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音楽のジャンル ウィキペディアから
スラッシュメタル (Thrash Metal) は、音楽のジャンルの一つ。従来のヘヴィメタルにハードコアの過激さを加えた音楽形態を指す。Thrash とは「鞭打つ」という意味である。スピードメタルとの定義の境界線は曖昧である。
このジャンルは、NWOBHMなどのヘヴィメタルと、ハードコア・パンクの融合ともいえる音楽性を持っている。凶暴で粗野な印象が強調され、スピード感を重視した楽曲が多い。特に1980年代初頭には、メタリカの「Fight Fire With Fire」(『Ride the Lightning』収録曲)や、スレイヤーの「Chemical Warfare」(EP「Haunting the Chapel」収録曲)が、メタルでは最速の楽曲として話題に上ることもあった。[1]
それまでのHR/HMといえば、バンドの花形はリードギタリストであり、ソロの速弾きこそ最大の見せ場であった。対して、スラッシュメタルは速弾きこそあれど、楽曲の中心はリフであり、高速なもの、複雑なもの等、様々なギターリフを創造した。速さのみを追求していたわけではなく、スピード感を際立たせるため、1曲の中、あるいはアルバムを通して緩急をつけるなどの工夫もされていた。メタリカのようにアコースティック・ギターを入れたり、バラード調の楽曲を入れるバンドも存在する。ヴォーカルに関しては、音程をあまり重視しない、叫び声やハードコア風のがなり声のようなスタイルが多い。一方で、ハイトーンで歌うヴォーカリストもいる。曲と同様に歌詞の進行もめまぐるしく、英語が母語のリスナーでも聴き取れないほど速いこともある。
ドラムも、いわゆる「スラッシュビート」(BPM200以上でバスドラムを16分で打ったり、バスドラムとスネアを高速の8分で交互に叩いたり等)が特徴。スレイヤーのデイブ・ロンバードやアンスラックス、SODのチャーリー・ベナンテ、ダーク・エンジェルやテスタメント、デスのジーン・ホグラン等がいる。
スラッシュメタルは、NWOBHMをより攻撃的に発展させたものだといわれている。また、ヘヴィメタルに止まらず、ディスチャージなどのハードコア・パンク・バンド、キリング・ジョークなどのポスト・パンク・バンドの影響も大きかったといわれている。
スラッシュメタルの誕生に関しては諸説あるが、メタリカが「Hit The Lights」をコンピレーションアルバム『Metal Massacre』(1981年)に提供したのを始まりとする意見が多い。しかし、この頃のメタリカは過激なNWOBHMの域を出ておらず、ヴォーカルスタイルもダイアモンド・ヘッドのシンガー、シーン・ハリスを多分に意識した歌唱法であった。
メタリカの誕生とほぼ同時期に、ニューヨークではアンスラックス、ロサンゼルスではスレイヤーが活動開始し、アンダーグラウンドシーンでメタル・ファンの人気を獲得していった。メタリカを解雇されたギタリストのデイヴ・ムステインは、ロサンゼルスでメガデスを結成した。
また、1980年代初頭のサンフランシスコ・ベイエリアには、メタリカのギタリストのカーク・ハメットがメタリカ加入前に結成したエクソダスや、レガシー(後のテスタメント)といった、スラッシュメタル黎明期を支えたバンドが多くいた。これらのバンドは「ベイエリア・クランチ」といわれる、ギターサウンドを特徴としていた。LAメタルが興隆を誇っていたロサンゼルスでは、ショーアップされたヘヴィ・メタルが盛んであったが、サンフランシスコ・ベイエリアでは、より無駄な装飾を廃した過激な音楽の人気が出始めていた。後にメタリカも拠点をサンフランシスコに移し、人気を確立していった。
アメリカに先んじてメタリカの人気に火がついたドイツでは、よりヴェノムの影響を色濃く感じさせるソドム (Sodom)、クリーター(Kreator)、デストラクション (Destruction) らのスラッシュメタルが登場した。1985年に、アンスラックス等のメンバーらによって結成された、サイドプロジェクトS.O.D.によって、「スラッシュメタルとハードコア・パンクの融合」が起こった。その結果、それまで互いに相容れなかった、メタルとハードコア、及び両ジャンルのファンの交流が盛んになる。
1980年代半ばになると、その過激な歌詞や、攻撃的な音楽性からスラッシュメタルを避けてきたメジャーレーベルもメタリカをはじめ、アンスラックス、スレイヤー、メガデスといったバンドと契約するようになった。これらのバンドのアルバムは、アンダーグラウンドに留まらず、ビルボード誌のアルバム・チャートにランク・インするようになった。
その後、複数のバンドがメジャーレーベルと契約するようになり、L.A.メタルと入れ替わるようにスラッシュメタルムーブメントが興った。しかし、ムーブメントの副産物として似たようなバンドが数多く出現し、スラッシュメタルの粗製濫造ともいえる状態に陥った。また、メジャーレーベルと契約したスラッシュメタルバンドの多くは、聴く人を選ぶ、過激であったはずの音楽性を、より多くの人にアピールする方向に変化させていった。1980年末から1990年初頭頃、攻撃性を信条としてきたスラッシュメタルは、が音楽的には行き詰まり始め、前述のハードコア・パンク以外にも様々な音楽との融合を試みるバンドが現れ始める。その代表には、ヒップホップ・グループのパブリック・エナミーとコラボレーションしたアンスラックスが挙げられる。こうした試みは後に興るニューメタル・ムーブメントに影響を及ぼした。
1990年代に入った頃にはニルヴァーナ、サウンド・ガーデン、ダイナソーJrなどのグランジムーブメントが興り、またパンテラやヘルメットのようなスラッシュメタル等から発展したポスト・スラッシュなども登場したことで、スラッシュメタルの人気は徐々に下降していった。
特に決定的な出来事として、常にスラッシュメタルシーンを牽引してきたメタリカが1991年に発表した『Metallica』(通称ブラック・アルバム)が大ヒットした事が挙げられる。これを受け、多くのスラッシュメタルバンドがスピードや攻撃性よりも、重さやグルーブ感を重視するようになり、従来のファンを失うことになった。ただし、ムーブメントが衰退した後も人気を維持したスレイヤーや、音楽性がスラッシュメタルから大きく離れた後も人気を保ち続けた、メタリカやメガデスのような例もある。
その後、スラッシュメタルの攻撃的な側面は、より過激なデスメタルや、グラインドコアといった音楽に引き継がれていった。また、フォビドゥン、ヴァイオレンスのギタリストだったロブ・フリンはマシーン・ヘッドを結成し、ポスト・スラッシュ・バンドとして人気を獲得した。
2000年代に入ってからは、スレイヤー、ソドム (Sodom)、デストラクション (Destruction)、エクソダス、テスタメント (Testament)、デス・エンジェル (Death Angel)、オーヴァーキル(Overkill) などのバンドが活動を続け、アルバムのリリースを続けている。また、ForbiddenやToxikなどのように解散した往年のスラッシュメタルバンドが再結成を発表したり、Municipal WasteやGama Bomb、Violatorなど新たに現れた若手のスラッシュメタルバンドが、80年代スラッシュメタルのサウンドを再現してリバイバル・スラッシュと呼ばれるなどの現象も見られた。
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