ラケットを使い羽のついたコックを追うスポーツ ウィキペディアから
バドミントン(英: badminton 英語発音: [ˈbædmɪntən])は、ネットを隔てて二つに分けられたコートの両側にプレーヤーが位置し、シャトル(シャトルコック)をラケットを使って打ち合い、得点を競うネット形のスポーツである。誤って「バトミントン」と呼ばれることが多いが、正しくは「バドミントン (badminton)」である。また、打球は最速初速565km/hであり、最速のスポーツとしてギネスブックに認定されている[1]。羽球(うきゅう)と称する場合もある[2][3]。「バドミントン」の名前はイギリスの貴族ボーフォート公爵サマセット家の邸宅バドミントン・ハウスに由来する[4]。
バドミントン | |
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![]() 男子ダブルスのバドミントンの試合 | |
統括団体 | 世界バドミントン連盟 |
通称 | バド |
起源 | 17世紀 |
特徴 | |
身体接触 | 無 |
選手数 | 1人または2人 |
男女混合 | 有 |
カテゴリ | 屋内競技 |
ボール | シャトル(シャトルコック) |
実施状況 | |
オリンピック | 1992年- |
競技には球は使われないが、球技に分類される。また、シャトルコックのことを「球」と呼ぶ。
バドミントンで使用される用具は以下の通りである。特に断りがない限り、競技用のものについて述べる。
「羽(羽根)」または「シャトル」と呼ばれることが多い。シャトルコックという名前は以前鶏(コック)の羽で作られていたころの名残である。現在は試合球、練習球においても鶏の羽根のシャトルはほとんど使われていない。競技規則には、シャトルコックではなく、シャトルと記載されている[6]。
1980年代日本では、中学生の大会等で費用の問題からナイロンシャトルが公式採用されていたが、打球感などが羽毛球と異なり軽いことや、いずれ世界を目指すジュニア選手は、早くから羽毛球に慣れ親しんだ方が育成につながること、また、最近では安価の羽毛球も多く販売されていることから、現在は試合でも練習でもほとんど使われていない。しかし、寒冷地などでは検定より温度が下がるため使用されている。
ただし、前述の鳥インフルエンザ等の影響から、数十年後には水鳥の羽根の安定した供給が望めなくなることが示唆されており、また高価なシャトルの使用が新規プレイヤー獲得の妨げとなっているという意見もあることから、将来的にナイロンなどの人工素材シャトルを公式球として使用することになる可能性がある。
ナイロン製は羽毛球に比べ、減速度合いが低い(飛び過ぎる)傾向があり、羽毛球と比べ若干の放物線の違いがある。誕生から数十年経過しており、長年の製造技術・開発力で羽毛球に類似させることは可能と思われるが、ナイロン製への移行が進んでいないのが現状である。
ヨネックスでは安価で耐久性の高いナイロン製をスマッシュの打ち込みなど消耗しやすい用途に使うなど、特性を活かした練習メニューを公開している[7]。
バドミントンのラケットは、テニスやスカッシュのそれと同じように、フレームにストリング(ガット)を張ったフェースと呼ばれる部分で球を打つ構造となっている。以前はフレーム部分が木製でたいへん重く、木材の歪みを防止するために、使用後は専用の器具で固定しておかなければならなかった。ストリングには動物の内臓など(通常ヒツジの腸、ストリングの別名のガット(英語で内臓の意)の語源でもある)が使われていた。今日では技術の進歩により、以下のようになっている。
オーバーグリップは、大別してポリウレタン製のものとタオル地のものとに大別される。
バドミントン競技は、動きが激しく、また、それにより多くの発汗を伴うため、伸縮性・吸湿性・速乾性・防臭性などが優れた高機能素材のウェアが好まれ、選ばれている。
ウエアの色や柄に制限はない[9]。以前は白地でなければならないなどのルールがあったため、非常に地味でファッション性の乏しいウェアが多かったが、規制が緩和されたことでカラフルなウェアを使用でき、使用している選手も多くいる。ただし、日本国内の公式大会では日本バドミントン協会の検定審査合格品を着用することとされている[9]。
2000年代初頭まではショートパンツは前ファスナーつきのものが多かったが、現在はジャージ形式のものが主流である。
ウエア前面には1行の文字列(チーム名またはスポンサー名のいずれか)と番号の表示(背番号と同一とすること)が認められている[9]。
ウエア背面には3行までの文字列の表示が認められており、プレイヤー名、チーム名、スポンサー名、都道府県名を表示できるが、これらは項目ごとに別の行に表示しなければならず同一行に異なる項目を並べてはならない[9]。背番号(2桁以内)は文字列の中央下に表示しなければならない[9]。
