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1924-2004, 作曲家、指揮者。 ウィキペディアから
斎藤 高順(さいとう たかのぶ、英: Takanobu Saito、1924年12月8日 - 2004年4月11日)は、東京府(現・東京都)生まれの作曲家、指揮者、幹部自衛官。自由作曲家協会会員であり日本吹奏楽指導者協会理事・日本国民音楽振興財団理事も務めた。長男はチェロ奏者の斎藤章一、長女はバイオリニストの内藤景子、長女の夫はホルン奏者の内藤貴司、孫は俳優の内藤光佑[1]。
1924年、東京・深川の酒屋の次男として生まれる[2]。1942年に日本大学第一中学校(旧制、現・日本大学第一高等学校)を卒業。1943年に東京音楽学校(旧制、現・東京芸術大学)に入学[3]し、1947年に卒業[4]。1949年に同校の研究科を修了[4]。東京音楽学校在籍中の1944年10月に陸軍戸山学校に入校し、戸山学校卒業後は終戦まで同校で部隊歌や吹奏楽曲の作曲に従事[4][5]。戦後は、映画音楽を中心に作曲家として主に小津安二郎作品の音楽を手がけた。
行進曲『ブルーインパルス』(もともとはFM東京の番組「フレッシュ・モーニング」のテーマ曲として使われていたもの)を作曲したことをきっかけに航空自衛隊に招聘され、1972年7月から1976年3月まで航空自衛隊のセントラルバンドである航空音楽隊(後の航空中央音楽隊)の隊長を務めた。自衛隊を1等空佐で退官後には警視庁音楽隊長を11年間務めた[6]。
小津が没後あらためて内外で再評価されるとともに音楽への注目も高まっており、現代の代表的なバッハ弾きであるセドリック・ペシャによれば、斎藤の音楽には「ゴールドベルク変奏曲」に通じる抽象性と瞑想性があるという[9]。
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