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日本の元俳優 ウィキペディアから
だるま 二郎(だるま じろう、1951年10月6日[1] - )は、日本の元俳優。本名:前川 次郎(まえかわ じろう)[1]。
山陽国策パルプ岩国工場に勤務していたが、歌手を志していた実兄に影響されて1974年に俳優養成所に入り、体型を見た小島三児によって「だるま二郎」と命名される[3]。
1970年代後半から1980年代前半にかけて俳優として活動し、1976年には『秘密戦隊ゴレンジャー』(NET)に、熊野大五郎/キレンジャー役で出演。
2014年のインタビューでは、第67話の台本を受け取りタイトルが「真赤な特攻!! キレンジャー夕陽に死す」となっていたため、そこで降板を知って落ち込んだと語っている[4]。
『ゴレンジャー』を降板後しばらくは他のキャストとも交流があったが、書籍『秘密戦隊ゴレンジャー&ジャッカー電撃隊大全集』(1988年刊行、講談社)の座談会でのペギー松山役の小牧リサの話によると、「ここ数年は年賀状のやり取りもなくなってしまった」とのことである[5]。
『ゴレンジャー』で関根勤と共演した際に「関根さんが普通の人でよかった。メチャクチャにされると思って怖かったんだ」と発言したという。それに対して関根は、「ちょっとショックでしたね。でも大のオトナを気持ち悪いって思わせるのも、ある意味スゴいのかな(笑)」と語っている[6]。
また、アニメ作品『あしたのジョー2』で声の出演(マンモス西〈西寛一〉役)を務めている。
その後、次第に仕事がなくなり芸能界を引退すると、38歳で単身フィリピンへ渡り、柔道五段の経歴を活かして柔道教室を開いた[7]。翌年に17歳年下のフィリピン人女性と結婚後、長男が誕生し、安定した収入を得るために帰国[7]。
しかし仕事が固定できず、ようやく自動車部品会社の契約社員となり配送ドライバーをしていたが、変形性膝関節症を発症[7]。ステンレス製の人工膝関節を埋め込み、仕事も失ってしまう[7]。さらに特発性拡張型心筋症による呼吸困難に見舞われ[8]、のど仏の下の気管軟骨を切開して気道を確保する緊急手術を受け、一命を取り留めたが満足にしゃべることができなくなった[7]。ついには妻が息子を連れて家を出てしまい、2014年時点は愛知県一宮市で一人暮らしをしながら障害者支援施設に勤務している[7]。妻との間に二男あり[2]。
2010年6月13日に開催された『ゴレンジャー』関連のイベントに当初は出席予定だったが、脳梗塞で入院中のために実現しなかった[9]。入院後も、「13日のイベントに出たいのでそれまでには退院したい」と医者に強く懇願していたとのことである。
2013年4月には、イベント「スーパーフェスティバル」のゲストに『超新星フラッシュマン』のレッドフラッシュ・ジン役の垂水藤太と招かれている[10]。
2014年12月5日放送の『爆報! THE フライデー』では上記の暮らしぶりが紹介され、サプライズで愛知県を訪れた『秘密戦隊ゴレンジャー』の新命明役の宮内洋、同・明日香健二役の伊藤幸雄、同・ペギー松山役の小牧リサと、38年ぶりに再会を果たした。同・海城剛役の誠直也は仕事の都合で不参加だったが、だるまへの手紙を書いており、小牧が代読した[7]。
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