各行の文字列はウエアの前面・背面ともに高さ6~10cm、横30cm以内でなければならない[9]。
ウエアの左右襟、左右袖、前面(計5か所)のいずれか3か所にはスポンサーロゴ、チーム名、プレーヤー名を1個ずつ表示することができる(メーカーロゴはその数に含まれない)[9]。
バドミントンはストップ&ダッシュの連続でフットワークの技術も特殊であるため、ほとんどの場合で専用の屋内用シューズを使用する。特に踵の部分のショック吸収性と、左右の動きで生じるズレやつぶれなどに対する強さに重点を置いているものが多い。特徴として、ほかのスニーカーに見られない「シャンク」という合成樹脂製のパーツがソールに埋め込まれており、一般的な靴で言われる「反り」(かえり)がよくなるように設計されており、ソールを見ただけでそれと分かる。
バドミントンにおいて必要な技術は、ラケットでシャトルを打つ技術(ラケットワーク)と、無駄のない動きで素早く追いつくための技術(フットワーク)である。
優秀な選手としては、素早い反射神経、素早い手と目の連動性、優れた柔軟性、十分な肺活量、強い筋力が必要だ。[10]
諸説あるものの、もっとも有力とされている説は次の通り。もともとはイギリス植民地時代のインドのプーナで1830年代に行われていた、皮の球をラケットでネット越しに打ち合う「プーナ(Poona)」という遊びを、インド帰りのアメリカ人兵士(イギリス人とインド人の混血とも言われる)が1873年に本国に伝えたのが始まりとされる。その兵士は、プーナを紹介するためにシャンパンの栓に鳥の羽根を刺したものを用い、それをテニスラケットで打って見せたという。紹介されたのがイギリスのグロスタシャーにあるボーフォート公爵サマセット家の邸宅バドミントン・ハウスであったため、バドミントンという名称がついた(ただし、1870年代にはかなり進んだバドミントンルールが存在したことなどから、この起源説に対し、疑問を持つ者も少なくない。スポーツの起源というものは往々にして脚色されがちである)。いずれにせよ、現在の国際的流行の下地を作ったのはイギリスである[11]。
イギリスにはバトルドア・アンド・シャトルコックという、シャトルコックに似た球を打ち合う遊びが、プーナ伝来よりも前から伝わっている。その競技の性質や、名前などから、バトルドア・アンド・シャトルコックが次第にバドミントンへと変化していったという説も信憑性が高い。初期のバドミントンはバドミントン・バトルドアと称していることも、この説を裏づける。
1895年ごろのアメリカでは、YMCAからインドに派遣されていたマッコノーイによりミントン(minton)と呼ばれるバドミントンに類似した5人制のスポーツが紹介されていた。ウィリアム・G・モーガンはこれを元にミントネット(Mintonette)というボールを打ち合うスポーツを考案、これはバドミントンやテニスなどのルールを取り入れた球技で、後にバレーボールと命名された。
様々な説があるが、1860年代-1870年代ごろにインドから紹介されたスポーツを元にイギリスで普及した。
その後ルール統一の必要性から、1893年イギリスにバドミントン協会が誕生。プレーする人数や、コートの広さ、マッチまでの得点などが様々だったが、これ以後、ルールの統一が進んでいく。当時のバドミントンは、バックバウンダリーラインから、ネットに向けて狭くなっていく、バスケットボールのフリースローレーンのような形のコートを2つ合わせたような形であった。これは、バドミントン荘がそのような形状であったから、というのが定説である。
1899年にはロンドンで第一回全英オープンが行われ、1921年にカナダ、1930年にデンマーク、オランダ、フランスにバドミントン協会が設立され、そして1934年に世界バドミントン連盟が誕生した。
1972年のミュンヘンオリンピックにて公開競技として行われた後、その次のモントリオールオリンピックから正式競技になるとの観測があったが、中国が脱退するなどして国際バドミントン連盟が分裂する事態が起こり、立ち消えとなったことがある。
オリンピックの方が注目されがちだが、オリンピックや世界選手権よりも上記の全英オープン、国別対抗団体戦のトマス杯、ユーバー杯の方が長い歴史と伝統を誇る。
イギリスから世界に広まった競技であるため旧植民地(イギリス連邦)で普及しており、コモンウェルスゲームズにも含まれている。このほかにもデンマークやオランダ、その旧植民地でも行われており、植民地が多い東南アジアでは人気が高い。特にイギリス領だったマレーシアとオランダ領だったインドネシアでは国技であり、インドネシアはオリンピックで獲得したメダルの半分以上がバドミントンによるものである。日本、中国、韓国など1950年代から競技が本格化した国からもトップ選手が誕生しており、アジアでは人気スポーツとなっている。一方、イギリスを含む欧米ではデンマークとオランダ以外では人気が低迷し選手層が薄く、2016年リオデジャネイロオリンピック開幕時点での女子シングルス世界ランキングの上位25位以内に非アジア国籍の選手は4人(1人は香港出身)という状況であるなど、近年の国際大会ではイギリス、デンマーク、オランダ、スペイン以外はアジア勢が上位を占めている。
