川工業高校」と表記されるが間違いである。金沢市立工業高等学校と共に、校名表記が無い珍しい学校である[注 1]。
納富介次郎によって、1887年(明治20年)に金沢区工業学校が兼六園内に設立される。1902年(明治35年)に現在の場所に移転。幾度かの改称を重ね、1958年(昭和33年)に現在の名前になる。
納富によって後に設立された香川県立高松工芸高等学校、佐賀県立有田工業高等学校、富山県立高岡工芸高等学校とは姉妹校である。
敬愛協和を尚ばう 創意工夫を凝さう 矜持責任を有たう
全日制
例年、機械システム科、電気科、電子情報科、材料化学科は男子の比率が高く、工芸科、テキスタイル工学科、デザイン科は女子の比率が高い。
部活動が盛んで、北信越大会出場や全国大会出場をする部活動が多い。中でも男子バレーボール部は全国大会連続出場中である。
アスリートクラブは、部・同好会がなく、少人数や個人でも高体連に属する大会に出場するために作られたクラブ(水泳、自転車競技、アーチェリー、体操、ボート、スキーなど)。
作詞:坂井敬、作曲:大西安世(明治44年5月)、改作曲:今井松雄(昭和32年7月)
〒920-0964 石川県金沢市本多町二丁目3番6号
最初は兼六園の中に高校が作られた。このため、校歌には「正面に金沢城がある」という意味の歌詞が、本多町移転後も残っている。
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.