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日本の元俳優・スーツアクター ウィキペディアから
1950年(昭和25年)、東宝に入社した。ソロモン海戦の生き残りということで「ソロモン」というあだ名がつけられた[出典 3]。クレージーキャッツ映画の常連でもある。
『キングコング対ゴジラ』(1962年)でキングコング役を演じた[出典 4]。ラストシーンでキングコングとゴジラが共に海に見立てた大プールに落ちるシーンでは、落下の勢いで中島春雄がゴジラに入ったまま溺死しかけたのを、キングコングに入っていた広瀬がとっさにすくい上げて九死に一生を得た、というエピソードを持つ[要出典]。
広瀬はこの『キングコング対ゴジラ』以前から怪獣役に興味を持ち、「何かあったらやらせてくれ」と熱心に特撮班に働きかけていた[8]。中代文雄によれば、特技監督の円谷英二が「今度のコング役は誰がいいかな」と言うので、普段の立ち居振る舞いから「彼(広瀬)なんてどうですか」と答えたところ、円谷も「あれはピッタリだな」と納得したという。ところが、実際に着ぐるみを着ての演技になると、動きが猿そのものになってしまい(広瀬自身、動物園で猿の動きを研究したという)、「普段通りにやってくれ」との指示が出たという[10]。
1971年、東宝の大部屋が廃止になり、所属俳優は全てリストラされたが、広瀬は撮影所のステージマンとして残り、1990年代まで元気な姿を見せていたという[出典 5]。
しかし、同年代半ばごろに椎間板ヘルニアを患い東京都大田区大森南の東京労災病院に入院[1]。数年後、入所先の老人ホームで間も無く死去したとされるが、詳細な没年月日については不詳である[1]。
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