はっぴいえんど(英語: HAPPY END)は、1970年代前半に活動した日本のロックバンド。細野晴臣、大瀧詠一、松本隆、鈴木茂によって結成された。日本語ロック史の草創期に活動したグループの一つ。
概要 はっぴいえんど, 別名 ...
はっぴいえんど |
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別名 |
ヴァレンタイン・ブルー(旧名) |
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出身地 |
日本・東京都千代田区 |
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ジャンル |
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活動期間 |
- 1969年 (1969) - 1972年 (1972)
- 1973年 (1973)
- 1985年 (1985)
- 2021年 (2021)
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レーベル |
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事務所 |
- マネージメント
- 風都市(1969年 (1969) - 1973年 (1973))
- 音楽出版
- アート音楽出版(1969年 (1969) - 1972年 (1972))
- 新興楽譜出版(1972年 (1972) - 1973年 (1973))
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共同作業者 |
- 小倉栄司(ディレクター)(1969年 (1969) - 1970年 (1970))
- 三浦光紀(ディレクター)(1971年 (1971) - 1973年 (1973))
- 石浦信三(マネージメント)(1971年 (1971) - 1972年 (1972))
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メンバー |
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バンドの作詞担当だった松本隆が、ダブルミーニング等の技法を駆使した歌詞をつくり、大瀧詠一と細野晴臣が曲にのせる事で日本語ロックを構築した。第2回全日本フォークジャンボリー、第3回全日本フォークジャンボリーにも出演した。
松本は後年、ジャックスの楽曲「からっぽの世界」の歌詞に影響を受けたことを公言し「この曲がなければ『はっぴいえんど』はなかったかもしれない」という趣旨の発言をしている[2]。
細野は、メンバーは宮沢賢治に影響を受けており、その世界観がバンドの音楽性にも影響を与えていると述べている[3]。
サウンド面においては、アメリカのバッファロー・スプリングフィールドなどの影響を受けていた[4]。もっとも1960年代末から1970年代初頭には、日本でもすでにハードロックやプログレッシブ・ロックが注目されていたが、1970年の洋楽専門雑誌では特集で彼らが回顧されていた。しかし、ブリティッシュロックが人気だった当時の日本でフォークソングやフォークロックの音楽性を標榜したのは、「日本のロック」を作るためにはアメリカのロックをやらなければならないという考えがあったためで、また細野がアメリカ音楽の影響を強く受けていたこともある。当初、大瀧詠一と細野晴臣は音楽性を重視していたため、ロックに日本語の歌詞を付けるという松本の提案に反対した。
はっぴいえんどが取った方向性やその音楽性は、後に続く日本のロックバンドに大きな影響を与え、乱魔堂、センチメンタル・シティ・ロマンス等の後継者を生んだ。また松本が長らく作詞を担当した松田聖子の曲は大瀧・細野・鈴木が作曲した曲が数多くあり、はっぴいえんどの方向性や音楽性は松田にも受け継がれている。
遠藤賢司、岡林信康、加川良、高田渡、小坂忠らのバックバンドとしても、コンサートやスタジオ録音等を行っている。
