酒々井町
千葉県印旛郡の町 ウィキペディアから
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酒々井町(しすいまち)は、千葉県の北部中央に位置し、印旛郡に属する町。
都市雇用圏における成田都市圏に属する。江戸時代には成田山新勝寺や芝山仁王尊の参詣による宿場町・酒々井宿として栄えた。[1]
町名の由来は、親孝行息子の井戸から酒が湧いたという酒の井戸の伝説である[2]。室町時代から戦国時代には、今の佐倉市と酒々井町の境に[3]、千葉氏の本拠地・本佐倉城が存在した。
1960年代(昭和40年頃)から住宅団地が造成されており、酒々井駅(JR東日本)・京成酒々井駅(京成電鉄)周辺には「酒々井町中央台団地」(造成主体・酒々井町)や「東しすい住宅団地」(造成主体・東急建設、昭苑都市開発)などが広がっており、JR成田線の快速列車が酒々井駅に停車し、京成電鉄も京成酒々井駅、宗吾参道駅に特急列車が停車するなど、交通の便が格段に改善されている。また、宗吾参道駅の近くには京成電鉄の車庫が所在する。
2013年(平成25年)4月10日に供用開始された東関東自動車道・酒々井インターチェンジから約1キロメートル地点に酒々井プレミアム・アウトレットが開業。成田国際空港から車で約10分程度と近い位置にあるため、訪日観光客をターゲットにしたサービス展開も行っている。
千葉県北東部に位置し、県庁所在地である千葉市から約20キロメートルの距離である。東京都の都心から40 - 50キロメートル圏内である。都市雇用圏における成田都市圏に含まれており、通勤率は、成田市へ21.0%、佐倉市へ11.3%、東京都特別区部へ11.2%(いずれも平成22年国勢調査)。
伊篠白幡遺跡や上岩橋貝層、かんかんむろ遺跡などから発見された石器などから、約2万4000年前頃から人類が居住していたとされる。
室町時代から戦国時代には千葉氏の本拠地、本佐倉城が存在し、北総地域の政治的中心地であり、また印旛沼の水運を利用した水上交通管制の要衝でもあった。江戸時代に入ると土井利勝の佐倉城築城に伴う本佐倉城廃城により、政治的意義は失われたが、徳川家康が整備をし、成田山詣や芝山仁王尊詣の宿場町として栄えた。また、当時の陸上交通手段である馬を扱う幕府直轄の野馬会所(馬市場)が存在し、水上交通の便も手伝い物資の集散地となった。生産業では農業や酒造業が盛んであった。
近代に入ると、1897年(明治30年)に酒々井駅、1914年(大正3年)に南酒々井駅・1926年(大正15年)に京成酒々井駅、1929年(昭和3年)には宗吾駅(現宗吾参道駅)と、鉄道が相次いで開通・駅が設置された。昭和中期に入ると東京の大都市圏が広がりを見せたこと、小規模な自治体ながら、鉄道インフラストラクチャーが整っていたことなどから、前出の住宅団地の造成が進み、現在では主として千葉・成田方面に対するベッドタウンとなっている。
明治の大合併以降、合併を行っていない数少ない自治体のひとつでもある。県内では他に、鎌ケ谷市や習志野市、富里市、浦安市がある。また、明治の大合併以降で合併を行っていない自治体で当初から町制を施行している町も極めて珍しく、かつてはたくさん存在したが昭和や平成の大合併までにほとんどがほかの町村を編入したり合併によって消滅したため現在酒々井町以外では群馬県の長野原町しか残っていない。そのため、日本一古い町である。[4]
酒々井町町域の変遷表 | |||||
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1868年以前 | 明治元年 - 明治22年 | 明治22年 4月1日 |
明治22年 - 昭和64年 | 平成元年 - 現在 | 現在 |
酒々井町 | 明治19年 酒々井町 |
酒々井町 | 酒々井町 | 酒々井町 | 酒々井町 |
酒々井村 | |||||
本佐倉町 | |||||
本佐倉村 | |||||
馬橋村 | |||||
墨村 | |||||
飯積村 | |||||
尾上村 | |||||
下台村 | |||||
