Loading AI tools
ウィキペディアから
岸田 繁(きしだ しげる、1976年4月27日 - )は、日本のミュージシャン。ロックバンド・くるりのボーカリスト兼ギタリスト。元京都精華大学特任准教授。既婚。
岸田 繁 | |
---|---|
生誕 | 1976年4月27日(48歳) |
出身地 | 日本 京都府京都市北区 |
学歴 | 立命館大学産業社会学部卒 |
ジャンル | |
職業 | |
担当楽器 | |
活動期間 | 1996年 - |
レーベル | SPEEDSTAR RECORDS |
事務所 | NOISE McCARTNEY |
共同作業者 | |
著名使用楽器 | |
1976年、京都府京都市北区に生まれる。岸田家は代々仏具製作業だったが、養子だった曽祖父が東山区本町でパン屋を始めて成功し、大地主となった一族[1]。広告代理店勤務の父親の昭夫がクラシック好きであったため、幼少の頃からクラシックなどに親しんでいた。小学校時代は走るのは速かったが、球技などが苦手で目立たない子供だったと語っている。身長が低いことにもコンプレックスをもっていたとのこと。音楽面では京都市交響楽団の公演を父親とともに見に行くこともあったという。小学校6年生のとき、通っていた学習塾でいじめに遭いそれがきっかけで私立中学の受験を決意する。地元では、女の子には好かれていたという。
立命館中学校時代からロックなどにも興味を持ち始める。ビートルズやボブ・マーリー、ヤードバーズなどの古典ロックやレゲエやソウルに親しむ一方、ラジオで掛かっていたヒット曲やクラブ・ミュージックにも傾倒していたという。特に音楽教育を受けることのなかった岸田だが、この頃ガットギターの練習を始め、学校の音楽教師に勧められた古典和声の勉強を始めた。また、レッド・ツェッペリンなどをコピーしながらギターを修得していったという。
高校2年生の頃から同級生と洋楽ロックのコピーバンドを結成しギタリストとして参加する一方、4トラックのMTRで自宅録音に熱中し、作曲やギターの腕を磨いていったという。高校3年生の時に佐藤征史と出会い、ロックバンドを結成しオリジナル曲をレパートリーにしていったという。
1995年、立命館大学産業社会学部に入学。同時に大学の音楽サークルである「ロックコミューン」に入部する。そこで森信行や大村達身と出会い、紆余曲折を経て佐藤、森とともにバンド活動を開始する。1996年9月、アマチュアバンドコンテストに出演するためバンド名を「くるり」と命名し正式に結成。優勝し活動を本格化させる。
1997年7月、第1回フジロックフェスティバルを観覧。台風が直撃し色々とひどい目にあったが、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンやフー・ファイターズの演奏を観て刺激を受けたメンバーは、その直後のレコーディングでバンドとしての転機を迎えることになる。インディー・レーベルのディレクターを介して知り合ったシュガーフィールズの原朋信の自宅でのレコーディングだが、レコーディング時に原からアンアーバー (Anarbor) の曲を聴かされ、感銘を受けて後の代表曲である『東京』を作り上げ、11月にBad News Recordsよりインディーズ1stミニアルバム『もしもし』、2ndミニアルバム『ファンデリア』を矢継ぎ早にリリースする一方、ライブを中心に話題を集め、1998年10月に佐久間正英の手により再録された『東京』をリリースしメジャーデビューした。1999年4月、メジャー1stアルバムである『さよならストレンジャー』をリリース。以後、くるりのボーカリスト、ソングライター、ギタリストとして現在も活動している。
2004年から京都大学の学生だったドラマー、川本真太郎とともに京都出身バンドを中心とした音楽イベント、みやこ音楽祭を開催。毎年くるりとして出演している以外に、2005年には堀江博久とともに「Theかまどうま/エレクトリック・カマドウマ」名義でも出演している。
2011年公開の映画『まほろ駅前多田便利軒』で音楽を担当し、同映画のサウンドトラックで初めてソロ名義の作品を発表した(主題歌「キャメル」と「まほろ駅前多田便利軒」はくるり名義)。作品は東欧風のブラス・アレンジや弦楽四重奏など、ジャズやクラシック音楽への接近が散見出来るもので、近年の岸田の作風を感じさせるものとなっている。
2007年のウィーンでのレコーディングなどを契機にクラシック音楽への興味が深まった岸田は、日本国内のロック・ミュージシャンとしては異例のオーケストラ作品を書きおろす。2016年には京都市交響楽団の委嘱で「交響曲第1番」を作曲、広上淳一の指揮で初演された。他にも、2017年末、指揮者の佐渡裕による一万人の第九に書き下ろした『ほんの小さな出来事のためのファンファーレ』や、TOYOTAの企業広告向けに書き下ろした『管弦楽のためのシチリア風舞曲』など、数多くの管弦楽作品を手掛けるようになった。2018年12月には新たに制作した二作目となる交響曲「交響曲第2番」を初演予定。
管弦楽作品、映画劇伴以外のソロ作品としては、JR東日本とのタイアップ・シングルで、山下達郎を想起させるアカペラ・クワイヤー曲『そばを食べれば』や、中川敬のカヴァー曲『潮の道』などがある。
2015年には奥田民生、伊藤大地とともにロックバンド、サンフジンズを結成し、アルバム制作、全国ツアーも行なった。
2016年、京都精華大学ポピュラーカルチャー学部客員教授に就任。2017年からは拠点を京都に戻し、2018年からは同大学の特任准教授に就任している。
この節には百科事典にふさわしくない内容が含まれている可能性があります。 |
自他共に認める筋金入りの鉄道ファンであり[2][3]、自身の楽曲の詞の中に鉄道を登場させたり鉄道をモチーフにした楽曲も多数ある。鉄道雑誌『レイルマガジン』にもコラムを連載していた時期があった[要出典]。テレビ朝日系『タモリ倶楽部』のタモリ電車クラブゴールド会員[4][5]。同番組では、車両の床に耳をつけ、モーター音を聴くなどしている[6](中でも「モーターの中の冷却ファン音が堪らない」とのこと)。くるりの「赤い電車」は、2005年に京浜急行電鉄からの依頼で作成された。(当時の京浜急行電鉄の社長小谷昌がくるりメンバーと同じ京都府出身という縁から)
熱烈な広島東洋カープファンで[7][8]、2006年[いつ?]に始球式やゲスト解説、2018年には日本シリーズ試合前の国歌独唱も行なった。
少年時代は視力が良く、本人曰く数キロ先のバス停の文字も余裕で見えるほどであったが、テレビゲームに熱中するうちに悪くなっていった。学生時代はコンタクトレンズを愛用していたが、煮沸消毒を怠り数日間嵌めっぱなしで過ごした結果、雑菌が繁殖して目が白く濁り痛みを伴うようになったため、渋々眼鏡をかける事になった。しかしそれからバンドが良い感じになったため、以降眼鏡キャラを通している[要出典]。
本人曰く便器マニアでもあり、流れる音を聞いただけで型番がわかる[要出典]。
音楽的嗜好は幅広い。特にザ・フーやビートルズなどの60年代のUKロックやブルー・アイド・ソウル、ジャズやクラシック、ワールドミュージックに至るまで様々な要素を自身の作曲に取り入れている。フジファブリックの志村正彦は「岸田さんはブラジルの音楽を沢山知っているから、音楽談義・話が通じる」と日記で語っている。
子供がおり、「ドンじゅらりん」のジャケットは息子が書いている[9]。
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.