- 学生時代は演芸系サークルの「奇術愛好会」に所属[5]。勉学に励んでいたが、大学時代に麻雀などの遊びを覚え、その中で知り合った人々にマスコミ志望が多かったことから影響を受け、さらに就職活動を開始した時期に映画会社の定期採用が再開し、東映へ入社した[1]。東映を選んだ理由として、プロデューサーを職種採用していたことを挙げている[1]。スターウォーズのようなSFがやりたいとのことだった[5]。
- 日笠と仕事を共にする脚本家やテレビ局のプロデューサーの証言によると、シリーズ構成のイニシアティブを一人で握ることはなく、作品の方向性を多くのスタッフとともに練り上げるタイプのクリエーターとの評がある。テレビ朝日のシュレック・ヘドウィックプロデューサーによると、同じ東映の塚田英明より日笠との打ち合わせのほうが長時間に亘ることが多いとコメントしている。脚本家の荒川稔久は、日笠について脚本家のやりたいことに対し的確な助言をくれるタイプと評している[6]。
- 初めてプロデューサーを務めた『星雲仮面マシンマン』では、原作者の石ノ森章太郎に怪人のデザインを描いてもらうことが一番の大仕事であったという[1]。吉川進の証言によるとプロデュース以外にも、『マシンマン』のエンディングテーマ「俺の名前はマシンマン」の作詞を八手三郎名義で担当している。
- 『轟轟戦隊ボウケンジャー』の第28話では脚本の都合上ロボやメカが大量に登場するため、サブプロデューサーの宇都宮孝明は物語が煩雑になる可能性を懸念した。この回の担当監督は竹本昇だったが、結果的にはその問題点が解消された纏まった出来であったという。完成作品の試写を見終わった後、共に見ていた日笠が宇都宮に「竹本監督だからこういう風に撮れるんだよ」と耳打ちしたという[要出典]。
- かつて雑誌のインタビュー[要文献特定詳細情報]にて「いずれ『秘密戦隊ゴレンジャー』から最新の戦隊まで全ての戦隊ヒーローが揃った映画を作りたい」と構想を語ったことがある。しかし、このテーマについては日笠の上司である鈴木武幸(東映専務取締役)が「今の子供たちは『チェンジマン』とか知らないだろうし、作ったってヒットするかどうか分からないから…」とやや否定的なニュアンスで語っていた。しかし、この日笠の構想は後に『海賊戦隊ゴーカイジャー』第1話および『ゴーカイジャー ゴセイジャー スーパー戦隊199ヒーロー大決戦』に結実することとなる。このことに関して本人は「あれも僕も直前まで実現できるとは思ってなかった(笑)やっぱり『仮面ライダーディケイド』の成功があったから、実現できたんだと思います」とコメントしている[4]。
- プロデューサーとしての参加ではないが、『超忍者隊イナズマ!SPARK』でカメオ出演している。
- 『ゴーオンジャー』終了後、ホームページに「プロデューサー生活25年、初めて監督陣に自分より年上の人間がいない状況を経験した」と語り、「『ゴーオンジャー』がたとえ自分の関わった戦隊の最後になったとしても悔いの残らない出来になった」と完全燃焼した思いを吐露した。また「優秀な若者も育っているし、いつまでもジジイがプロデューサーをやるのは良くないんじゃないか」、「戦隊に関わるのは『ゴーオンジャー』で最後かも」とも語っていた[要文献特定詳細情報]。2010年『天装戦隊ゴセイジャー』にてプロデュースを担当しているが、中盤のepic32で降板。これについて日笠は、当初は自身にプロデューサーのオファーがあったが、『ゴーオンジャー』で最後だと思っていたこともあり若い人を起用すべきだと進言し、若松に決定権を委ね日笠がそれをフォローするという体制であったことを証言している[7]。
- 競馬好き。必殺技は「万馬剣」の競馬戦隊をやることが夢とのこと[5]。
- 新規番組枠であった『星雲仮面マシンマン』を初担当したことに始まり、各シリーズでも節目に立ち会うことが多かったことを述べている[1]。
オリジナルビデオ
前項に属する作品のビデオ化タイトルは除く。