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ミスフィッツ(The Misfits)は、アメリカ合衆国出身のハードコアパンク・バンド。
アンダーグラウンドの域を出なかったが、スラッシュメタル時代の「メタリカ」メンバーらが見出し評価されたグループの一つ。ボーカリスト グレン・ダンジグを輩出したことでも知られる。
女優マリリン・モンローの遺作である映画『The Misfits』(邦題:荒馬と女)に由来[3]。グレン・ダンジグが、モンローの死を取り巻く噂に非常に興味を持っていた。
結成初期はグレン・ダンジグ(vo、piano)、ジェリー・オンリー(b)、マニー(ds)というギターレスの3人編成だったが、1978年には新ドラマーとギタリストを迎えて4人編成となり、1979年には彼等のシンボルとなる骸骨マーク「Crimson Ghost」や、髪の毛を真ん中に垂らしたトレードマーク“Devilock”が登場し、アイデンティティが確立された。その後、数度のメンバー・チェンジを経て、1980年に当時15歳だったジェリーの弟であるドイル(g)が加入、グレン、ジェリー、ドイルという黄金ラインナップが完成する。
1982年に記念すべき1stフル・アルバム「WALK AMOUNG US」、1983年に2nd「EARTH A.D./WOLFS BLOOD」を発表、しかしこの頃にはバンド間の不協和音が最高潮に達し、同年秋のハロウィン・ライヴを最後に解散した。
しかしその後、メタリカやガンズ・アンド・ローゼズ等がカヴァーを行い、解散後のミスフィッツは再評価されていった。グレンはそんな中、自己のプロジェクト「ダンジグ」の作品で高セールスを記録する。
一方ジェリー&ドイルはミスフィッツの再興を目指そうとした中、MISFITSの名称権をグレンが個人で所有していた件が発覚。ここで両サイドが対立し、約10年間の裁判沙汰の末ジェリー&ドイルが勝訴。1995年に新ドラマーと新ヴォーカリストを迎えて再結成を果たし、1997年に3rdアルバム『American Psycho』を発売、翌年初来日も果たした。
その後ロードランナーに移籍、1999年8月7日には富士急ハイランドで行われたマリリン・マンソンのフェスティヴァル“ビューティフル・モンスターズ・ツアー”に参加した。しかし2001年をもってドイルが脱退し、ジェリー主導の体制に移る。
脱退後のドイルはグレンと和解し、2004年頃からダンジグのライブに客演するなど旧交を温めていた。そして2016年、ジェリーとも和解を果たしたグレンが33年ぶりに正式メンバーとして復帰し、離脱していたドイルも復帰した[4]。
※2020年6月時点
活動初期
正式メンバー確定後
スタジオアルバム
ライブアルバム
コンピレーション
スプリットアルバム BALZAC & MISFITS: Don't Open 'Til Doomsday (2002年)
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