バンド初期には、後にムーンライダーズを結成する鈴木慶一がサポート(ギター&コーラス)で参加していた。メンバー入りが検討され、また鈴木自身も加入を希望したが、最終的には見送られた。その後、1973年のラスト・ライブにもはっぴいえんどのサポート(ピアノ)で参加している[5][6][7][8][9][10](なお、このライブに前座で出演した「ムーンライダーズ」は、鈴木が1975年に始動させるムーンライダーズとは同名異バンドであり、この時点で鈴木は参加していない)。また、バンド末期の1972年には、短期間ながらベーシストとして野地義行(元ブルース・クリエイション)が参加していたこともあった[11][12][13]。
代表曲の「風をあつめて」は、2003年のアメリカ映画『ロスト・イン・トランスレーション』と2009年の日本映画『おと・な・り』の他、漫画『うみべの女の子』でそれぞれ取り上げられた。
2013年12月30日、メンバーだった大瀧が自宅で夕食後、リンゴを食べている最中に倒れ、解離性動脈瘤により死去。葬儀には細野、鈴木、松本が参列し、出棺時には3人が棺を担いだ。
2021年11月5日・6日、松本隆作詞活動50周年記念オフィシャル・プロジェクト『風街オデッセイ2021』と冠したコンサートが日本武道館にて開催され、細野、松本、鈴木の3人が36年ぶりに“はっぴいえんど”として出演[14]。「花いちもんめ」「12月の雨の日」「風をあつめて」の3曲を演奏した。
1969年
- 3月、“エイプリル・フール”結成。
- 9月、はっぴいえんどの前身“ヴァレンタイン・ブルー”結成。
- 9月27日、エイプリル・フール、アルバム『APRYL FOOL』発売。
- 10月、エイプリル・フール解散。
- 10月28日、ヴァレンタイン・ブルー、デビュー・ライブとなる“ロックはバリケードをめざす”(全電通ホール)に出演。
1972年
- 5月6日、“第2回春一番コンサート”出演。
- 6月25日、大瀧、ソロ・シングル「空飛ぶくじら/五月雨」発売。
- 7月1日、“ラスト・はっぴいえんどツアー”開始。
- 10月、渡米してロサンゼルスでアルバム『HAPPY END』をレコーディング。
- 11月25日、大瀧、ソロ・アルバム『大瀧詠一』発売。
- 12月31日、はっぴいえんど、正式解散。
2021年
- 11月5日・6日、松本隆作詞活動50周年記念オフィシャルプロジェクトの集大成ともいえるコンサート『風街オデッセイ2021』が日本武道館にて開催。細野、松本、鈴木の3人が36年ぶりに“はっぴいえんど”名義でステージに上がり3曲を演奏[17]。
ライブ・アルバム
- ライブ!! はっぴいえんど(1974年1月15日 (1974-01-15))- Bellwood ⁄ KING LP:OFL-20
- THE HAPPY END(LP:1985年9月5日 CT:1985年11月3日)- CBS/SONY LP:18AH-1933, CT:18KH-11755
- 1985年6月15日 (1985-06-15)国立競技場で行われたイベント“ALL TOGETHER NOW”での再結成ライブを収録。LPは45回転盤。初回特典として7/12はっぴいえんど宣言や6/15再結成ライブの座談会などが収録されている24ページのブックレット「THE HAPPY END パンフレット」を同封。
- はっぴいえんど GREEEATEST LIVE! ON STAGE(1986年7月15日)
- 「ロック叛乱祭」(1970年4月12日)、「第3回全日本フォークジャンボリー」(1971年8月7日)、「加橋かつみコンサート」(1971年4月14日)での演奏を収録。
- はっぴいえんど LIVE ON STAGE(1989年8月25日)
- CDでのみ発売。「第2回全日本フォークジャンボリー」(1970年8月9日)、「ロック・アウト・ロック・コンサート」(1971年8月21日)、「加橋かつみコンサート」(1971年4月14日)、「第3回全日本フォーク・ジャンボリー」(1971年8月7日)での演奏を収録。
ボックス・セット
- はっぴいえんど〜HAPPY END(1993年5月25日)
- レコード各社共同企画の“ソングライター・ルネッサンス”の一環として発売された4枚組ボックス・セット。ライブも含めたオリジナル・アルバム4作とブックレット付き。その内『風街ろまん』『HAPPY END』の2枚は、吉野金次によるオリジナル・マルチトラック・マザー・テープを使用したリミックス盤で、発売当時、物議を醸した。またこのリミックス盤については、その内の数曲が細野のボックス・セット『HOSONO BOX 1969-2000』に収録されたのみで以後、再発売されていない。