中川村 | |||||
上岩橋村 | |||||
柏木村 | |||||
下岩橋村 | |||||
伊篠村 | |||||
伊篠新田 | |||||
今倉新田 | |||||
篠山新田 |
平成27年国勢調査より前回調査からの人口増減をみると、1.31%減の20,955人であり、増減率は千葉県下54市町村中19位、60行政区域中25位。
酒々井町と全国の年齢別人口分布(2005年) | 酒々井町の年齢・男女別人口分布(2005年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
■紫色 ― 酒々井町
■緑色 ― 日本全国 | ■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
酒々井町(に相当する地域)の人口の推移
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総務省統計局 国勢調査より |
郵便局
住宅団地は酒々井町中央台団地、東しすい住宅団地などがある。
酒々井町の下水道普及率は、90.2%(平成17年度)と県内の町村ではトップの普及率であり、県内市町村では、浦安市(98.8%)、千葉市(95.9%)、八千代市(92.4%)、四街道市(90.4%)に次ぐ5番目の普及率である[7]。
二次医療圏(二次保健医療圏)としては印旛医療圏(管轄区域:印旛地域)である[8]。三次医療圏は千葉県医療圏(管轄区域:千葉県全域)。
「ふれ愛タクシー」という大型タクシーを利用したデマンド型の乗合タクシーのサービスを行なっている。このタクシーはスクールバスも兼用しているため利用時間帯が限られており予約が必要となっている。このサービスは、2003年度における国土交通省の「公共交通不便地域における情報通信技術を活用したデマンド型乗合タクシーモデル実験」という実証実験からスタートしたものである[10]。
番号 | 指定・登録 | 類別 | 名称 | 所在地 | 所有者または管理者 | 指定年月日 | 備考 |
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1 | 国指定 | 記念物(史跡) | 本佐倉城跡 | 印旛郡酒々井町大字本佐倉字根古谷765-2・佐倉市大佐倉字宮下1568他 | 佐倉市・酒々井町他 | 平成10年9月11日 | |
2 | 墨古沢遺跡 | 印旛郡酒々井町墨 | 令和元年10月16日 | ||||
3 | 県指定 | 有形文化財(彫刻) | 銅造阿弥陀如来及び両脇侍立像 | 印旛郡酒々井町上本佐倉206 | 清光寺 | 昭和56年3月13日 | 3躯 |
4 | 木造阿弥陀如来坐像 | 印旛郡酒々井町上岩橋1664 | 長福寺 | 昭和62年2月27日 | 1躯 | ||
5 | 木造持国天・多聞天立像 | 印旛郡酒々井町上岩橋1664 | 長福寺 | 昭和62年2月27日 | 2躯 | ||
6 | 有形文化財(工芸品) | 鋳銅雲版(応永二十二年在銘) | 印旛郡酒々井町伊篠647 | 浄泉寺 | 昭和52年3月8日 | 1面 | |
7 | 有形文化財(古文書) | 天正検地帳 | 印旛郡酒々井町ほか | 酒々井町他 | 昭和57年4月6日 | 18件・71冊 | |
8 | 無形文化財 | 武術 天真正伝香取神道流 | 香取市・成田市・印旛郡酒々井町 | 飯篠快貞・大竹利典
大竹信利・京増重利 |
昭和35年6月3日 | ||
9 | 無形民俗文化財 | 墨獅子舞 | 印旛郡酒々井町墨(六所神社) | 墨獅子講 | 昭和42年3月7日 | ||
10 | 記念物(天然記念物) | 上岩橋貝層 | 印旛郡酒々井町酒々井 | 個人 | 昭和50年3月28日 | ||
11 | 国登録 | 登録有形文化財(建造物) | 飯沼本家主屋ほか | 酒々井町馬橋字場々106-1 | 個人 | 平成29年10月27日 | 6件 |
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