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1955-, 作曲家、編曲家、指揮者、音楽プロデューサー。 ウィキペディアから
渡辺 俊幸(わたなべ としゆき、1955年〈昭和30年〉2月3日 - )は、日本の作曲家、編曲家、指揮者、音楽プロデューサー。日本音楽著作権協会(JASRAC)理事[2]。洗足学園音楽大学(音楽・音響デザインコース)客員教授。祖父は渡邊工業社長・名古屋螺子製作所(現:メイラ株式会社)創業者の渡辺俊雄、父は同じく作曲家の渡辺宙明[3]、息子はナレーターと声優の渡辺眞伍、娘は芸術家アイドルのマコ・プリンシパル。
愛知県名古屋市生まれ。青山学院高等部在学中に、矢野顕子らと共にジャズバンドを結成するが[4][3]、矢野の中退と共に解散[注釈 1]。青山学院大学入学と同時に赤い鳥にドラマーとして参加し[3]、大学生ながらプロ活動を始める。当時の芸名は渡辺としゆき。赤い鳥解散後は、短期間、グループ「ハミングバード」を結成し活動した[3]。その後、フォーク・デュオ、グレープのサポート・ミュージシャンを経て、ソロ・デビューしたさだまさし専属の音楽プロデューサー及び編曲家として活動[3]。
1979年(昭和54年)アメリカに留学し、バークリー音楽大学にてクラシックおよびジャズの現代的な作・編曲技法を修業し、また、ボストン音楽院にて指揮法を学ぶ[3]。さらに、ロスアンジェルスに赴き、作・編曲家アルバート・ハリス[注釈 2]の下でハリウッド・スタイルの管弦楽法と映画のための作曲技法を学ぶ[3]。
帰国後は、引き続きさだまさし専属のミュージカル・プロデューサー及びアレンジャーを務める一方で、作曲家として数多くの映画、テレビドラマ、アニメーションなどの音楽を担当している。
2003年(平成15年)8月オーケストラ・アンサンブル金沢のポップス・ディレクターに就任したことを機に、ポップス・オーケストラの指揮活動も積極的に行っている。
未来の音楽家の育成にも力を注いでおり、洗足学園音楽大学教授として、映画音楽やポップスなどの商業音楽に特化した作曲、編曲のための技法を学ぶためのカリキュラムを構築している[3]。2010年より音楽音響デザインコースの統括責任者・教授に就任した。2020年3月には同大学教授を定年退職、客員教授に就任している。
2011年平原綾香「おひさま〜大切なあなたへ」(NHK連続テレビ小説「おひさま」主題歌)にて第53回日本レコード大賞編曲賞を受賞している[5]。
2022年10月、さだの所属事務所さだ企画の関連会社「株式会社まさし」と所属契約を結んだ[6]。
中学生時代にラジオ番組『ミッドナイト東海』の楽曲募集に応募し、1位を獲得したことがある[3]。
高校生時代は、上京して父と二人で暮らしていたが、当時はドラムに熱中していたため父の仕事には無関心であったという[3]。しかし、カーペンターズの楽曲に惹かれ音楽理論に興味を持ち、父に相談しヤマハの作曲・編曲教室へ通うようになった[3]。
さだとは赤い鳥時代にグレープが同じ事務所であったことから親しくなった[3]。グレープ解散時にはさだからバンドに誘われたが、渡辺はさだが一人でやるほうがいいと進言し、ソロ活動するさだのプロデューサーとなった[3]。
映画音楽に興味を持ったきっかけは、さだのアルバムレコーディングで渡米した際に映画『未知との遭遇』を観たことであった[4][3]。英語がわからなかったこともあり、ジョン・ウィリアムズによる音楽が特に印象に残ったと述懐している[4]。そこから日米での音楽教育の違いを感じ、アメリカ留学に至ったという[4][3][注釈 3]。留学先で話題になっていた日本人指揮者の小澤征爾の演奏を聴いて衝撃を受け、フルオーケストラの作曲を目指すようになる[3]。
テレビアニメ『銀河漂流バイファム』は、音楽を担当していたワーナー・パイオニアのディレクターが父と繋がりがあったことから抜擢された[3]。特撮テレビドラマ『救急戦隊ゴーゴーファイブ』では、親子二代でスーパー戦隊シリーズを担当することとなった[3]。
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