日本では1921年、横浜YMCAの体育主事をしていた広田兼敏が名誉主事のアメリカ人スネードから用具一式を寄贈されたことが始まりとされている。広田はその後、在日欧米人よりバドミントンについて学び、1933年に横浜YMCAの体育活動に取り入れ、1937年にはバドミントンクラブを設置したと言われる。
その後、第二次世界大戦のために普及活動は停滞するが、1946年、終戦後早々と各地のYMCAなどのクラブチームはバドミントンを再開した。同年、11月2日、日本バドミントン協会が設立される。1948年、第1回全日本総合バドミントン選手権大会開催、日本体育協会に参加。1949年、第4回国民体育大会の競技種目となり、1950年第一回全日本学生バドミントン選手権開催、1951年第1回全国高等学校体育大会バドミントン競技大会開催、第1回実業団バドミントン選手権開催、1952年国際バドミントン連盟加盟し、急速にバドミントンは普及する。
1954年、男子チームが初の国際大会となる第3回トマス杯大会アジア地区予選に出場した。女子チームは湯木博恵などを中心に1965年-1966年、1968年-1969年、1971年-1972年、1977年-1978年、1980年-1981年に、もっとも権威ある国際大会の一つであるユーバー杯で優勝するという快挙を成し遂げた。また、公開競技として行われた1972年のミュンヘンオリンピックにおいて女子シングルスに出場した中山紀子が金メダル、湯木博恵が銅メダルを獲得。さらに1988年のソウルオリンピックにおいて女子シングルスに出場した北田スミ子、男子ダブルスに出場した松野修二・松浦進二ペアが銅メダルを獲得している。
1992年のバルセロナオリンピックにて正式種目として採用されてからはしばらくメダルを獲得できなかったが、2008年の北京オリンピックで女子ダブルスに出場した末綱聡子・前田美順ペア(スエマエ)がベスト4入りを果たすと、2012年のロンドンオリンピックで同種目に出場した藤井瑞希・垣岩令佳ペア(フジカキ)が銀メダルを獲得。そして、2016年のリオデジャネイロオリンピックで高橋礼華・松友美佐紀ペア(タカマツ)がオリンピックで日本初の金メダルを獲得した。
社会人の大会としてはバドミントンS/Jリーグがある。
1972年のミュンヘンオリンピック、1988年のソウルオリンピックでは、公開競技として行われた。1992年のバルセロナオリンピックより正式競技種目として採用された(混合ダブルスは1996年のアトランタ大会から)。国際バドミントン連盟(IBF)は、オリンピック種目として生き残ることを視野に、2000年から 7点5ゲーム・サイドアウト制の試行を始めた。この得点システムは2002年6月に見直され、元の15点(女子シングルスは11点)3ゲーム・サイドアウト制に戻された。2003年3月に、イングランドの呼びかけで開かれた IBF臨時総会では、9点5ゲーム制、女子種目と混合ダブルスの11点3ゲーム制(いずれもサイドアウト制)などが検討されたが、再び旧ルールに戻る結末を迎えた。2005年は、IBFの提案により、ラリーポイント制について、実験的採用が行われた年となった。2006年5月6日、トマス杯ユーバー杯開催中の日本の東京で開かれた IBF年次総会において、21点ラリーポイント制の得点システムが加盟各国理事に満場一致で支持され、IBFの世界ランキング大会は、これで行われることが正式に決定した。
2006年9月、国際バドミントン連盟は、世界選手権開催中のスペインのマドリードで開かれた臨時総会において、名称を「世界バドミントン連盟(Badminton World Federation)」に変更することを決め、発表した。
屋内競技ではあるがシャトルは非常に軽いため、バレーボールなどでは無視できる空調の弱い風や室温にも影響を受ける。このためプロ選手は競技会場の大きさや吹き出し口からの距離、設定温度による変化を把握するため、事前に入念なチェックを行うようになった[12]。屋内の空気を効率的に調整でき、低コストなバドミントン用のエアドーム(air dome)も発明された。[13]
障害者スポーツ(パラスポーツ)として、バドミントンから派生したパラバドミントンがある。パラバドミントンは、2020年東京パラリンピックからパラリンピックの正式種目に採用されることになった[14]。
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