知恩院
京都市東山区にある仏教寺院 ウィキペディアから
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知恩院(ちおんいん)は、京都市東山区林下町にある浄土宗の総本山の寺院。山号は華頂山(かちょうざん)。本尊は法然上人像(御影堂)および阿弥陀如来像(阿弥陀堂)。開山は法然である。正式呼称は華頂山知恩教院大谷寺(かちょうざん ちおんきょういん おおたにでら)[2]。
知恩院 | |
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本堂(御影堂、国宝) | |
所在地 | 京都府京都市東山区新橋通大和大路東入三丁目林下町400 |
位置 | 北緯35度0分18.75秒 東経135度47分0.25秒 |
山号 | 華頂山(かちょうざん) |
院号 |
知恩教院 知恩院 |
宗派 | 浄土宗 |
寺格 | 総本山 |
本尊 |
法然上人像(御影堂) 阿弥陀如来(阿弥陀堂) |
創建年 | 承安5年(1175年) |
開山 | 法然 |
正式名 | 華頂山知恩教院大谷寺 |
別称 |
ちよいんさん 智恩院[1] 吉水御坊 吉水草庵 大谷禅房 |
札所等 |
法然上人二十五霊場第25番 洛陽天満宮二十五社順拝第15番(梅宿菴天満宮) |
文化財 |
本堂、三門、阿弥陀二十五菩薩来迎図ほか(国宝) 大方丈、木造阿弥陀如来立像、木造善導大師立像ほか(重要文化財) |
公式サイト | 浄土宗総本山 知恩院 |
法人番号 | 1130005000279 |
浄土宗の宗祖・法然が後半生を過ごし、没したゆかりの地に建てられた寺院で、現在のような大規模な伽藍が建立されたのは江戸時代以降である。徳川将軍家から庶民まで広く信仰を集め、今も京都の人々からは親しみを込めて「ちよいんさん」「ちおいんさん」と呼ばれている。
知恩院は、浄土宗の宗祖・法然房源空(法然)が東山吉水(よしみず)、現在の知恩院勢至堂付近に営んだ草庵をその起源とする。法然は平安時代末期の長承2年(1133年)、美作国(現・岡山県)に生まれた。13歳で比叡山に上り、15歳で僧・源光のもとで得度(出家)する。18歳で比叡山でも奥深い山中にある西塔黒谷の叡空に師事し、源光と叡空の名前の1字ずつを取って法然房源空と改名した。法然は唐時代の高僧・善導の著作『観経疏』を読んで「専修念仏」の思想に開眼し、浄土宗の開宗を決意して比叡山を下りた。承安5年(1175年)、43歳の時であった。法然は東山の吉水に吉水草庵(吉水中房。現・知恩院御影堂、もしくは現・安養寺)を建てると、そこに入った。
「専修念仏」とは、いかなる者も、一心に阿弥陀仏(阿弥陀如来)の名を唱えれば極楽往生できるとする思想である。この思想はいわゆる旧仏教側から激しく糾弾され、攻撃の的となった。
法然は建永2年(1207年)の承元の法難で讃岐国(現・香川県)に流罪となったが、4年後の建暦元年(1211年)には許されて都に戻る。その際、吉水草庵に入ろうとしたが荒れ果てていたため、近くにある大谷禅房(現・知恩院勢至堂)に入っている。しかし、翌建暦2年(1212年)1月25日に80歳で没した。
この吉水での法然の布教活動は、流罪となった晩年の数年間を除き、浄土宗を開宗する43歳から生涯を閉じた80歳までの長きにわたり、浄土宗の中心地となった。そのため法然の死後、大谷禅房の隣に法然の廟が造られ弟子が守っていたが、嘉禄3年(1227年)、延暦寺の衆徒によって破壊されてしまった(嘉禄の法難)。しかし、文暦元年(1234年)に法然の弟子である紫野門徒の勢観房源智が再興し、四条天皇から「華頂山知恩教院大谷寺」の寺号を下賜されるなどすると[3]、次第に紫野門徒の拠点となっていった。
建治2年(1276年)、鎮西義の弁長の弟子良忠が鎌倉からやってくると、間もなくして紫野門徒の百万遍知恩寺3世信慧は東山の赤築地(あかつじ)において良忠と談義を行った。そこで両流を校合してみたところ、相違するところが全くなく符合したので、以後源智の門流は別流を立てずに、鎮西義に合流することとなった(「赤築地の談」)。
これにより、紫野門徒の拠点であった知恩院と百万遍知恩寺は鎮西義の京都での有力な拠点となった。
永享3年(1431年)に火災にあって焼失するが、間もなくして再興されている。
応仁元年(1467年)に始まった応仁の乱の際には、知恩院22世周誉珠琳が近江国伊香立(現・大津市伊香立)の金蓮寺に避難し、法然御影や仏像、宝物類を付近にあった庵に避難させ、この庵を改めて新知恩院とした[4]。そして、文明10年(1478年)に知恩院を再興するが、永正14年(1517年)に焼失する。
