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日本の漫才師 (1949-) ウィキペディアから
ビートきよし(1949年12月31日 - )は、日本の漫才師、お笑い芸人、コメディアン、俳優。本名、兼子 二郎(かねこ にろう)。旧芸名は松鶴家二郎、空きよし、兼子きよし、ビートキヨシ。
ビートきよし | |
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本名 |
兼子 二郎 (かねこ にろう) |
ニックネーム | きよしさん |
生年月日 | 1949年12月31日(74歳) |
出身地 | 日本 山形県最上郡最上町 |
血液型 | B型 |
身長 | 170 cm |
言語 | 日本語 |
方言 | 山形弁 |
師匠 |
深見千三郎 松鶴家千とせ コロムビア・ライト 松鶴家千代若・千代菊 |
出身 | 東京宝映養成所 |
コンビ名 | 初代・松鶴家二郎次郎二代目・松鶴家二郎次郎→空たかしきよし→ツービート |
相方 | ビートたけし |
芸風 | 漫才 |
立ち位置 | 右 |
事務所 | ライト企画→フリー→吉川事務所 → 太田プロダクション → フリー → ダテ企画 → オフィス北野 → キャストパワー(業務提携)→BKプロダクション |
活動時期 | 1970年 - |
過去の代表番組 |
THE MANZAI オレたちひょうきん族 笑ってる場合ですよ! ビートたけしのつくり方 他 |
他の活動 | 俳優、自営業 |
配偶者 | 既婚 |
弟子 | 河野かずお、ビトタケシ |
漫才ブーム(MANZAIブーム)全盛時から現在まで活動を続ける人気漫才コンビ「ツービート」のツッコミ役であり、たけしの毒舌に対するツッコミの「よしなさい!」は流行語になり、今も世間で使われている。神奈川県横浜市在住。
ボケ役である相方のビートたけし(北野 武)のことは親しみを込めて相棒と呼ぶ。かつてはダテ企画の所属だったが、2014年4月から相方の所属のオフィス北野所属となった[1]。しかし相方の独立に伴い、2018年3月をもってオフィス北野から離れることになった。現在はBKプロダクション(個人事務所)キャストパワーと業務提携している。
山形県最上郡最上町出身。弟に尺八奏者の米谷智がいる。高校卒業後上京し、東京宝映の養成所を経て浅草のストリップ劇場「ロック座」の幕間芸人となり、深見千三郎に師事する。その後ロック座の経営が移ったため、同じ浅草のフランス座に深見と共に移籍した。
その後、たけしがエレベーターボーイとしてフランス座に入り、深見に入門したことで後輩の幕間芸人となる。しばらくしてきよしはフランス座を辞めて松鶴家千とせから松鶴家次郎・二郎の名前を貰い(二郎がきよし)、松鶴家千代若・千代菊一門として大須演芸場でデビュー。相方はレオナルド熊の弟子だったが、事情があり1か月経たずにコンビ解消。しかし、大須には一年間の出演契約があったためにこの舞台を埋めるべく、急遽コント志向で漫才を渋るたけしを誘って漫才コンビを結成。当初は、ネタはきよしが作成していたが、正統派の掛合い漫才できよしのボケが当たらず全く芽が出なかった。この頃、きよしが一時コロムビア・ライトの付き人をして生活をしのいでいたため、その縁で空たかし・きよし(コロムビア・トップ・ライト一門は皆「青空」の家号を名乗るが、片方の弟子なので「空」だけとなった)と名乗り、営業に出たこともあった。なお、仕事は全てきよしが引き受けていた。
演芸場のギャラは安いため、地方キャバレーなども回るようになるが、たけしは酔客相手の仕事を嫌い、出番をすっぽかしたり酒に酔って舞台に上がることが多かった。また、店の悪口を言ったり、客やホステスにケンカを吹っ掛けたりしたので、たびたび舞台から降ろされたため、きよしは場つなぎに使う奇術ネタを用意していたという。この頃コンビ名も「ツービート」となって、ボケとツッコミの役割も入れ替わり、きよしはたけしのボケにツッコミを入れながら、出身地の自虐ネタをするのが売り物になった。
その後、同じ浅草松竹演芸場に出演する芸人達から人気に火がつき、演芸場での人気が上がったのとは裏腹に、その破壊的な芸風は一部の関係者に受け入れられず激しい抑圧を受け、漫才協団から脱退を求める声すら起きたという。ツービートは1976年に、協団が主催するNHK新人漫才コンクールに3年連続で出場したが、最優秀賞を獲得することは出来なかった。
1980年代前半の「MANZAIブーム」の折りには、ツービートは毒舌漫才と毒舌ネタを売り物に、B&Bやザ・ぼんち等と共に一躍知名度を上げた。『笑ってる場合ですよ!』や『オレたちひょうきん族』などの人気お笑い番組に出演し人気を博し、同番組できよしは同じツッコミの役回りである松本竜助、島田洋八とともにうなずきトリオを組んで、大瀧詠一プロデュースによるレコード「うなずきマーチ」(キャニオン・レコード、1982年)を出したこともある。
間もなくブームが終わるとツービートとしての活動は縮小し、相方のたけしが単独で大きな人気を得るようになった。しかし、たけしとは現在もたまに漫才をすることもあり、コンビの解散や漫才師を廃業したわけではない。なお、きよしは太田プロダクションを退社しその後フリーとなったが、その後ダテ企画に所属した。
ブーム後たけしが映画監督など活躍の場を広げる傍ら、きよしも『スーパージョッキー』をはじめとするレギュラー番組を多数持った。さらに、たけしが監督した映画『菊次郎の夏』、『TAKESHIS'』などへの出演もある。
また、さいたま市浦和区にあるFMレッズウェーブにて毎週火曜日午後4時より『きよしのそれそれレッズゴー』のメインパーソナリティーも担当していた。2008年4月から、B&Bの島田洋八と「うなずきコンビ」を結成。LIVE STAND 08 、よしもと浅草花月の舞台に出演。2012年11月に東邦出版より、『相方〜ビートたけしとの幸福』を出版。
2014年4月1日に、相棒のたけしに誘われオフィス北野に移籍したが[1]、2018年3月をもって退社している。2016年4月27日、浅草修行時代や漫才ブームの日々を自身の視点で回想した『もうひとつの浅草キッド』を双葉社より出版した。また、2017年現在『たまたま、きよし。お財布万歳!』(SPEEDチャンネル)や『ひるキュン!』(TOKYO MX)などのレギュラー番組に出演し、その傍ら、細川たかし座公演の舞台に出演し、コンサート司会も行っている。2018年以降、大晦日のももいろ歌合戦(BS日テレ・フジテレビNEXT・ニッポン放送など)に連続出場。
現在個人事務所で芸能の仕事をする傍ら、横浜市中区福富町西通にてカラオケパブ【スター場】を営む。
2021年より、配信サイトPococha(ポコチャ)にて配信開始。2022年7月5日、同じく配信サイトのふわっちで配信開始。初日には26000人以上が訪れた[要出典]。
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