- はっぴいえんどBOX(2004年3月31日)
- はっぴいえんどマスターピース(2014年12月26日)
- URCレコードより発売したオリジナル・アルバム『はっぴいえんど』と『風街ろまん』のアナログ・マスターからのダイレクト・カッティングによるアナログ完全復刻盤に加え、メンバー公認でデジタル・リマスタリングしたCDを付属したボックス・セット。94k 24bitのハイレゾ音源を期間中ダウンロードできるダウンロード・カード、当時のレコーディング資料や、野上眞宏所蔵の写真等を掲載した資料集、松本隆作詞ノート・レプリカを併せて収納。
- 岡林信康withはっぴいえんど 7インチBOX(2018年7月25日)
- はっぴいえんどが岡林信康と共にURC時代にリリースしたシングル盤を収納した限定7インチBOXセット。ボーナス・レコードとして、岡林との最後のスタジオ録音となった「私たちの望むものは」を加えた6枚組。
- はっぴいえんど(1983年6月)
- はっぴいえんどに捧ぐ(1993年9月9日、再発:2004年11月3日、再々発:2010年12月15日)
- HAPPY END PARADE〜tribute to はっぴいえんど〜(2002年5月22日)
- はっぴいえんどかばあぼっくす(2002年5月31日)
- 5枚組CDボックス・セット。はっぴいえんどが発表した3枚のスタジオ・アルバムと1枚のライブ・アルバム全曲を、本ボックス発売元のOZ disc所属アーティストを中心に、様々なアーティストがカバー。さらにボックス・セット収録の未発表曲までカバーされている。ライブ・アルバム『ライブ・はっぴいえんど』のカバーについては、1973年9月21日に行われたライブ「CITY - LAST TIME AROUND」を、2002年1月10日に同じ文京シビックホールにて完全再現またはカバーが行なわれた。ライブ・アルバム未収録の「CITY - LAST TIME AROUND」参加アーティストの曲もカバー。それらは『-はっぴいえんどかばあぼっくす外伝-素晴らしき船出かな』に収録され、ボックスには未収録。また、「レア・トラックス」と題されたボーナスCDには、はっぴいえんどが当時ライブで演奏していた曲のカバーが収録されている。Oz discで予約注文および注文を行うと、はっぴいえんどのシングル3枚をカバーしたアナログシングル盤3枚と、ベスト盤『CITY』のカバーを収録したCD-Rが特典として配布された。
- 風街クロニクル 〜another side of happy end〜(2004年11月3日、MHCL-427)
- 解散後に細野・大瀧・鈴木のいずれかが作曲、松本が作詞を手掛けた各メンバーのソロ、他者提供曲、カバーなどを収録した2枚組コンピレーション・アルバム。
- ひっぴいえんど(2009年2月18日、CD+DVD:COZP-354【初回限定盤】、CD:COCP-35382【通常盤】)
- 加藤和彦と坂崎幸之助のユニット「和幸」(かずこう)のセカンド・アルバム。はっぴいえんどのバンド名や曲名、アルバム名をもじった曲を収録。
- CITY COVER BOOK(2010年12月15日)
- ベスト・アルバム『CITY』全収録曲をカバーしたアルバム。
- SKYE(2021年10月27日〈CD〉、11月10日〈LP〉)
- 鈴木茂、小原礼、林立夫、松任谷正隆のバンド「SKYE」がリリースしたアルバム。はっぴいえんどの未発表曲『ちぎれ雲』(作詞:松本隆、作曲:鈴木茂)を初音源化し、収録[18][19]。
注釈
ファースト・アルバム『センチメンタル・シティ・ロマンス』(1975年)では細野がチーフ・オーディエンスとしてクレジットされている。
出典
beatken. “はっぴいえんど(5)”. British Beat Club. 2024年10月8日閲覧。
- 日本語ロック論争
- ニュー・ロック (音楽)
- 佐野史郎 - 俳優。はっぴいえんどの大ファン。ライブを見に行ったり、所有するLPにメンバーからサインを書いて貰う等リアルタイムで接していた。細野と「細野晴臣イエローマジックショー」にて共演を果たす。
- 松田聖子 - はっぴいえんどのメンバー全員から楽曲提供を受けた唯一のアイドルy歌手。
- SonyMusic
- KING RECORDS
- その他