大永3年(1523年)、知恩院25世超誉存牛(ちょうよぞんぎゅう)と百万遍知恩寺25世慶秀との間で本寺争いとなったが知恩院が勝利し、鎮西義で第一の座次となり本山となった。享禄3年(1530年)に勢至堂が再興され、後奈良天皇より宸翰と「知恩教院」「大谷寺」の勅額を賜っている。
また、戦国時代には縁誉称念による専修念仏集団一心院流(捨世派)が成立して鎮西義から分派し、天文17年(1548年)に法然上人御廟の向かいに一心院を建立している。
天正3年(1575年)、正親町天皇より浄土宗本寺としての承認を受け、諸国の浄土宗僧侶への香衣付与・剥奪の権限を与えられた(「毀破綸旨」)。
天正13年(1585年)には豊臣秀吉より寺領190石が寄進されている。
現存の三門、御影堂(本堂)をはじめとする壮大な伽藍が建設されるのは江戸時代に入ってからのことである。浄土宗徒であった徳川家康は慶長8年(1603年)に知恩院を永代菩提所と定めて寺領703石余を寄進したうえ、翌慶長9年(1604年)からは、北に隣接する青蓮院の地を割いて知恩院の寺地を拡大し、諸堂の造営を行っている。造営は江戸幕府2代将軍徳川秀忠に引き継がれ、現存の三門は元和7年(1621年)に建設された。寛永10年(1633年)の火災で、三門、経蔵、勢至堂を残しほぼ全焼するが、3代将軍徳川家光のもとでただちに再建が進められ、寛永18年(1641年)までにほぼ完成している。
徳川家が知恩院の造営に力を入れたのは、徳川家が浄土宗徒であることや知恩院25世超誉存牛が松平氏第5代松平長親の弟であること、二条城とともに京都における徳川家の拠点とすること、徳川家の威勢を誇示し、京都御所を見下ろし朝廷を牽制することといった、政治的な背景もあったといわれている。江戸時代の代々の門主は皇族から任命されたが、さらにその皇子は徳川将軍家の猶子となった。
宝永7年(1710年)、それまで勢至堂の前にあった阿弥陀堂を現在地に移している。また、霊元上皇より宸翰と「華頂山」の勅額を賜っている。
1947年(昭和22年)、知恩院は法然上人御廟を中心とする「一宗一元運動」を提唱すると、12月8日、知恩院は自らを本山とする本派浄土宗(後に浄土宗本派に改称)を結成し、浄土宗から分派する。1950年(昭和25年)には法然上人御廟の向かいにある一心院が浄土宗捨世派を結成して浄土宗から分派した。しかし、1961年(昭和36年)の法然上人750年忌を機に、翌1962年(昭和37年)に知恩院と浄土宗本派は浄土宗に合流し、知恩院が再び浄土宗の総本山となった。
2011年(平成23年)に御影堂の半解体をともなう大修理を発願し、8年計画で屋根瓦の全面葺き替えをはじめ腐朽、破損箇所の取り替えと補修、軒下の修正、耐震診断調査に基づく構造補強などを行い、2019年(令和元年)にひとまず竣工し、内装などの復元を行って2020年(令和2年)4月13日に落慶法要が行われた[5]。一度外されて補修された屋根が2016年(平成28年)に再び御影堂に載せられた。なお、解体中は月に1回、無料で修理現場が公開され、屋根が戻された直後も修理現場が一般公開された[6][7]。新型コロナウイルスの影響により落慶法要は大幅に縮小された。
知恩院の境内は、三門や塔頭寺院のある下段、御影堂(本堂)など中心伽藍のある中段、勢至堂、法然廟などのある上段の3つに分かれている。このうち、上段が開創当初の寺域であり、中段、下段の大伽藍は江戸時代になって江戸幕府の全面的な援助で新たに造営されたものである。
以上のうち、菩薩処胎経以下の3件は、幕末から明治にかけて門主を務めた養鸕徹定(1814年 - 1891年)の収集品である。国宝指定物件のうち、絵画、書跡は京都国立博物館および奈良国立博物館に寄託されている。
典拠:2000年までの指定物件については『国宝・重要文化財大全 別巻』(所有者別総合目録・名称総索引・統計資料)(毎日新聞社、2000)による。
境内は無料で拝観できる。ただし、方丈庭園と友禅苑はそれぞれ庭園拝観料が必要である。また、臨時で三門の楼上および大方丈(時には小方丈も)の建物内が有料で一般公開されることがある。本堂(御影堂)・阿弥陀堂・集會堂・勢至堂・御廟の内部および本堂(御影堂)・阿弥陀堂と集會堂を結ぶ渡り廊下に無料で入場できる。
〒605-8686 京都府京都市東山区 新橋通 大和大路 東入ㇽ 三丁目 林下町(りんかちょう)400
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